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日常編 第1章 お盆の法要で得たイマ風な知見

お世話になっております。ナリトモです

お盆シーズンにつき、実家に帰省しております。
そんな中、母方の実家で曽祖母の50回忌の法要に参列してきました。

法要には欠かせない(むしろコレがメイン?)イベント。それが、和尚からの有り難いお話。

今回の和尚は割と論理的で、何となく合点の行く話をしてくれましたので、その説法から得た、

「常識」なんて、ロクなモンじゃない

という知見を、(和尚の)具体的なエピソードを交えながら共有です。

仏像ってあるじゃないですか

お寺の本堂に入ると、なんかやたらデカイ祭壇にやたらデカイ仏像が祀られてますよね。
あの仏像は宗派ごとに異なる神様(御本尊)が祀られてるようでして、母方の実家は曹洞宗なので御本尊はお釈迦様となります。

ある日、不幸な事故が

代々お釈迦様として伝えられてきた仏像が老朽化してきたため、今回法要を担当してくださった和尚は、とある工房に修繕を依頼をしました。

すると、仏像を預かった工房から

これ、お釈迦様じゃなくて観音様だわ。装飾品を付けるための穴(お釈迦様には存在しないもの)付いてるし。

と連絡があったとの事で。

まじかよ。崇める神様、間違ってたのかよ。

偶像礼拝においてこれほど基本的かつ超重要なミスとか軽く引くレベルですが、この界隈では割とよくある話だそうです。
今回のお寺は大昔に火事に見舞われ本堂を焼失し、それを再建する際に火の手を逃れた仏像(お釈迦様)と、どっかの仏像(観音様)が入れ替わった説が有力だとか。
あと、大切なのは礼拝する人の心次第だからとか()

現在、そのお寺では

数十年の時を経てまさかの勘違いが発覚した訳ですが、本来の御本尊であるお釈迦様の仏像を新たに迎え、これまでお釈迦様と勘違いされ続けてきた観音様と一緒に本堂に並べられる事になったそうな。
(本来一人しかいないはずの御本尊を二人も配置するとか、マジ発想卍。)

まとめ

説法としては冒頭で述べた通り「常識なんてロクなモンじゃない」という結論です。

そんな話を聞いて「昔からこうだから」とか本人なりの常識をゴリ押すのはむしろ非常識だと感じましたし、

やっぱ宗教法人って、人生ヌルゲーだな。

などと、豪華絢爛な本堂を眺めながら感じた真夏日でした。現場からは以上です。

そのうちお金いただけたらいいなーとは思うけど、まだ自信ないっす。そんなナリトモに「自信出せよ!」という方がいらっしゃったら…w