北海道/北竜町及び札幌近郊で今はなき農村歌舞伎の痕跡を確認する小さな旅:2023年6月末。写真中心(その5:北海道博物館、丘珠空港)
この小さな旅の付録として、北海道の農村歌舞伎自体の痕跡を直接確認することは出来なかったが、北海道博物館と丘珠空港に行ったことを追記しておきたい。
札幌近郊、厚別区にある北海道博物館については、北方領土の関連でパネル展示を見に行ったが(note―「北方領土返還要求運動強調月間」の札幌と岩見沢―イベントと展示を少しだけ見る―(2023年8月。写真中心。その2)[「北方領土返還要求運動強調月間」の札幌と岩見沢―イベントと展示を少しだけ見る―(2023年8月。写真中心。その2)|小方 孝 (note.com)])、それを見た後で常設展を見学し、農村歌舞伎の痕跡を探すことにした。
北海道博物館では、アイヌ関連の展示が豊富であったが、これについては別途検討するものとしてここでは触れない。隈なく回ったつもりであるが、結局北海道の農村歌舞伎に関する資料・展示類を見ることは出来なかった。
以下のような、新十津川村玉置神社の奉祀の情景を示す絵があった。
芸能関連のものとしては、私が今住んでいる岩手県の神楽に関連する展示―岩手県から北海道に渡った神楽の展示―があった。
ニセコや石狩地方に渡ったものが多いようだ。
展示物を幾つか紹介する。
以下の幾つかの神楽面は、ニセコ町の「狩太神楽」で使われた面である。(現在は使われていない面か?)
演目一覧が展示されている。
「神講社社の札」が展示されていた。
神楽の台本が一冊見られた。
幾つか興味深い資料館についてのパネルがあったので、紹介しておく。
「サハリン少数民族の文化を伝える資料館」があることを知る。(北方民族博物館は函館にあり、先日訪問して見学した。)
次の本別町歴史民俗資料館には、農村歌舞伎に関する資料があると聞いているので、今後訪れたいと考えている。
次のパネルは稚内の研究活動に関して記述している。
北海道博物館には、資料室があり、自由に入る調べ物等をすることが出来るようになっている。開架図書の中から、北海道の農村歌舞伎と直接関連する資料を見つけることは出来なかったが、北海道各地の写真集が多数所蔵されており、嘗ての劇場類の写真を見ることが出来た。その中からほんの一部だけを紹介する。
以上の文献から、嘗ての劇場の有様を目にすることが出来る。例えば、これは美唄劇場で、『浅草の肌』という映画がかかっている。
滝川にも立派な劇場があった。
野球の栗山監督の住まいがある栗山町にも劇場があった。栗山は、岩見沢と苫小牧を結ぶ室蘭本線の中間の少し岩見沢寄りにある。
大きな映画館もあった。
栗山町の祭の様子も写っている。
次の本に出ている函館港祭りの写真は面白い。
殆ど歌舞伎である。
もう二、三枚。
バックとの対比が面白い。
五稜郭の方の祭もある。
この他旭川の巻にもたくさんの劇場の写真があった。
北海道からの帰途、初めて丘珠空港を使った。少し時間があったので、空港の中をぶらぶらしていると、いろいろなパネルが貼ってあった。
今回丘珠という所へは始めて来たが、ここにも様々な芸能がある。
丘珠村の歴史は、山形県からの30人の入植者によって始まったということである。
丘珠飛行場は、太平洋戦争中に建設され、米軍の空襲を受けていたことを知る。
これから行こうとしているのは三沢である。
一見小さい空港であるが、なかなか奥が深かった。札幌市を写真で辿る、私にとってタイムリーな企画展が行われており、その中で劇場も紹介されていた。「明治の商業」と「大正~昭和初期の商業」のコーナーに、興味のある写真が何枚かあった。
本格的な芝居小屋があった。演目は歌舞伎と思われる。
こちらも、歌舞伎のような絵が描いてあるように思われるが・・・
これも幟は歌舞伎のそれのように見える。
昭和初期の狸小路も記録されている。大阪で言えば道頓堀のような所か?(北海道民でないので、ピント外れなのかも知れませんが。)
残りは余談。
飛行機が上昇すると、丘珠空港は殆ど札幌市街なので、下界の光景が楽しい。左下に札幌駅が見える。
続いて見えて来るのは支笏湖。以前吹雪の日に行ってどんなに近付いても全く湖面が見えなかったことがあるが、今日は遥か上空から良く見える。
本州にやって来た。
三沢空港には、こんな悲しい物語が紹介されていた。小川原湖の伝説である。
玉代姫と勝世姫の大きなこけしが立つ。この写真からは、どちらがどちらかは分からない。結構な迫力である。
(本記事の主要内容は、歌舞伎の物語生成研究の一環として行われている。)