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わずかな、しかし確実な進歩

 野土ぬづちで1/26~1/31までの間、メンバーが所有している山の環境改善活動を行いました。1/26~1/28は環境改善作業のための資材集め、1/29~31が実作業で、私は仕事などの関係で1/28~1/31の4日間参加しました。

 私たち野土ぬづちが行っている環境改善の技法は「大地の再生」と言うものです。この技法は地上及び地中の空気と水の流れを改善し、空気と水の循環を取り戻すことに特徴があります。
 そして、大地の再生の施工現場においてよく言われるのが、「自然に倣う」です。
 私は過去に何度か大地の再生の技術を教える講座に参加したり、施工現場に手伝いという形で入ったりしていましたが、この「自然に倣う」という言葉の意味するところが実感として分かりませんでした。しかし、今回、施工現場で作業していて初めて「あ、少しわかる!」と思えました。

 例えば、大地の再生では空気と水の循環を促すために水脈(溝)を掘る作業があります。堀った水脈は泥などで埋まらないように、荒枝、石、笹葉などを組み入れます。

水脈に笹を組み入れるの図

 その際、組み入れる注意点として「自然で行われているように組み入れる」ということが言われます。「自然で行われているように」というのは、例えば水に枝や石が流されてきた時、自然にその溝にひっかかって止まるような位置、座りで納める、ということです。言葉ではかなり説明しづらいのですが、枝や石を組み入れるとき、人間の理性で無理に組み入れるのではなく、自然状態で行われるような形で組み入れるように施工するのです。
 自然に流れて納まった石や木はランダムに組み込まれ、カーブや凹凸が生じます。逆に人間の頭で考えた施工は、直線、直角と言った人工的な造作になります。前者のように組み入れることを「自然で行われているように」という表現で説明しているのです。
 それは例えば、土石流が発生して流れてきた石や木の納まり方を真似ることにも通じます。

 大地の再生では、土石流が発生するのは、人工物などで水脈が分断され詰まりが発生したところを、自然が水脈を復活させようとして起きる現象である、と捉えます。つまり土石流が発生したところは空気と水の流れが最適化されており、その様子を模せば水脈の通りを良くすることができるのです。
 そして、土石流が発生したら木や岩が流れてきますが、それらは流れる中で地形的に適したところに引っかかり、納まります。その納まる様子と同じような形で納めることが大地の再生の施工で大事になります。

 施工現場の手伝いに入るたびに上記のような説明を聞き、経験のあるメンバーから実際にやってみせてもらいますが、今まで私はどうもピンと来ず、なんとなく手本を真似るだけになっていました。
 しかし今回は、同じ説明を受けているのに「あ!少しわかる!」という感覚が生じました。

 今回が今までより「分かる」感覚が生じたのは、「五感で感じる」ということが理解できたことも影響しているでしょうし、何度も現場を経験したことで自然への理解が深まったこともあるでしょう。
 なんにせよ、今まで進んでいると思えなかったことがようやく進めた感触があり、それが嬉しかったです。

 また、私のそうした進歩がメンバーからの指摘でも自覚できました。
 私は前回の講座の時は、「分からないなぁ」とつぶやくことが多かったのですが、今回は「難しいなぁ」とつぶやいていました。メンバーが私のその言葉を聞いて「使う言葉が変わったね」と言ってくれました。その指摘で、私は自分の呟いている言葉が変わったことを初めて自覚しました。
 無意識のつぶやきが「分からないなぁ」から「(分かるけど)難しいなぁ」と変わったことは、自分自身進歩しているのだな、と思えました。


 今回の現場作業は私にとって初めての長期間にわたる作業だったこともあり、たいへん疲れました。ただ、その中で確実に自分の進歩を実感できたこともあり、心地よい疲れと達成感のようなものを感じました。
 今まで進んでいるのかどうか全く分からなかった暗中模索の状態から、進んでいることが実感できる域に達したのは大きな進歩だと思えました。
 まだまだ学ぶべきことは多くあるので、ますます精進したいという意欲が生じた4日間でした。

水脈掘りの後のグランドカバー及び炭撒きの様子

 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!