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身体暗号として生きる人々に贈る、いくつかの妄想スケッチ

この記事は、「MESON Apple Vision Proアドベントカレンダー # 2」6日目の記事です。前日の記事はこちら

序文

Twitterの共同創業者であるジャック・ドーシーは、こう予言する。

「AIの発展によって今まで以上にフェイクコンテンツが普及するので、何が本当か嘘なのかが分からなくなる時代になる。そうするとシミュレーションに住んでいるように思えてくる。信頼するのではなく、何でも認証するのが必要」。

この言葉は、ソーシャルに投げ込まれた一石となり、波紋を広げていく。それでも私は、Apple Vision Proをはじめとする空間コンピューティングという領域を推し進めている立場上、真偽の怪しいデジタル情報を、より身体感覚に浸透させることを是としている。そこでは、認証はもはや単なるセキュリティ機能ではない。それは現実とデジタルの関係を定義し、我々の存在そのものを確かめる手段となるのだろう。


虹彩に刻まれた個性:生体認証の進化

認証技術の歴史は、人類が個別性へ向かう旅路だ。古代バビロニアの粘土板に刻まれた指紋から始まり、この旅は時代と共に進化を遂げてきた。19世紀、ウィリアム・ハーシェルがインドで指紋による契約書への署名を導入し、フランシス・ゴルトンが指紋の個別性を科学の光で照らし出した。

そして20世紀、人類の目は文字通り「目」に向けられた。アイリス・キャンベルが虹彩パターンの唯一性を発見し、レオナルド・フラムとアラン・サフィールが自動虹彩認識アルゴリズムの扉を開いた。1994年、ジョン・ダウグマンによって現代の虹彩認識システムの基礎が築かれ、その遺伝子は今、AppleのVision ProのOptic IDへと受け継がれている。

Optic IDは、ユーザーの虹彩を高解像度カメラで捉え、その独特なパターンをデジタル化する。このプロセスでは、虹彩の色素の分布、繊維状組織の配置、そして瞳孔の形状まで、数百もの特徴点が分析される。それらのデータは暗号化され、デバイス内の安全な領域に保存される。認証時には、ユーザーの視線がデバイスに向けられた瞬間、赤外線カメラが虹彩をスキャンし、保存されたデータと照合する。この過程はミリ秒単位で行われ、ユーザーは瞬きをする間もなく認証が完了する。

100万分の1の誤認率。全人類を対象とした場合、この数字でも危うさは拭えないかもしれないが、あらゆる認証技術を掛け算することでカバーできるだろう。

参考 ① :アップルの「Optic ID」ロックを目で解除する虹彩認証システム


身体という暗号:所作認証の世界

認証の未来は静止した瞳孔の中だけにあるのではない。我々の身体そのものが、動く暗号となる日が近づいている。わたしはこれを所作認証と言っている。我々の無意識の動きをデジタルの鍵に変える革命的技術になるだろう。

フィリップ・K・ディックによる1977年のSF小説。政府の捜査官である主人公は、自分自身を監視するという矛盾した仕事をしている。

妄想Jockey:A Scanner Darkly

想像してみてほしい。あなたが街を歩くたび、その足取りがユニークな IDとなる世界を。指でスクリーンをなぞる僅かな動き、立ち姿の微妙な変化、瞬きのリズムまでもが、あなたの存在を証明する。心臓の鼓動さえも、認証のプロセスに組み込まれる。ウェアラブルデバイスがあなたの脈動を読み取り、その日のストレスレベルまで把握する。

神経系の反応パターンまでもが認証に用いられる可能性さえある。外部からの刺激に対する、あなただけの反応が、デジタルの世界であなたを特定する。私たちは「存在」そのものが認証となる世界に足を踏み入れつつあるのだ。

参考 ①:生体電位を用いたウェアラブルデバイス向け動作認証方式の開発
参考 ②:離れた場所からでも歩行パターンで認識できる、生体認証技術


コンテキストに応じて変化する自己

安全が保障された固定的なIDは、状況に応じて形を変える水のようなアイデンティティになるかもしれない。これを“Fluid Identities”と名付けよう。

仕事上の取引では厳格な認証を、友人とのカジュアルな会話では緩やかな確認を。ユーザーは状況に応じて、自身の認証レベルを自在に操る。時には、特定の期間だけ有効な「使い捨てのデジタルペルソナ」を生成することさえ可能となる。

彼女は家族を救うため、並行世界で異なるバージョンの自分自身と協力し、マルチバースの脅威と戦います。

妄想Jockey:Everything Everywhere All At Once

さらに、この流動的なアイデンティティは、異なる環境を縦横無尽に行き来する。プラットフォームが変わっても、あなたは「あなた」であり続ける。この概念は、デジタル空間における「自己」の在り方を根本から覆す可能性を秘めている。

参考 ④:ジグムント・バウマン『リキッド・モダニティ』


セーフティツールが空気を読む

デジタルと現実が融合する新時代には、新たな形の守護者が必要となる。AI駆動型の境界設定システムは、ユーザーのコンフォートゾーンを学習し、他者との物理的・心理的な距離を自動的に最適化する。感情認識フィルターは、ユーザーの感情状態を正確に読み取り、ネガティブな相互作用を事前に回避する。

人の記憶を操作する能力を持つ「ペット」と呼ばれる超能力者たちを描くサイコサスペンスです。心理描写やトラウマ、記憶操作のテーマを扱います。

妄想Jockey:三宅乱丈 原作「Pet」

従来のファイアウォールは、デジタル情報の保護に留まらず、人々の精神性を守る役割も担うようになるだろう。これらの次世代セーフティツールは、デジタルと現実が交錯する世界における新たな「免疫系」として機能し、我々の心身の健康と安全を守り続けるだろう。


認証コンピューティング

空間コンピューティングの時代、認証は単なるセキュリティ機能ではない。それは我々の存在を定義し、現実とデジタルの関係を明確にする手段となる。

ダグラス・アダムズによるSFコメディ小説です。地球が突如破壊され、生き残ったアーサー・デントは友人フォード・プリーフェクトと共に宇宙を旅します。シミュレーションも楽しんでしまえば勝ちなんじゃないか?

妄想Jockey:銀河ヒッチハイクガイド

ジャック・ドーシーの予言する「シミュレーションの中の生活」。それは恐れるべき未来ではなく、我々が主体的に形作るべき新たな現実だ。認証技術の進化と共に、我々は自己と現実の定義を書き換えていく。そこには課題も多いが、同時に人類の可能性を広げる無限の機会が広がっているのだろう。

空間コンピューティング=認証コンピューティング。この等式が示す未来を、我々はどう生きるのか。その答えを見出すのは、他でもない私たち自身なのだ。未来は、私たちの瞳の中に、そして一つ一つの身振りの中に、すでに刻まれ始めている。



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