(40)基本地形の進み方-竹簡孫子 行軍篇第九
行軍篇第九は、現代人が読むと非常に面白くない。古代の戦争の具体的なノウハウ、行軍方法についての知識を学んでも活用できることがほとんどないからです。
この篇は、九変篇とセットで読んではじめてわかります。敵軍の情勢を変化させるための具体的な方法や駆け引きとして読むと味わいが出てくるし、現代においても応用する方法が見えてきます。
九変篇では、「九変」という九つの項目と利と害の両方に変会する五つの地形についての説明がありました。「九変」までの地形は、概念的な性質を扱っていましたが、行軍篇になると目の前にある地形、その形の具体的な対処法になってくるのです。
それらを踏まえて、行軍篇には何について書いてあるのかと一言で述べるならば、「変化の兆し」です。陰陽の原理で考えるならば、陽から陰に転じる、陰から陽に転じる「きっかけ」をいかに発見し活用するかという事です。このきっかけを利用して、敵の体勢を害に変化させる訳です。
それでは行軍篇の本文に入りましょう。まず最初に述べるのは、基本的な地形のセオリー、原理原則について解説します。山岳、河川、沼沢、平地の四つの地形を進むためのセオリーです。
【書き下し文】
孫子曰く、凡そ軍を処(お)き敵を相(み)るに、山を絶(た)つには谷(たに)に依り、生を視(み)て高きに処り、戦うには降りて登ること毋(なか)れ。此れ山に処るの軍なり。
【現代訳】
孫子は言う。「おおよそ行軍中の移動経路や野営する場所、敵情を偵察する方法において、山岳を越えるには谷沿いに進み、有利な地点を見つけて高所を占拠する。戦う時は、高地より攻め降りるようにして、自軍より高地にいる敵に攻め上がってはいけない。これは山岳地帯における行軍法である」と。
まず「絶つ」というのは越えるという意味です。山岳を越えるには、谷沿いを歩けです。これは当然ですね。大群が尾根を歩けば、危険です。滑落する危険が高いです。「生を視る」とは、自軍によって一息つける、有利な地点を見つけるという意味です。「戦うには降りて登ること毋れ」は、戦う時は、高いところから降りる形で登りながら戦ってはいけないという事です。
次は、河川の渡り方です。
【書き下し文】
水を絶てば必ず水に遠ざかり、客水を絶ちて来たらば、之れを水の内に迎うる勿く、半ば済(わた)ら令(し)めて之れを撃つは利なり。戦わんと欲する者は、水に附(つ)きて客を迎うること無かれ。生を視て高きに処り、水流を迎うること無かれ。此れ水上に処るの軍なり。
【現代訳】
「河川を渡る場合は、河川を渡り終えたら必ずその河川から遠ざかり、敵軍が河川を渡ってきたら、その中に入って迎撃せずに、敵の半数を渡らせてから攻撃すると有利です。河川で戦おうとするならば、川岸の近くで攻撃してはいけない。軍隊を配置するのに有利な場所を見つけて高所となる場所を抑えて、高所から流れに沿って攻撃してくる敵を迎え撃ってはいけない。これは河川における行軍法である」と。
「水を絶てば必ず水に遠ざかり」とは、河川を渡れば、必ず河川から離れよという意味です。水辺では逃げ場がなく、危険だからです。「客水を絶ちて来たらば」の「客」は後から来た敵軍の事です。「敵軍が後から河川を渡ってきたら」という意味です。「之れを水の内に迎うる勿く、半ば済(わた)ら令(し)めて之れを撃つは利なり」とは、敵軍を河川を渡っている最中で迎撃するのはなく、敵の半数が河川を渡った段階で攻撃すれば有利である」という意味です。半分が渡ってしまうと、敵の本体と補給部隊などが分離してしまい、敵が逃げることも進むこともできなくなります。「戦わんと欲する者は、水に附(つ)きて客を迎うること無かれ」とは、「戦おうとする場合は川岸、水辺で迎撃する形はいけない」という意味です。河川に挟まれれば、逃げ道を失ってしまい、さらに水に入ってしまうと動きが鈍くなるからです。
「生を視て高きに処り、水流を迎うること無かれ」とは、「有利な場所を見つけて高い場所にいるようにして、川上から攻めてくる敵とは戦わない」という意味です。
三つ目は、沼沢地、沼地や沢の行軍方法についてです。
【書き下し文】
斥沢(せきたく)を絶つには、唯(た)だ亟(すみや)かに去って留まること無かれ。若(も)し軍を斥沢の中に交じうれば、必ず水草に依りて衆樹(しゅうじゅ)を背にせよ。此れ斥沢に処るの軍なり。
【現代訳】
「沼沢地や湿地を越える場合は、ただ一点、迅速に通りに抜けて長居してはいけない。やむをえず沼沢地や湿地で交戦する場合は、水草の近くで布陣して、樹木のある方を背にしながら戦う。これは沼沢地における行軍法である」と。
「唯」とは、これ以外にはないという意味です。「斥沢を絶つには、唯だ亟(すみや)かに去って留まること無かれ」とは、素早く通り抜けて去って、その場所で、設営したり陣を張るなど、留まってはいけないということです。「若(も)し軍を斥沢の中に交じうれば、必ず水草に依りて衆樹を背にせよ」とは、もし万が一戦うことになってしまった場合、水草の近くで林を背にして戦え」ということです。足場の悪い沼地では、水草など少しでも支えがあったり、安定している場所で戦わないと、足がはまって動けなくなる可能性があります。「衆樹」とは多数の樹木、林のことです。後ろには足場がしっかりし、隠れることができる場所におくと安全ということです。沼は隊列が乱れ、補給部隊の移動速度も落ちます。林を背にしていれば、敵部隊が先回りして待ち受けることが難しくなります。
最後は、平地の行軍方法についてです。
【書き下し文】
平陸には易(い)に処りて、高きを右背(うはい)にし、死を前にして生を後にせよ。此れ平陸に処るの軍なり。凡そ此の四軍の利は、黄帝(こうてい)の四帝に勝ち所以なり。
【現代訳】
「平地を進む場合は、活動しやすい場所で布陣して、敵を攻撃するときは高所を右後ろにして、前面にいる敵を死地に追い込むようにし、自軍の背後に安全地帯を確保しなければならない。これは平地における行軍法である」と。
この四種の地形の利点を活かした事こそが、伝説上の黄帝がライバルの四帝を打ち負かした要因なのです。
「平陸には易(い)に処りて」とは、「動きやすい場所にいる」と言うことです。「高きを右背にし」とは、右後ろを高くして、左前方に進みながら攻撃すると言う意味です。これは人間に右利きが多いため、武器を振り下ろし安いからです。「死を前にして生を後にせよ」とは、死地が前方にあれば、敵軍と戦う際に利用することができ、背後に安全な場所を置くのは、敵軍と戦って不利な場合、逃げることができるという意味です。
この四つの地形の行軍法は、前提であり、セオリーです。
この後は、このはじめのセオリーを土台に、「必勝の布陣法と危険な場所の対処法」「敵軍の洞察法」「必取、敵を討ち取る戦い方」と展開します。形篇から続いた敵軍を討ち勝つ理論は、行軍篇でひと段落します。
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