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アーネスト・ヘミングウェイの『移動祝祭日』

高見浩(訳) (2009). 『移動祝祭日』. 新潮社(新潮文庫).
(原著:Ernest Hemingway (1964). A Movable Feast. Scribner's.) 

五十二、三年振りにヘミングウェイを読んだ。
『移動祝祭日』。
面白かった。と言うより、格が違う。

この本は小説ではなく、回想記もしくは自伝であり、1920年代、20歳代のヘミングウェイのパリでの「修行生活」の時期を扱っている。
ノンフィクションであり、記憶に基づく事実の記録であるが、冒頭にヘミングウェイ自身が記すように、敢えて書かれなかったことも多くあると言う。その意味で、焦点化された記録である。
なお、ヘミングウェイには、著者自身の校閲を経て出版されず、原稿のまま残されて死後出版された多くの作品がある。長編小説『海流のなかの島々』、『エデンの園』、『ケニア』等もそうであるが、この『移動祝祭日』も、死後出版された作品である。

内容は大きく、「仲間」との人間関係を主とする「社会生活」の部分と、ヘミングウェイ自身の「私的生活」の部分とに分かれる。勿論、両者が合体して、一人の未来ある(未来しかない)若者の生活全体が構成される。
ここで「仲間」と呼ぶ中には、同年配の友人だけではなく、年上の、「師」とも言える人々も含まれる。広い意味での仲間を意味する。
一方、ヘミングウェイ「私的生活」を構成する要素には、妻、子供、執筆、読書、趣味、酒や食事、住居、散策、カフェやレストラン等々が含まれる。

『移動祝祭日』は、基本的に、ヘミングウェイ特有の乾いた簡潔な文章で書かれているが、他方で、時に一つの話題を巡る長々とした記述、曖昧で象徴的な描写も使われる。「ハードボイルド」の中に、(この書の中にも何度か印象的な姿を現す)ジェイムズ・ジョイスからの影響を溶け込ませた独特な筆致は、『武器よさらば』や『誰がために鐘は鳴る』においても、お馴染みのものであろう。読んでいて、これらの作品の雰囲気を、私は頻りに思い出した。

「仲間」達

この本に描かれる「仲間」には、友人、先輩、後輩、その他の知人等、多くの人々が含まれる。敢えて言えば、青春時代のパリで、ヘミングウェイが出会った、すべての人達が仲間であるかのように、そのような書き方で人々が描かれている。かと言って、すべての人に対して「悪意のない書き方」がなされているわけではなく、作者自身が気に入らない人に対する辛辣な筆致には、かなりのものがある。露骨な批評ばかりでなく、皮肉や冷笑も現れる。しかしそれにも関わらず、ヘミングウェイの書き方には、描かれる人々を、「仲間達」と呼びたくなるような、不思議な感触がある。

ここに現れる多くの人々は、作家や詩人、芸術家、そしてその卵達であり、また編集者、書店主である。彼らの殆どは、英語話者であり、特に、ヘミングウェイ自身と同様、アメリカからやって来た人が多い。彼らの家族、友人や知人も現れる。
フランス人が現れないわけではないが、その多くは、カフェやレストランの店員や家主等、作家や芸術家以外の人々である。

作家や芸術家における一つのカテゴリーは、年上の、ヘミングウェイの庇護者とも言うべき人達で、ヘミングウェイを読んでいるとお馴染みの名前―作家のガートルード・スタイン、詩人のエズラ・パウンド、そして作家のスコット・フィッツジェラルドらが現れる。この中で終始好意的な筆致で描かれるのはエズラ・パウンドだけで、スタインやフィッツジェラルドを描くヘミングウェイの筆は、まさにマイナス方向に冴えている。

スタインとは数多くの文学談義を交わすが、どうも話がしっくり嚙み合っているとは言えない。スタインが女性のパートナーと旅行に出る際、ヘミングウェイ夫妻は誘われるが、自由を奪われそうな気がして、断る。スタインは個性的且つかなり利己的な性格の持ち主であるように描かれているので、その通りだとしたら、これは良く分かる反応である。つまり、かなり重く、鬱陶しい感じなのだ。スタインとの交流は三、四年で終わりを告げることになるが(スタインとの関係が終わる場面の描写は、なかなか面白い、と言うか、奇妙である)、それはヘミングウェイのパリ時代の前半であり、その修行の初期にとって、スタインから影響を受けたことは、確かだろう。

年長のエズラ・パウンドとの友情は、もっと長く続いたようだ。それには、パウンド自身の無私とも言える性格も影響していたように思える。パウンドは、多くの文学者や芸術家に支援の手を差し伸べたが、中でも、当時銀行勤めをしていて書く時間がなかったT.S.エリオットに対する支援について、ヘミングウェイはかなり詳しく書いている。若いヘミングウェイもその当時、経済的に苦しい生活を送っていたこともあり、パウンドに目をかけてもらったのだと思われる。パウンドとの議論の模様も描かれるが、しかしガートルード・スタインとの間での議論の方が、実は長々と描かれているのが、面白い。

スコット・フィッツジェラルドがいよいよ登場するのは、実は本書の後半の方であるが、フィッツジェラルドこそ、まさに本書の最大の主人公だと思われる(もう一人は、後述するが、当時の妻のハドリーである)。
フィッツジェラルドに関するヘミングウェイの筆致は、文字通り辛辣であり、皮肉も交じっており、人間的には、「何だこいつ」と思っていたことが、想像される。
レストランでの最初の出会いの際、ヘミングウェイは、フィッツジェラルドの脚が短いことを発見し、それについて何度も執拗に述べている。
またもっと後の方で、フィッツジェラルドから持ち掛けられた重大な相談に関する挿話も面白い。フィッツジェラルドは、自分のあれのサイズが女性にとって不満なのだと妻から宣告された話をしたが、ヘミングウェイはトイレに入って確認してから、フィッツジェラルドを、大丈夫、十分と慰める。
フィッツジェラルドとの関係の挿話には、この種の滑稽でばかばかしいものがいろいろと現れるが、中でも最もひどいのは、二人でリヨンとパリを往復する旅に出た際の挿話であり、フィッツジェラルドという人が、かなり子供っぽく、傍迷惑な人であったことが、分かる。
しかしフィッツジェラルドが、最初からヘミングウェイの才能を無条件に認め、全く邪心なく、支援し応援しようとしたことは、ヘミングウェイの描写から、よく伝わって来る。ヘミングウェイの方も、特に『グレイト・ギャツビー』を読んだ後、その才能を認め、フィッツジェラルドをサポートし続けることを決心する。やがて、フィッツジェラルドが、徐々に精神の安定を失って行く妻ゼルダとの関係の中で疲弊していることに気付く。訳者の注釈によれば、ゼルダ自身多作の作家であったとのことだ。

その他様々な「仲間」が現れ、ある人々は好意的に描かれ、別の人々は悪意をもって描かれる。また、暗示的にだけ描かれる人々もいる。
作家や芸術家だけでなく、カフェやレストランの何人かの店員ともヘミングウェイは仲良くなり、幾つかの印象的な場面がある。

その他、特に印象的だったのは、シルヴィア・ビーチの挿話である。ビーチは、パリで英語の本の書店―シェイクスピア書店―を営む女書店主であり、初めて訪れたヘミングウェイに、多数の本を無料で貸してやる。こういう(小さな、具体的な、)文化の庇護者の存在が如何に重要か、そんなことを思わせる、生き生きとした描写が展開する。

そして、シルヴィア・ビーチと言えば、ジェイムズ・ジョイスである。ちょうどこの頃、ジョイスはあの『ユリシーズ』を書き上げ、幾つかの出版社に出版を打診していた。しかしすべて断られた。そこで名乗りを挙げたのが、シルヴィア・ビーチであった。『ユリシーズ』は、大手出版社ならぬ、この町の書店から出版されたのである。

最初にヘミングウェイがシェイクスピア書店を訪れた時、ジョイスはいつここに来るのかと尋ねると、女主人は、大抵夕方遅くやって来ると、答える。
どうやってヘミングウェイがジョイスと知り合いになったのかは、具体的に描かれていないが、その後幾つかの、印象的な場面が現れる。
一つ目は、ジョイスの一家―妻ノラと二人の子供がいる―が、ミショーというレストランで食事をしている場面である。ヘミングウェイは妻と二人でこのレストランを度々訪れたが、壁を背にした席にジョイスが座り、家族で食事をしているところに何度か遭遇したと言う。一家はいつもイタリア語でしゃべっていたと言う。
もう一つは、ヘミングウェイが通りを歩いている時、たまたま芝居帰りのジョイスと会い、ドゥー・マゴという店に誘われ一緒に酒を飲み、愉快に噂話をする場面である。ジョイスはドライシェリーを飲んだ。

良く描かれる人、悪く描かれる人、陰謀家のように描かれる人―まだまだたくさんの「仲間」が現れる。

なお、本書に日本人が一人乃至少数現れる。ヘミングウェイは、日本の絵画に興味を持っていたエズラ・パウンドの家で、日本人の画家と日本の絵画に出会う。長く黒い髪の描写は印象的であるが、ヘミングウェイ自身は、日本の絵画にはあまり興味はなかったということである。

妻・家族との日常生活と「事件」

ヘミングウェイは確か一生に四回結婚するが、『移動祝祭日』の頃は、一人目の妻ハドリーと結婚生活を送っていた。男の子が生まれ、作中では、「バンビ君」(翻訳)と呼んでいる。猫も一緒に暮らしていたようだ。猫がこのバンビ君の子守役になっていたことが面白く描かれている。
パリ時代の後半には、ヘミングウェイの「不倫」の相手が現れ、最終的にハドリーとは離婚し、この不倫相手と新たに結婚することになるが、この本の中に、二番目の妻になる人は現れない。従って、『移動祝祭日』におけるヘミングウェイの妻は、ハドリー一人であり、ハドリーとの若い日のパリでの生活―パリの街やセーヌ河畔の散歩、スイス等への小旅行、自宅やレストランでの食事、会話等々―が、この本の中には細々と描写されている。と言うより、この結婚生活が、この本の物語における、一つの最重要な中核を成している。
ハドリーとの会話の部分を読んでいると、思い出されるのは、『武器よさらば』におけるフレデリック・ヘンリーとキャサリン・バークレーとの対話の場面、『誰がために鐘は鳴る』におけるロバート・ジョーダンとマリアとの対話の場面等である。これらの愛の対話と、雰囲気がそっくりな部分がある。

幸福な生活の中に、一つ重大な事件が起こる。不倫ではない。それは本書に書かれていない。「原稿盗難事件」である。
スイスに出かけていたヘミングウェイの許を妻が尋ねる時、気を利かせて(利かせ過ぎて)、ヘミングウェイがパリのアパートに置いて行った小説の原稿を、コピーも含めすべて、ハドリーは鞄に詰め、持参した。旅先でヘミングウェイが、仕事をできるようにするためである。ところが、パリの駅で、ちょっとした隙に、鞄を盗難されてしまった。
こんなことが起こったら、さぞ大変だったろうと、容易に想像がつく。実際、ハドリーは泣きじゃくりながら、ヘミングウェイに事実を伝える。ヘミングウェイは、汽車に飛び乗ってパリに戻り、自宅を確認するが、まさに、コピーも含めて、殆どの原稿が、失われてしまったことを、認めざるを得なかった。
立ち直るのも大変だったことが暗示されているが、しかしヘミングウェイは、この事件を奇貨として利用する。すなわち、この事件を、自らの小説のスタイルを変えるための、きっかけとして、利用したのである。それまでの感傷的な筆致を改め、乾いた、形容の少ない文体に変えたと書かれている。この事件は、ヘミングウェイ独自の極めて個性的なあのスタイルを作り出す一つの原因となったのも知れない。

なお、これとの関わりは定かでないが、本書には、ヘミングウェイの物語論とも言うべきものについての幾つかの記述がある。その一つ―「自分なりに編み出した新しい創作理論」―は、省略の理論であり、作者本人のその骨子の説明を借りれば、「もし作品のある部分を意図的に省略した場合、それがかえって物語に強いインパクトを与えて、単純な理解を超越した何かを読者に感じさせることができるとわかっているときには、その部分を省略していっこうにかまわない」

カフェを中心とした執筆

この時代のヘミングウェイにとって、妻や家族との生活を支えるための手段は、小説やその他の文章の執筆であったが、無論それはまだ確立されたものではなかった。つまりこの時代は、ヘミングウェイにとってのいわば「文学修行」の時代であった。本書の中核は、まさにこの部分である。
シャワーどころかトイレもロクにないような狭いアパートでの執筆のことも書かれているが、この時代におけるヘミングウェイの書斎は、パリの街中のカフェであり、特にクロズリー・デ・リラというカフェであった。
早熟であったが故に、大学に進学する代わりに戦争に従軍し、多くの経験を積んだヘミングウェイにとっての「わたしの大学」がパリであり、その教室が、これらのカフェであった、というわけだ。
何しろ、ガートルード・スタイン、エズラ・パウンド、スコット・フィッツジェラルド、シルヴィア・ビーチ等々といった、強烈な先生方がいたのだ。しかも、ジェイムズ・ジョイスなどという、年長の大作家と、一緒に酒を飲めたわけだ。これ程偉大な大学、そして教室はない。

自由な、真の大学・教室だ。その代わり、小説や詩が、評価されるかどうかという、強烈な、命がけの世界だ。
命をかけないような者に、他者を評価する資格などないし、またまともに評価される資格もない。
大学も教室も、学び、創る気のある者にとってのみ、価値のある何かなのだ。

余談ながら、カフェ―昔流に言えば喫茶店―で書く(あるいは、そうでないと書けない)というタイプの物書きがいる。
確か、中上健次も、新宿か何処かの喫茶店に長時間陣取って、小説を書いていたということである。
そヘミングウェイは後年、立って仕事をする(執筆する)ことが多い、と昔読んだ何かに書かれていた。中上健次も、テーブルに寝て仕事をするとか、書かれていたように思う。このように、通常の「書斎」以外の環境での執筆を生来的に求める作家や物書きのグループがいるように思う。(その他、安岡章太郎や、最近の西村賢太は、布団に横になって執筆していたらしい。)

読書―ロシア文学から始まる

パリで執筆と共にヘミングウェイが熱心に進めていたのが、読書であった。
小説その他の読者についての話題は、ガートルード・スタインやエズラ・パウンドその他の人々との会話の中に頻繁に現れるが、本という物理的な物と関連するものとしての読書、という側面は、シルヴィア・ビーチのシェイクスピア書店の訪問から始まり、セーヌ河畔の古書店が英語の本をどのように集めているかの話―ホテル等に置き去りにされた本を回収して売る―等、興味深い。
本書から、パリ時代、ヘミングウェイが最初に最も熱心に読んだのがロシア文学の一群の作家であったのが分かる。特に、ツルゲーネフは全作品を読み、トルストイやドストエフスキー、そしてチェーホフの良い読者であった。チェーホフについては、マンスフィールドと比較して、高く評価している。ツルゲーネフの『猟人日記』は、旅にも携行して、繰り返し読んでいたようである。ツルゲーネフの端正な文章をヘミングウェイが偏愛していたというのは、何となく納得できる。その代わり、ドストエフスキーは、繰り返し読むことは難しいと述べている。その後、ロシア文学を超えて、その他の国の諸作品に、読書範囲は拡大して行ったと、述べている。トロロプ、フィールディング、その他多くの作家への言及がある。

フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』については、内容の批評には踏み込んでいないが、著者本人から本を借りて読んだ時の一種の衝撃については、具体的に書いている。この衝撃によって、ヘミングウェイは、たとえフィッツジェラルド本人がどんな人で、どんなことをしたとしても、支援し続けなければならないと、決心したと言う。

趣味、酒、食事

ヘミングウェイの文学にとって、酒や食事、そして様々な趣味―スポーツがその大きな部分を占める―は欠かせないが、それらに関する経験や蘊蓄が、このパリ時代の生活から始まるものであることが、分かる。
作者自身述べているように、酒なしで食事することはヘミングウェイにとってありえないことであり、カフェやバーやレストランでの飲食の場面には、必ず酒―ワイン、ビール、ウィスキー、ブランディ等―が現れる。しかし、常時見境なく飲んでいたというわけでは当然ながらなく、仕事に集中する前や仕事の最中には、酒は避けたと書いてある。
ヘミングウェイ本人の飲酒ではなく、フィッツジェラルドの飲酒についての描写も興味深い。リヨンとパリを往復する二人の旅行は、酒に弱いフィッツジェラルドの過剰な飲酒によってぶち壊しになるが、その後も彼は、妻ゼルダとの関係もあって、本当は控えたい酒を飲まざるを得ない生活に引き込まれて行く。それでも節制して仕事をしようとする作家と、それがどうしてもできない生活の中で、フィッツジェラルドが悲劇的な状況に堕ち込んで行く様の記述は、ヘミングウェイには、よく理解できたのではないかと思う。そしてこれだけは、他者の介入が簡単にはできない問題であることも。
本書に現れる限りで、ヘミングウェイのこの時代の趣味のうち大きな比重を占めていたのは、競馬であり、妻のハドリーとピクニック代わりに競馬場に行き、大金を当てた時の描写などは、明るくてとても楽しい。ヘミングウェイは一時期殆ど「副業」として競馬をやっていが、パリ時代の後半には足を洗うことになる。
後年、ヘミングウェイにとって最大の趣味(殆ど仕事)となる釣りについての本格的な記述は、本書にはまだ現れないが、セーヌ川での人々の釣りの楽し気な描写があり、またそこで釣れる小魚のフライは本当に旨そうに描かれている。
その他、ボクシングーエズラ・パウンドに教えていた―や自転車レースに関する記述が少しだけ現れるが、本書の後半で大きな部分を占めるのは、スキーである。ハドリーが妊娠中に二人で慎重にスキーを滑ったこと、雪崩による大事故等が描かれる。
そしてパリ時代の最後の頃のスキー場での出来事の中に、突然不透明で不思議な記述が混じり始める。それによれば、「リッチな連中」がその場に現れ、それによってヘミングウェイの生活は何らかの影響を与えられた、と言うのである。「パイロット・フィッシュ」と呼ばれる、得体の知れない人物(?)も現れる。解説を読まないと、その連中が何者なのか、誰が混じっていたのかは、分からない。しかしながら、純粋に作品として楽しむ際には、リッチな連中はリッチな連中で良く、パイロット・フィッシュはパイロット・フィッシュで良いのである。
こうして、ヘミングウェイにとってのパリ時代は、終わって行く。その頃、彼は既に短編集『われらの時代』や長編『日はまた昇る』を出版しており、フィッツジェラルドの仲介を経て、スクリブナー社と契約を結んでいた。まさに、新進気鋭、優秀な若手作家である。
しかしヘミングウェイは、本書の最後の章のタイトルを、「パリに終わりはない」と名付け、その時代を、貧しいが、幸せな時代だったと、回顧している。










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