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出家未遂した男のその後⑥
金もうけのための山林伐採に抵抗しようと思った男は自伐型林業に出会いました。
自伐型林業をやりたい、と思っても、私にはそもそも林業の経験も知識もないので何から始めて良いかすら分かりません。そこでまずはどこかでその技術を学びたい、と思いました。
そう思って調べていると「地域おこし協力隊」という制度で自伐型林業をする人を募集している市町村があることが分かりました。
「地域おこし協力隊」とは都会から過疎地域への移住者向けの制度です。募集する自治体によりますが、基本的に3年間は給料と身分が保証されています。
地域おこし協力隊で自伐型林業を募集している自治体は、3年間自伐型林業の技術を実地で学ぶことが出来、かつその間は給料を保証してくれるという内容だったので、技術を学びたいと思っている私にとっては渡りに船でした。
調べてみると地域おこし協力隊で自伐型林業を募集している市町村は意外と多くありました。その中で、2つの地域に話を伺いに行き、最終的に津和野町の地域おこし協力隊に応募し、採用されました。
津和野町に応募した理由は簡単で、「自伐型林業の技術を学ぶ」という私の目的に最も合致していたからです。具体的には二つあります。
理由のひとつ目は、すでに地域おこし協力隊として働いている先輩方が多くいたことです。
津和野町は私が応募した年の4年前から地域おこし協力隊で自伐型林業を募集していました。そのため、すでに地域おこし協力隊として働いている先輩が多くおり、また、地域おこし協力隊を卒業して独立している方もいました。私が働き始めるときに技術を直接学べる先輩がおり、かつ3年後に自立するときのモデルとなる先輩もいるので、地域おこし協力隊の任期満了後の独立もやりやすいだろうと考えたのでした。
理由の二つ目は、自伐型林業を学ぶ研修制度が充実していたことです。
自伐型林業は、山に敷設する作業道に特徴があるのですが、津和野町の作業道づくりの指導は奈良県吉野の清光林業の岡橋清隆 氏が指導してくださるとのことでした。岡橋さんは、「壊れない作業道」界隈(?)では有名は大橋慶三郎という方の直弟子で、御自身の山にも作業道を多くつくっており、また全国で作業道づくりの講師を行っている方です。
作業道づくりの技術を学ぶのには絶好の環境でした。
また、木を伐倒するために必要なチェーンソーワークについても技術的指導がしっかりしていました。
私が津和野町に応募するとき、林業体験という形でチェーンソーの扱いを習ったのですが、その時にチェーンソーの扱い方について細かく指導してもらい、驚きました。
高森草庵にいたころ、他の人がチェーンソーを扱っていたのを見ていましたが、みんなチェーンソーの扱いは自己流で使い方はバラバラでした。
ですが、津和野町でチェーンソーワークを教えてもらった時は、チェーンソーの持ち方、チェーンソーで切るときの注意事項などを詳細に教えていただきました。そしてそのチェーンソーワークは津和野町の地域おこし協力隊として統一していると聞き、「ここなら安全なチェーンソーの扱い方を学べる」と思いました。
このように、作業道づくりと伐倒技術という自伐型林業において重要な二つの項目についての研修が充実していたのが、津和野町を選んだ二つ目の理由でした。
しかし選ばなかったもう一つの地域も非常に良いところでした。
もう一つの地域は奈良県の下北山村というところで、人口800人程度の小さな村です。
対応してくださった職員の方はとても良い方で人柄も素晴らしく、村全体も地域おこし協力隊に好意的な雰囲気が伺えました。
自治体の規模が小さいというのも私にとっては魅力で、村全体で起きていることが自分事として感じられ、村で他の移住者の方とも協力しやすいように感じました。
ただ、当時の私は「自伐型林業で必要な技術を学ぶ」ということを最も優先度の高い目的としていましたので、その目的により合致する環境は津和野であると思い、津和野にしたのでした。
この時下北山村を選んだらどうなっていたでしょう。今の私とは確実に違う道を歩んでいたでしょう。いまさら言っても詮無いことですが。
ともあれ、津和野町の地域おこし協力隊「ヤモリーズ」として採用された私は、高森草庵での約1年の生活を終え、シスターを始め草庵の面々に別れを告げて一旦実家に帰ったのち、津和野町に移住したのでした。
続き。
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