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「並進」概念から「相互並進」概念へ:意味の創発/生成のプロセス

私が、J学園(学部)に赴任して3年目、コロナ的状況/Emergency(経立/ふったちの猛威)下の2020年に、「emergence/創発」概念と出会い、「ふっ立つ」と言うある地方の方言に出会い、言い換えを試みたりしていました。

機械工学やロボット工学の論文を読んでいたとき、「並進/reflection」概念に出会い、その後、教育学的文脈(成田,2021:14)で援用し始め、探Q/探求を続けていきました。

その後、Ranjana Thapalyal(2018)Education As Mutual Translation: A Yoruba and Vedantic Interface for Pedagogy in the Creative Arts(書籍博論)に出会います。

「並進」概念の意味を新たな英訳語として “Mutual Translation”(現時点での言語化ですが、上か下かの危うい権威・権力性、時に暴力性を超える意味概念として解釈)を使い始めました。

拙著(2023)『物語「教育」誤訳のままで大丈夫!?-Education のリハビリ、あなたと試みる!-』KS21みらい新書執筆の過程で十数年こだわり続けてきたReflection/Contemplation概念 —する/させられる関係性— の見方・考え方・感じ方、在り方・成り方(てつがく)を探Q・愛Q・レスQ(応答)していった結果、Mutual Reflectionという意味がふっ立って/創発してきました。
辛うじて拙著に書き込み/入れ込むことができます。

J学園での教職員(学部生・高校生を含む)のための「自律的研修システム」のデザイン(共生共学をめざす中高カリキュラムの改革とともに下った学園長からのミッション)の過程で、「自律的研修システム」としてのLecture RADIO(羅生門的社会構成主義的番組編成 2020/8〜2022/3)+みなみさわ森のRADIO(体系的本質主義的番組編成 2021/10〜2022/3)という二つのインターネットラジオで、Do-Do-Do(よき実践のしっぱなし)のJ学園をここから始めないか、と問いかけ続けてきたのが、D・R・D・CD/Doing・Reflection(Fred A.J. Korthagenの9フレームによるReflection対話)・Documentation・Curriculum Design/Redesign(今井・成田2018「e-カリキュラムデザイン曼荼羅」の活用を推奨)でした。

J学園では、非キリスト者の私が中高生・学部生(教職員も聴く)にオンライン礼拝(の司会)もしてきました。
非キリスト者の私が初めてキリスト教/聖書との対話を通して、中高生・学部生に問いかける至福の10分間を経験しました。

その経験をAuto Ethnography / Poetic Ethnography に書き、ある学会の紀要に「実践報告」(研究論文や実践研究論文ではなく)として投稿しましたが、アカデミックな文脈を担保した実践研究論文に修正せよとの厳しい査読(Peer reviewなどとは言えない)結果を頂き、結局、取り下げ理由書を書き、編集委員会宛に「実践報告」投稿を取り下げ宣言しました。投稿原稿を大幅に加筆したAuto Ethnography / Poetic Ethnography として私のWeb Site上にアップしました。アカデミックな専門性が危うい権威・権力性(時に暴力性)となりうることを感じ、考える契機になりました。
オートエスノグラフィーとしての「創作叙事詩・解題」のかたちの実践報告
非キリスト者による礼拝の記録とその意味:2018年10月~2022年2月


J学園を去った2022/3の翌月から2年間、TOKYO854「くるめラ」で「なりっちの越境する学び練馬区立の時間です!/越えるまなくらタイム」で、RADIO Personality体験(ラジオネームでリクエスト曲・メッセージ/探Q的Contextを頂き、なりっちなりにScript Designを経てResponsive Broadcasting/レスQ)を通して、多世代・多職種・無職の市民/住民(Inhabitants)リスナーさんと相互に「並進/Mutual Translation /Mutual Reflection /Mutual Documentation」(口承文化記録)してきました。

今年2024年1月、「能登半島地震」からふっ立ってきた並進概念はMutual Careでした。
これは、3.11東日本大震災・原発事故2011(Web-ethnography)・(新潟県中越地震2004)・阪神淡路大震災/ボランティア元年1995へと遡り、過去の記憶と記録へおもい(重い・思い・想い)を馳せた結果がこの意味英訳でした。
☞ 成田喜一郎(2002)「意味ある学び、学ぶ意味の深まりを求めて~『アフガニスタンの診療所から』を読む~」佐藤郡衛監修『国際をテーマにした学習活動50のポイント』教育開発研究所、pp.61-64.

4月、株式会社キーステージ21の顧問就任の挨拶の中で初めて「相互並進」概念を認(したた)めました。(挨拶文の脱稿9月と公開10月)

7月、大妻女子大学の金田卓也さんとの共著(対談集)『越境する対話』KK researchの第10章で、新旧の人類学的知見を読み込み、そこに通底する「相互性/Mutuality」概念に出会いました。

拙著(2023)p.166の「あなあきの木」の写真と寺澤満春の詩に込めたメタファー(いわゆる歴史的概念“anarchism”を超えた次世代型概念として創発/生成されてきた意味)がこの共著で記述言語化されてきました。

昨今、その歴史的概念をタイトルに冠する多くの書籍が出回り始めていますが、私は、歴史的政治的学術的文脈から定義したり、説明したりはせず、「あなあきの木」のメタファーとその木の根元に集える小人数の方々(専門家-素人関係を超えて多世代・多職種・無職の市民/住民Inhabitants)と「相互並進」を感じ、考え、ささやかに行っています。

10月 神無月に入って stand.fm(ラジオ)で盲目のRADIO Personalityと出会いました。その出会いは、なりっちの「よみききの世界」をお聴きくださったところから始まりました。
その番組は「目の見ない人に青をどう伝えるか」という問いへの応答ラジオです。「目を瞑っていても「青/Blue」は聴こえ感じられるかも......」(10分 2024.10.3 なりっち)そのRADIO Personality「運波セラピストみゆき」さんと「相互並進/Mutual Listening」し始めております。みゆきさんは「人智を超えた方/存在(神さま)」からのメッセージを伝え、届けてくださる方です。一宗派・一宗教の「存在」からの言葉ではなく、言わば、「やおよろず/八百万の方々/存在」からの多様な言葉が、それも耳を傾ける人たち(私を含め)の日常で「思い当たる節/It rings a bell」として聴こえてきます。
人智を超えた目に見えない方/存在との相互並進の可能性への気づき」(19分 2024.10.18 なりっち)

10月11日に拙著(2023)の読者とご一緒に『あなたと私の並進読書:引用文集録+(コメント)』冊子(初版)をつくりました。このMutual Reading/並進読書 という意味英訳を使っています。

10月21日、ここかしこにあるEducationをこえて(註)、自他相互に「涵養成る/化育成る」こと/ Mutual Educationをめざす一連の試みを意味します。

 (註)フランス在住のなおきさんから拙著(2023)KS21みらい新書にいただいた新しいタイトル案です。

2024年10月22日、フェイスブックに以下のような投稿をしました。

コロナ的状況下、2020年「並進/Translation」と出会い、探Q愛QレスQを重ね、ラジオとサイト上で意味の創発(emergence)/生成(generate)の記録を語り書きづけてきました。

まだそれは続くだろうが、今朝、ある市民/住民の方にお伝えした言葉をラジオとサイトにしました。standfm「相互並進って、何だろう?:Mutual Translationの試み」(聴く24分)

収録・配信したあと、「相互並進」を単に「並び進むこと」ではなく、
未だ来ないどこかに向かってお互いに並び進み合うこと」とした上で、
2020年から今日までに創発/生成されてきた意味を記述言語化してみた。

【相互並進って、何だろう?】

「お互いに通じ合う言葉を探り創り交わし合い(Mutual Translation)、また、お互いにこれからを見通すためにこれまでを問い直し(Mutual Reflection)、お互いにその記録を創り残し合い(Mutual Documentation)、お互いに世の中のひと・こと・とき・ところを読み解き合い/聴き合い(Mutual Reading /Listening)、お互いに「する/される」関係を越えてケアし合う(Mutual Care)など、お互いさま(Mutuality)をもとに、未だ来ないどこかに向かって、互いに並び進み合うことを意味しているのではないかな」

付記:Mutual Education
「ここかしこにあるEducationをこえて、あなたと私が未だ来ないどこかに向かって、互いに並び進み合いながら、地中の種(seeds)が水と光と気温、土の養分によって芽生えるように、ひとやいきものがお互いに目に見えない/見える存在や自然によって、じっくり・ゆっくり・うっとり、じ・ゆ・うに変化し、育つ「涵養成る/化育成る」(Mutual Education)を求め(needs)、ひとつらなりの試みを意味しているのではないかな」
2024.10.22 なりた きいちろう

「相互並進」概念は、「寄り添う」「伴走」という一方向からのリニアな行為ではなく、まさに「Mutuality/相互性」が担保された行為・現象であると考えています。

*写真は、Wadsworth, Yoland(2011)Everyday Evaluation On the Run : The user-friendly introductory guide to effective evaluation 3RD EDITION. Allen & Unwin.表紙のイラストです。


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