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出家未遂した男のその後①

 出家未遂をして日本に帰ってきた男の話の続きをいたします。

 日本に帰ってきた私は、やりたいことを見失った絶望感、職が無いことの不安、出家できなかった自分への嫌悪感、出家すると宣言して別れた人たちへの恥ずかしさと申し訳なさなどたくさんのネガティブな感情が心に渦巻いていました。
 特に出家に際して別れを告げた人たち(友人、先輩、親戚など)への「会わせる顔が無い」という気持ちから、日本に帰ってきたことを両親以外に伝えることができませんでした(両親に告げたのは、実家にひとまず住まわせてもらうため)。


 出家前の私は、自分を物語の主人公に見立てていて、その状況に酔っていました。「職も家族も友人も捨てて出家する」と、悲壮な覚悟を持った英雄気取りでした。そういう気持ちでいたので、家族や友人に今生の別れを告げていました。

 一番仲の良い友人には「もう会うことは無いと思うけどがんばってくるよ!」みたいな感じで話してガッと握手して別れました。部活のOBの方々には若干呆れられながらも最後には応援してもらいました。親戚のおばさんには「なんて功徳のある行いなのか!」と感激して涙してもらうほど応援してもらいました。
 そんな風に応援してくれていた人たちに「実際にタイに行ってみたら、自分が出家したいわけじゃなくて逃避したいだけだったから出家するのやめた」と告げることは、当時の私にはとてもできませんでした。

 そして、別れを告げた人たちの中には私の出家に反対する人も勿論いて、一番強く反対したのは両親でした。

 両親は、私が出家したいと言っているのは私が仕事から逃げているだけだ、と叱りました。私はその言葉に怒り、そんなことは無い、俺は本当に出家して仏道修行に専念したいんだと反発しました。
 しかし、前回の記事で書いたように、両親のその指摘は正しかったのです。今振り返るなら、私がその叱責で腹を立てたのは、図星だったからです。
 私自身が気づいていない私の本心を、両親は見抜いていたのでしょう。

 両親との口論は数日続きましたが、私が折れなかったので、ついに両親は(しぶしぶ)私の出家を認めました。
(ちなみに私が両親に出家を認めさせたかった理由は、上座部仏教では「親が出家に賛成していないなら、その子どもを出家させてはならない」という決まりがあるからです)
 
 そうやってひと悶着の末に仕方なく出家を許された私がわずか2週間のタイへの渡航から帰ってきて、「出家するのやめる」と両親に告げたのです。「呆れて物も言えない」という状態になった人間をリアルで初めて見ました。
 私は仕事をしていた時のアパートは引き払っていたので、実家に帰らざるを得ませんでした。両親に実家にしばらく住まわせてもらうようにお願いしました。

 
 タイから帰ってきて実家で過ごしている期間は針のむしろでした。
 ただ、それは両親のせいではなく私自身のせいです。
 両親はタイから帰ってきた私に対して特に何も言いませんでした。タイから帰ってくる途中、帰ったらきっと両親から叱られたり、詰られたりするのだろうと思い、怯えていましたが、両親からそういう反応は全くありませんでした。「どうして出家をやめたのか」としつこく質問するようなこともありません。
 食事も作ってくれるし、部屋に居る私に特に干渉してくることもなかったです。ただただ、そっとしておいてくれました。
 しかしそんな状況自体に私はいたたまれなさを感じていました。

 ひとまず職を探そうとハローワークにも行きましたが、仕事をして金を稼ぐという行為にまったく意欲が湧かない状態だったので、仕事も見つかりませんでした。いや、見つからないというより、見つける気が無かったのです。
 そしてあまり家にはいないようになりました。ハローワークにもあまり行かなくなりました。ただ散歩をしていました。いや、あれは散歩だったのかなぁ…。家から出て、宛もなくとにかく歩いていました。
 日に5時間とか6時間とか歩いたり、午前中に家を出てひたすら歩いて夕飯時に帰ってくる、という日もありました。
 家に居たくなかったし、両親に会わせる顔もないし、知り合いには誰とも会いたくないし、とにかく遠くに行きたくて歩いていました。でも夕飯までには帰るし、実家のベッドで寝ていました。離れたい離れたいと言いつつ、結局甘えて帰ってくる。なんだか、当時の私の精神状態を象徴していたかのような行動でした。

 「このままでは死んでしまう」と、誇張ではなく思った私は、家を離れることを決めます。と言っても、働きに出るわけではありません。休むために家を出たかったのです。今風の言葉を使うとリトリートのために家を出る、ということになるでしょうか。

 リトリート先として、実はいくつか候補がありました。ダモ寺院に滞在していた際、ある日本人僧侶の方が「私はタイで出家する前に日本でいろいろなところを訪ねました。あなたも出家する前にそうした場を巡ってみるのもいいかもしれませんよ」と紹介してくださったところがいくつかあったのです。

 その候補の中で「高森草庵」という場がなぜか非常に気になっていて、どうしても行きたい気持ちになっていました。
 そこで私は高森草庵に電話し、しばらく滞在させてほしいとお願いしました。
 滞在について快く了承してもらった私は、文字通り逃げるようにして、高森草庵に向かったのでした。

 続き



 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!



 以下は余談です。

 今回のこの私の出家未遂から始まる一連の話、どういう雰囲気で書くか悩みました。
 今の私からしたら昔の話なので笑い話にできるのですが、以前、笑い話として当時の話をしていたら、一番仲の良い友人から「笑い話として話すのは違うと思います」と怒られたことがありました。
 出家未遂した私は当時、分からないなりに真剣に行動したけど、結果として喜劇の道化のような振る舞いをしてしまったのであって、初めから道化として振舞っていたのではない、それなのに私自身が当時の私を初めから道化として描写して話すのは違うのではないか、という指摘だったと思います。
 なるほどそういうものかと納得する思いだったので、今回の記事も真面目ベースで書きました。

 これ以降の話も、今回のように深刻な雰囲気で進むと思いますが、どうぞ御容赦ください。