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偽情報戦と物語戦との違いと関係に関する佐々木孝博氏の考察をもとに(短文)

偕行社安全保障講座――ロシア・ウクライナ戦争を振り返る(2023年4月20日・グランドヒル市ヶ谷)での、佐々木孝博氏の講演を、ネット記事で読むことが出来た。
講演内容要約:「ロシア・ウクライナ戦争を振り返る(見えない領域での戦いを中心に)」という記事である。
前半には、渡部悦和氏の、同じく講演内容要約記事(「露宇(ロシア・ウクライナ)戦争の教訓」という記事を読むことが出来る。
共に興味深く、それ自体で書評する価値がある文章である。
佐々木氏の記事の方には、ロシアにおけるAI軍事利用に関する説明もあり、AIも私の専門分野であるので、興味深いが、ここでは佐々木氏による、偽情報と物語戦の違い、特に物語戦に関する定義について、紹介する
なお佐々木氏は「ナラティブの戦い」と呼んでいるが、文中、物語という言葉をナラティブと同意で使っており、私が言う「物語戦」と相当程度重なる概念であることは確かである。

佐々木氏は、ロシアの情報戦を、特性から、

①偽情報戦
②ナラティブの戦い

の二種類に分類している。
ここで佐々木氏が注目するのは、事実(実際に起きた事象)に関し、ロシアに都合の良い事実のみを食い合わせ、その解釈としての「国家の理念」の物語を形成し、活用する情報戦―すなわち、ナラティブの戦いである。
これは私の言う物語戦である。
これは、ロシアの正当性を一方的に宣伝する物語を作り、この物語を拡散する方法である。
偽情報情報戦に関しては、ファクトチェックが可能であるが、ナラティブの戦いに関しては、ファクトチェックが困難である、という特徴がある。

私も、これまで偽情報戦という言葉と、物語戦という言葉とを、何となく一緒くたにして、明瞭に区別することなく使用して来たが、大学の講義や学会発表などでの説明に際しては、物語戦の方は、必ずしも、あるいは少なくとも狭義の「ファクトチェック」に馴染む概念ではない、ということは、重ねて注意喚起して来た。
しかし、佐々木氏は、今年の四月の段階で、この二つを分け、特にナラティブの戦いの定義を丁寧に試みている。
九月に出版した私の『物語戦としてのロシア・ウクライナ戦争』では、両者は違うのだという感じのことは書いたが、両者の区別を明瞭にしていなかった。
両者は違うのだ、という主張は、私の言う物語戦が、例えばコンピュータを駆使したデータチェック等によっては対処出来ない、といった記述と絡めて、曖昧には主張していたと思う。しかし、その言葉の、偽情報戦との比較における明確な定義には、至っていなかったように思う。
この点で、佐々木氏の論考は、非常に参考になる。

佐々木氏が挙げるナラティブの戦いの典型例は、プーチンによる「一体性論文」である。
この論文では、正しい歴史的事実をもとに、全体として、プーチンやロシア政権にとって都合の良い物語が構成されている。
その問題点を、通常の意味でのファクトチェックの方法で明らかにすることは困難である。
また、ナラティブの戦いが、時間に伴って変化し得ることを佐々木氏は指摘し、上記一体性論文以降のプーチンの主張の変遷を辿っている。

佐々木氏は、上記の説明を行うに当たって、ナラティブの戦いがあまり報道されていないことに、少しだけだが、触れている。
この部分こそが現在と未来の日本にとって最重要な問題なのにも拘わらず、このところ国家の物語を作ることに失敗し続け、また「国家」を毛嫌いするマスコミも多い現状の日本において、ナラティブの戦い・物語戦は、あまり触れたくない話題なのかも知れない。
そもそも、自分がどんな物語を信奉し、作っているのか、明瞭に意識している者は、報道人の中にも極めて少ないだろう。

真面目に言うのだが、我々はプーチンやロシアの強さをもう少しきちんと認識し、その嘘まみれではあれ物語となっているものを作る能力について、学ぶべきなのだ。
例えば、ロシア側から見た北方領土の物語はスターリンによって作られ、プーチンに引き継がれ、今やその物語はロシアの物語であり、日本とは関係ないことになっている。
その間に、我々は日本の側からの北方領土の物語として、どれ程のものを作って来たのだろうか。自己満足の物語ではなく、ロシアとの物語戦に対抗し得る物語をだ。
ロシア権威主義者達がどんなに自慢し、正当化、言い訳しようと、私には、少なくとも、ロシアと対抗し得る日本人の北方領土の物語が存在し、それが国民に共有されているとは、とても思えない。
寧ろ、国内に、その種の物語生成を忌避し、一方的にロシアにしてやられる物語の生成(?)にのみ汲々とするグループが存在し、内ゲバを繰り広げて来ただけ(今も)と思える。
(戦後の日本人において、この内ゲバ体質は、なかなか抜けないようだ。)

私の『物語戦としてのロシア・ウクライナ戦争』の発想も、まあ、ほぼ理解されないことだろう。現状、完無視である。
しかし、このような、見えない戦争の中でも、最も見えにくい部分に、元自衛官の人々が着目しているということは、それが現実的にも重要な証拠なのだろう。
佐々木氏や渡部氏の論考は今後も追い掛ける必要がある。
同時に、上記の本の中ではまだまだ曖昧であった、物語戦の定義を、さらに明確化して行きたい。


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