医療福祉界隈の自己犠牲について
わたしは今、福祉の世界で働いていて、医療職と非医療職の人と一緒に働いているのですごく感じることがあります。
それは、
医療関係者:その人のためにやってあげられることはなんだろう?と考えてやり尽くす!!それは自分の時間を使っても!
非医療者:え、そこまでやんなきゃいけないの?時間外手当も出ないのに??
という、温度感の差。医療職はやっぱり自己犠牲してでも、というホスピタリティの塊!!、みたいなところがあって。療法士だけの会合に行くと、今のわたしは引いちゃうことがある。こりゃ、一般の人はついていけんわ、ってなるよな、って。あー、偏ってるなって。どっちがいいとか悪いとかではないのだけれど。
医療福祉に関わるみなさん、どうですか??そんなようなこと、感じたことないですか?
障害の有無に囚われず、みんなが生きやすいような社会にしたいっていう思いはわたしも持っているのだけど、どうやって発信したら健常者が戸惑いなく、障害者が引目なく、活躍できる社会にできるのかなぁって思う。支援が行き過ぎてもダメだし、支援しなさすぎもだめ。そして対象者によってそのさじ加減が様々すぎて、難しい。
発信の仕方を間違うと、「障害者“様” 」になっちゃうのよ。社会的弱者には譲れ!っていうのは平等じゃないし。そもそも「社会的弱者」って言葉好きじゃないなあ。一緒に生活したり、働くにしても「この人にできることは、これだね、そうしよう。」って同意の上でいい形で切り出せたらいいけど
無理に作ったり、同居人や指導係の人がものすごく疲れちゃうようなのはいい形じゃない。
世の中にはいろんな人がいて、正直仕事が出来る人とできない人がいるのは事実だと思うのね。それは障害の有無に関わらず。
そしてその改善の姿勢とか努力ができない人がいるのも現実なの。
日本では生活保護っていうすごい制度があるから、最悪働いてなくても、生きていける。他の働いている人たちが収める税金で、救済している。どう仕様もない人がいるのももちろんわかってはいるんだけど、そこにあぐらをかいている人もいるのが、やるせなくなる。頑張って働ける人は働こうよ!!!って言いたくなる。
支援の仕事をしていて、時々、正直ぶっちゃけると疲れてしまうこともあって。そういう時にホスピタリティ100パーセントの人に出会うと目が焼けて開けられなくなるよ。そして、「ああ、あたしは優しくないな」って思ってしまう。
だから、こう思う。
やれるときに無理なく、自分がやれるだけ頑張る。
自分に余裕があるときは、できるだけ頑張るし、ちょっと疲れちゃってるなってときは、そっと口と目を閉じて、充電する。
そうやって、持ちつ持たれつでみんながお互い様だね、って言えると良いコミュニティができるような気がするんだ。
いつも同じ人が100%で頑張っていなきゃいけないわけじゃない。できる人ができるタイミングで、みんなを平均したらおしなべて100%みたいな。分散投資みたいな。(?)
そうやって生きやすくなるといいよね。
毎日決められた日に仕事に行っている人はみんな偉いと思うんだ。褒められるべき、称賛に値する。
資格を持って働いている人、勉強してきたことを社会に活かすことはきっと使命。勉強させてもらったことは発揮していくこと、大事なことだよね。
でも自分が壊れるまで頑張っちゃだめだ。きっと、自分「だけ」が頑張らなくても社会は回る。
大丈夫。