見出し画像

自分で作った「スマホゲームへの罪悪感」に気づいて手放した日

就職活動が終わり、
新しい職場での仕事は10月からとなりました。

9月中は時間にゆとりがあるので、
気の向くままに過ごそうと思っています。

最近ハマっているのは「数独

9×9のマス目に
数字が被らないように入れていきます


子どものころ、
新聞の日曜版に載っているのを
たまにやる程度でしたが
久しぶりにやったら面白くて!

スマホアプリでいくらでも問題が出てくるので
楽しんでいます。


でも、その一方で

「こんなことばかりして時間を無駄にしている」
「よくないと思いながら、またやってしまった」

と思い、素直に楽しめていない自分がいました。



ある日、このことを夫に話してみました。

「最近好きなスマホのゲームがあるけど、
 こんなことやって…と思っちゃうんだよね」
というと、

ええっ!?
とだけ言われました。

その「ええっ!?」はどういう意味?
と聞いてみると
「…疑問
とのこと。  


好きなら、楽しいならやればいいのに。
どうしてそう思うんだろう?

ということのようでした。


そうだよね、
誰からも禁止されていないのに
どうして罪悪感を感じるんだろう。


考えてみると、
最近までずっと心の根底にあった
認められたい」気持ちが影響していました。

勉強や仕事を頑張って
他の人からも分かりやすい成果を上げたい。
そうすることで、
過去に馬鹿にしてきた人たちを見返したい。

無意識の奥底にあった気持ちを
原動力に変えて、生きてきました。


詳しくはこちらの記事に書きました↓


ゲームに関しても、この気持ちは同じで

時間の無駄。
こんなことやっている時間はない,
目標達成のためにもっと時間を使うべきだ

と考えていました。


さかのぼれば、
新卒で就職したら会社にいたころ
仕事で成果を上げたい一心で、
帰宅後は英会話やTOEICの勉強をして

休日は
ビジネス系のテレビの録画を見たり
(なんとか宮殿とか、なんとかの夜明けとか)
専門書を読みに国会図書館まで行ったり
していました


趣味の時間も取らなかったわけではないですが
あくまでも
「目標達成に向けたリフレッシュ」
「勉強や仕事の効率を上げるため」
だから、という理由で
やることを自分に正当化できていました。


これを、
純粋に自分がしたいからやっていた
のであればよかったのですが

そうではなく、
外からの動機で行動を決めていたので

その心の歪みは
周囲の人への「怒り」という形で
現れました。



会社の同期には、ゲーム好きな人も何人かいて
昼休みに社食でゲームの話しているのを見ては

なんでそんなことに時間を使うんだろう。
馬鹿みたい。もっと勉強すれば?

と、いつもイライラしてました。  


その後、起業してからは
同じような感情が
起業仲間に向きました。

直接言ったことはありませんが、
なんでもっと行動しない?
ぬるいんじゃない?
と思うことも多くありました…


他人は、私とは違う優先順位で
やることを選んで実行しているのだから
他人が何をしていようと怒る必要はないし、
私は私で、自分の行動を選択すればいい

と、今なら分かりますが

当時は、他人の行動が気になって
仕方ありませんでした。

本当は、
どこかうらやましかったのだと思います。


「認められるため」に行動していた
という前提に気づき、手放せてから

今はようやく、

自分のやりたいことをやる、
人と違っても構わない。
自分と人どちらが正解・不正解もない。

と思えるようになりました。



とはいっても
ずっと遊んでいたいわけではありません。

ライターの仕事は続けていますし、
こうしてnoteを書いたり
次の仕事に向けて勉強したりもしています。


私が「充実している」と思えるのは

・自分の力を生かして相手の役に立てるとき
・知らないことを学び、それを生かせているとき
・新しい体験をして世界が広がったとき

この時間を増やすことが
プロフィールにも書いている
「安心と成長の両立」にも
つながっているのです。

そのためには
数独だけやっていてもダメでw
自分のためにやるべきことを決めて
行動していくことも必要なのは事実。


学び・成長と遊びのバランスをとる。
そのバランスの配分も自分で設定する。
それを実行した責任は自分でとる。

このことを改めて決めて、
あと半月のお休み期間も
仕事を始めてからも
楽しくいきたいと思います。


本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!