【お遍路28】休む事でまとまった
歩き遍路をしていると、地元の人々の生活の中を自分勝手にお邪魔していく訳で、農作業している人や草むしりしている人の脇を通り過ぎる時にも割と気を使う訳です。
むげに、「こんにちは」なんて挨拶したら向こうも無視する訳には行かず仕事を止め、顔を上げて「こんにちは、ご苦労様」と返してくれます。
「あぁ、悪いことしたなぁ」なんて思いながら歩いたりしています。
僕はお遍路さんなのでお遍路さんの目線で色々想像しながら歩いています。
地元の人達の立場になれば目線が変わります。
ゆき荘の大将によると、「地元の人達はお遍路さんを見ていない様で見ているよ」との事。
声をかける時も、相手を見て、辛そうなら辛そうなだけ声をかけようかと思うそうです。
ただ、ここで難しいのが、お遍路さんをやっている人の中にはその辛いを経験するために来ている人がいるという事。(多数派なのかな?)
人の為に、自分の為に、様々なのがお遍路さん。
車を停めて声をかけて、「どっかまで載せていこうか?」なんて聞いてもその人には不要な事で、他人に構う余裕もないから声も出さずに断られる。
そんな都会にはない“ちょっと切ない人助けシーン”がこっちでは繰り広げられている様です。
お遍路さんをしていて大切だと思うことが「縁」。
「縁」について難しいのが「縁」の受け方かなぁと感じています。
ましてや、こっちはよそ者だし笑
この事に答えはないと思っています。
それはまさに言葉のキャッチボールみたいな?
そこに言葉がなくても察することも大切。
どこに投げられても飛びついてキャッチ。
相手の胸元へ返投。
この先、そんな事も学んで行けたらなぁと思っています。
@daiyamori