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渾身の一句

渾身の一句って言ってもねー
「湧ちゃんの自薦ベスト句を出してみないかい?」ってコメントがあったのでやってみっか、と。

昔むかし鎌倉の裏路で、小綺麗な和風の住宅を見ました。
玄関わきの板塀にくぐり戸があって、そのすぐ脇の蹲(つくばい)に椿の花が3輪浮いていました。
通り過ぎながら、この中には茶室があるのだろうと思いました。
亭主に対して客も初老の男、客が茶を喫し終わって最後の一滴を、音を立てずスッと品よく啜りこむ、その次はお道具拝見である。
蹲にそそぐ筧の水音が聞こえていたかどうか。
静かな瞬間を空想して一句、
「蹲に椿浮かべて茶をすする」
つくばいに つばきうかべて ちゃをすする

春の彼岸ころ、安曇野を車で走った。
北アルプスを見たいとそれらしい方向に車を走らせていて、やがて見えてきた雄大な連峰を詠んだ一句、
「安曇野の果て連峰の薄霞」
あずみののはて れんぽうのうすがすみ

2007年の10月末から、息子の勧めで与野にお住まいだった牧師のもとへ聖書の勉強のために通い始めた。
聖書を勉強することは自省の機会になった。妻と二人で初めは月に一回、年が変わってからは月に三回のペースで通った。
電車の時間待ちで喫茶店に寄ることが多かった。妻との会話が多くなったと思う。
そんな時期に作った句、
「一年を漉して霜夜のエスプレッソ」
いちねんをこして しもよのエスプレッソ

母に死なれた後で思ったこと、
「一言を言い忘れけり冬の菊」
ひとことを いいわすれけり ふゆのきく
えっ、何を言い忘れたかって。
認知症になってから二年余り、頑固で意固地でみんなを困らせていた、母に言いたかったこと、
「母さん、あんた自分で思っていたよりもずーっと幸せだったよ。俺たち六人兄妹、みんなが母親思いだった。
本当に母親思いだったのに、認知症になったからってどうしてあんなに小憎らしく頑固になれたのかね」って。
「こんなこと書きながら俺は今でも涙をこらえきれないよ」
2,022年2月25日

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