「名は体を表す」を思う
ほんの10数年前まで、家にいる時間=なにもしないで無になれる時間だった。
フルタイム+義両親との同居+三交代勤務の夫の世話+三人の子どもの世話を一挙に引き受けてくれていた母がいたからだ。
それがどんなに尊いことなのか。
10年かけて、鉛のようにその重さが体の芯までめり込んできている。
母の名前の由来
高齢出産で生まれた母が、この世に出てきて初めて祖父母から願われたのは「長生きしてほしい」だった。
近所の長寿のおばあさんから一文字もらって「房子」と名付けられた。
小学校のとき、自分の名前の由来を聞いてくる宿題が出されたついでに母の名前の由来を聞いたわたしは、「なにそれ!」と笑ってしまった。
生まれたばかりの赤ちゃんに長生きしてほしいってなに?
だって赤ちゃんだよ、0歳だよ。他に願うことあるでしょ。
でもその時の祖母の年齢になってみると、しみじみ共感してしまう。
人生これからというときに授かった子と、折り返し地点を過ぎた後で授かった子では、その重みが全然違うのだ。
何人か子供を育てていくうちに、願いも変わってくる。
いろいろ削られて、最後はとてもシンプルになるのだ。
母は8人兄弟の末っ子長女。一番上のお兄さんとは20歳離れていた。
20歳離れた妹ができたことを知った長男から「恥ずかしい」「みっともない」と言われた祖母は、おなかの子をおろすことを考えた。
そう考えながら眠った夜。
「なにか恐ろしい生き物が出てくる」という今まで見たことのない怖い夢を見て目を覚ました祖母は、この子を手放してはいけないと考えて出産を決意したそうだ。
その夢がなかったら私はいなかったんだなぁ。
ぼんやりとその夢のことを思い出すとき、この世の中はすべて偶然でできているのかも、と力の入った肩がふっと緩むのを感じる。
母の思い出
そんな偶然に助けられて生まれた母は、肩の力の抜けたひょうひょうとした人だった。
朝は朝ごはんと自分の弁当を作り、フルタイムで肉体労働をしたあと、自転車で山のふもとの小学校まで私たちを迎えに来て、夕飯を作って風呂を沸かし、子どもたちに付き合った後少しの夕寝をはさんで、深夜に帰宅した父の酒の入った仕事の愚痴に付き合った。
あんな目まぐるしい毎日で、どうしてあんなに怒りも不満も感じさせないで生活できていたんだろう。
一日や二日ならできる。
でも、いつまで続くかわからない生活。
どうしてあんなにひょうひょうとしていられたんだろう。
…たぶん、やるしかなかったんだろうな。
私にはぼんやりする時間がたっぷりあるから、そんな風に遠くから眺めるようにしていられるけど、母からしたらやるっきゃなかったんだろう。
そんな母の楽しみは、あまーいパンを食べることだった。
特に、手で持って食べると油と砂糖でギトギトになるような揚げパンが好きだった。
仕事で使い果たした体と、深夜まで続く自分以外の誰かのための時間で疲れた心のカンフル剤だったんだろう。
もっと長生きしてほしかったな。
房さんから名前をもらったんだから、当然長生きすると思って疑わなかった。
天然だからボケるの早そうだな、長生きするんだからお金必要になるな、とかそんなことは考えていたけど、まさかあんなに早く会えなくなるなんて思いもしなかった。
私たちが苦労させたせいで、母の死期を早めてしまったのかもしれない。
房さんからわけてもらった寿命を使い切るほどに。
名前に願いを託した祖母よりも、20歳も若く天に昇っていってしまった。
「名は体を表す」ということわざを思うたび、母に申し訳ない気持ちになる。
私もおじいちゃんとおばあちゃんと同じように、ただ、長生きしてほしかったよ。
お母さん、何の役にも立てなくてごめんね。
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