(35)集団を動かす時の注意点-竹簡孫子 軍争篇第七
軍争篇の篇末は、昔から多くの研究者の間で議論されています。軍争篇にあるのは間違いで、九変篇の冒頭にあるべきではないかと。事実、現行孫子では九変篇に組み入れられている。
この件に関して、私の見解を述べると、「竹簡孫子」の構成である軍争篇の篇末にある方が、意味が通じるので、軍争篇に入れる方が正しいという立場に立ちたいと思います。
なぜそう言えるのかというと、軍争篇は、主導権争いに勝ための軍隊の動かし方について述べており、その本意は、人間の性質に則る行動を促し、利益に目が眩んで、人間の性に逆らうような判断ミスを戒めている内容です。
軍争篇末の文章は、人間の性に逆らうような判断ミスを、沢山の人間によって構成される軍隊の場合に展開した内容だからです。
では本文を読んでみましょう。
【書き下し文】
故に衆を用うるの法は、高陵には向かう勿(なか)れ、倍丘(ばいきゅう)には迎うる勿れ、佯北(しょうほく)には従う勿れ、囲師(いし)には闕(けつ)を遺(のこ)し、帰師(きし)には遏(とど)むる勿れ。此れ衆を用うるの法なり。
【現代訳】
「気」「心」「力」「変」の四つを失わないために、大軍を用いる原則として、高い丘に陣取っている敵を攻め入ってはならず、高い丘を背に攻めてくる敵を迎え撃ってはならず、偽りの敗走をする敵を追いかけてはならず、敵を包囲することができても逃げ口を残しておき、帰国しようとしている敵を無理して遮ってはならない、これこそが「気・心・力・変」を踏まえて大軍を用いる基本になります。
ここで挙げられた五つのポイントは、我が軍の「気」「心」「力」「変」を失わせる項目であることがお分かりになると思います。
文章ではわかりにくいので、図で見てみましょう。
一つ目は、高地にいる敵に向かっていかない。近づかないということです。気力や体力を消耗するだけでなく、敵軍が勢いよく迫ってくることになり、精神的にも負担がかかることがわかります。このような状況で戦っても敵軍の状況を、「佚」から「労」、「実」から「虚」、「強」から「弱」に変化させることはできないでしょう。
二つ目は、丘を背にする敵軍を迎撃しないということです。高地にいる敵に向かっていかないと似ています。これは勢いよく攻めてきた敵です。後ろに戻ることは容易でありませんし、我が方が押し返すのも難しい状況です。この状況で戦えば力負けしやすく、我が方の体勢が崩されてしまう可能性が高くなります。
三つ目は、敵軍の偽りの敗走を追いかけないということす。偽りの敗走にはその先に罠がありますから、引っかかると大きな痛手を被ります。大混乱に陥ります。「心」が動揺し、軍隊の「力」も発揮出なくなります。
五つ目は、包囲した敵軍の逃げ道を残しておくということです。逃げ道がある限り、敵軍はなんとか生き残ろうとしますが、逃げ道がなくなると、決死の覚悟で反撃をしてきます。兵法の奥義、背水の陣であります。窮鼠猫を噛むであります。敵軍の死地がまさに生地に変わり、我が軍の生地が死地に変わります。
最後は、帰国する敵を遮らないです。これは退却する敵を追いかけて、退路を遮るとことは容易ではなく、労が多く益がありません。無駄に消耗して、我が軍の国力を削ります。その結果、周囲の敵につけ入れられてしまえば、勝利も無駄になってしまいます。
以上の五つが、集団を動かす時のポイントになります。多数だからといって、たかを括って、人間に無理をさせてしまうと、兵士の「気」「心」「力」を消耗させ、自軍の状況を悪化させてしまうことに繋がるのです。