亡くなった初恋の男の子との思い出🌟適応教室で初恋🩷
亡くなった初恋の男の子との思い出。
中学生のころ、適応教室(不登校やひきこもりの子がゆく学校)にいたときに、初めて男の子に恋をしたよ。🌙くんっていうの。
パソコンの授業のとき、先生が『ひかりちゃんに教えてあげて』って、たまたま隣にいた🌙くんに言って、普通の男の子は絶対教えてなんかくれないのに、🌙くんはやさしく教えてくれてね、その瞬間から、大好きになったよ。
次の日、適応教室のお友だちから、🌙くんのメアドを教えてもらって、たくさんのメールのやりとりをしていたよ。
どんなに夜が遅くても、いつも必ず返事をくれていたね。
わたしは、適応教室では、場面緘黙症のように声を失っていたから、メールでおしゃべりできるのが楽しくて、毎日のように🌙くんとメールをしていたよ。
女の子のお友だちと🌙くんのメールのやり取りも、こっそり全部見させてもらっていたよ。
女の子のお友だちには、なんか、くまさんのパジャマの写真とか(レディースだったけどなに送ってるの?)驚かせる心理テストみたいなのを送っていて、
わたしにはそんなのひとつも送ってくれていないのにね、友だちにはこんなにやさしくしてて、わたしにはなんだか素っ気なくて、当時は、あれ?対応が違う?なんで?って思っていたよ。でも今思えば、好き好き言っていたから、引かれていたのね。
でも、あるとき、わたしに心理テストを送ってくれてね、お?きたの?と思って、友だちのを見てて内容は確認済みだから、超~びっくりしたふりをして、超~驚いたふりをして、ビックリマーク何個もつけてあげたの。そしたら、🌙くんめっちゃ喜び感じていたね✨かわいかったな。
でも、今思えば、みんなとは違うような、1人だけ違う反応をしておけば、もっと面白かったかな、なんてちょっぴし後悔しているよ。
適応教室の行事で公園へ行ったときは、お友だちが、🌙くんの隠し撮りをしてくれて、わたしはそれを保存して、たからものにして毎日お家で見ていたよね。
そのあと結構すぐにメールで告白をして、待ってる時間はドキドキだったね。いいよ。っていうお返事をくれたとき、うさぎみたいに飛びはねるほどうれしくて、いまでもそのときの気持ち、覚えているよ。試し付き合いねって言われたのに、わたしのどこが好き。とか変なこと聞いてまた引かれていたよね。
付き合うことになった次の日に、クラスのみんなには内緒で、行っちゃいけない決まりだった室内の屋上へ行って、2人きりでお弁当たべたよ。
🌙くんは、おにぎり入らない、なんて言っていて、
いつもあんまりごはんが食べれていない感じだったね。わたしも緊張してお弁当全然食べれなかったよ。
せっかく2人きりで屋上へ行ったのに、わたしはいつも声を失っていたから、おしゃべりなんて出来なくて。パカパカ携帯を取り出して、うまく喋れなくてごめんね、ってメールの画面を見せたの。
そしたら、僕も人見知りだから、ってやさしく言っていたね。
そういえば、初めてクラスの前に立って自己紹介していたときも、君はそんな感じだったよね。
せっかく2人きりでいたのに、なんか急にね、変なクラスの男の子が、エレベーターで上がってきて、
お?やっぱり、付き合ってたの君たち?
って登場してきて、は?なんでわかんの?なんて洞察力なの?なんて無神経なの?すごい邪魔だったね。
でも、そのあと、その変な男の子と🌙くんが仲良くなっていて、わたしの話とかいろいろしてくれていたのかなあ。
付き合うってなったのに、そのあとは、あんまり進展しなくって。すごく期待してたから、がっかりしたのを覚えているよ。なんかほかのクラスの女の子とカラオケ行ったりもしてて、え?なんで?🌙くんなにしてんの?って思いながらも、
わたしはそのカラオケの女の子にすぐさまメールしてね、女の子が🌙くんの隠し撮りをいっぱいしてくれて、たからものにして、保存してまた毎日見ていたよ。
そして、そのあとの記憶が薄いかな。
多分メールのやり取りはしていて、わたしは声を失っていたのに、なぜだか電話を一生懸命かけようとしていたり、でもやっぱり全然うまく喋れなかったね。
🌙くんは、声がかわいいね、なんて言ってくれてたね。
でも、結局3日〜1週間くらいで別れてしまって。
理由は、勉強が~、とか🌙くんが言っていた気がするけれど、
友だちと🌙くんのメールのやり取りをみたら、 ちょっと重たい、って書いてあったのを見てしまったよ。
別れたあとに苦しくてたまらず、ママの前でいつもどうしても泣けなくて、いつも人前で苦しみをだせなくて、気持ちを隠してしまうよ。だから公園のぶらんこに乗りながら、しばらく1人でずっと泣いていたよ。3日間はごはんが食べられなかったよ。それでも、別れたあとも、メールのやり取りはしていたよ。
わたしは、メールで1回、ごはんのしゃもじのことを、
わざと『ししゃも』って言って、送ったことがあったよ。そしたら本当に言い間違えを信じてくれていて、🌙くんは、わたしに騙されていたね❣️❣️✨
そのあとの記憶は、クラスの子たちみんなで、カラオケへ行くことになって。
🌙くんが、前にどこかで『ひかりちゃん』って下の名前で呼んでくれたことがあったのに、みんなの前ではわたしのことを苗字で呼んでいたから、それが悲しかったのを覚えているよ。
カラオケでは、わたしは声を失っていたから歌えなかったのだけれど、みんなの歌を聴いていたら、なんだか🌙くんといるのがつらくなってしまって、カラオケボックスを出て、隅っこで、ひとりで泣いたの
いつも仲良くしていた女の子が3人いたのだけれど、 絶対つらいとおもったからって、
3人とも駆けつけてくれて、🌙くんにも泣いてるところを見られてしまって、
トイレでしばらく4人でいたのを覚えているよ。お友だち、みんなやさしかったな。
カラオケボックスへ戻ったとき、🌙くんが、大丈夫?って声をかけてくれて、やさしかったな。
あと誰かが飲みもののコップを倒して、カラオケボックスにはたくさんの男の子がいたけれど、一番最初にすぐさま拭くものを持ってきて拭いてあげていたところを、わたしはすごく覚えていて、そういうところがとても大好きだったの。
バレンタインの日に、🌙くんに手作りのチョコを渡したときは、実はママが親戚に作ったやつだったけれどね、🌙くんに、超~一生懸命作ったよ!って顔をして渡したよ。メールでお礼を言ってくれて、うれしかったの覚えているな。
メールの内容で、クラスの別の男の子の話になったとき、🌙くんが、あいつは部屋中がティッシュだらけ、とかそんなようなことゆってて、わたしも中学生のときRADWIMPSとか好きだったからね、『そこにある』とか『コンドーム』とか、そういうのばっか聴いてたからね。
でも、🌙くんの前で、知らないふりした返信をして、わざとかわゆくみせていたね。
そしたらほんとうに信じてくれてて、本当にわたしに騙されていたね❣️❣️✨
あとね、みんなのチャレンジスクールの高校受験にむけて、面談の練習をしたとき、男の子のクラスメイトがいっぱいいたけれど、🌙くんだけ、すごく喋るのが上手だったよ。
メールの文章もいつも上手くて、そんなところが大好きだったの。
うまく文章が書けないわたしは、いつも🌙くんへの返信を考えるのに、すごく時間がかかっていたな。
そのあとの記憶は、別れたあとなのに、急に、ホワイトデーのお返しをしたいからってメールでゆわれて、えっ?と思って、 わたしの最寄駅まで、🌙くんが来てくれたんだ✨❤️✨
プレゼントのふくろ、 音があまりしないようなビニールの小さな袋を渡してくれてね、わたしの家までついてきてくれて、送ってくれたよ。
わたしは、やっぱり病的な緊張で、プレゼントのふくろを、鞄にしまわないで、持ったまましばらく歩いていてね、『ん?しまいな?』って声をかけてくれたね。道路の内側を、必ず歩かせてくれたよね。
2人きりで歩くのが、緊張、緊張で、息がもう、うまくできなくて、呼吸をするのが苦しくて、窒息しそうだった… 調子悪くなりそうだったよ。
でも、平気そうなふりをして、歩いたんだ。
歩きながら、プレゼント、どれにしようか迷ったけれど…ってゆってて、なにか物なの?って、おうちにつくまで、ドキドキがとまらなかったよ。
おうちのアパートの自転車置き場のところで、しばらくいっしょにいてくれて、わたし全然声が出せないのにね、🌙くんは、たくさんお話してくれてたね。
わたしがメールで一度だけ、🌙くんに自撮りの写真を送ったことがあってね、その写真を、なあにこれ?っていう感じで、うれしそうに駐車場でわたしに見せてくれていたね。
帰るとき、ひとりで帰るから、ってゆってて、え?あんなに長い道、一回で覚えられるの?迷わないの?って、方向音痴なわたしはびっくりして、そんな彼の頭の良いところが、とても大好きだったの。
お部屋について、さっそくプレゼントの中身を見てみたら、ネックレスだったよ。
銀色のおはなが縦に小さく3つ並んだ、きらきら、きらきらしたダイヤがいっぱいついたやつで、おはなの真ん中のきらきらのダイヤは、水色だったよ。
すきな男の子に、こんなことされたの、生まれて初めてで、ずっと忘れられないよ。
そのあとも、メールのやりとりをしていて、声が出せないんだったら、喋る練習しようか?ってゆってくれて、わたしの最寄駅の近くの大きな公園で、2人で、たくさん、たくさん歩いたね。
たくさん、たくさんの場所を歩いた記憶があるよ。
公園のなかで、机がある椅子にすわって、
🌙くんが、わたしの髪をさわったり、わたしのツインテールをぴょこぴょこ動かしていたね。
わたしは、やっぱり病的な緊張で、表情や身体が、まるで固まるようになってて、俯いてただ座ることしかできなくて。それを同じ机に座っていたおじいさんが、 なんだろう?この子?っていうように、不思議そうにわたしたちを見ていたね。
ベンチがたくさんある広い緑いっぱいの場所で歩いたときは、ふたりで歩きながらしばらくパカパカ携帯のメールでお喋りしたね。声が出なくてごめんね話せなくてごめんねってメールしたら、
『君の可愛い顔を見られるだけで十分だよ。 』ってメールが来て、きゅんとしたよ。ますます大好きになったね。
公園のなかの、長い、長い、何もないような細い道で歩いていたときは、大きなハチがきて、わたしは怖くて、びっくりして、よけて止まったら、🌙くんが、虫?ってゆって心配してくれたのが、なぜかやさしくされたように感じて、それもうれしかったな。
公園を出て近くの道路を歩いたりもしていたよ。 適応教室の女の子のお友だちの家のすぐそばの角のようなところで、🌙くんにメールで、手を繋いでもいい? って、思い切って聞いてみたの。
🌙くんは、すこし悩んでいた気がしたけれど、困ったような、やさしそうな表情をして、『いいよ。』ってゆって、手を繋いでくれたよ。そのときに、手やわらかいね、ってメールがきて、うれしかったな。
手を繋ぎながら、バスがよく通るような道路を歩いたり、川がある道をずっと歩いたよ。
川の水は浅いのだけれど、でも奥深くて、おおきな続く川がある道で、川にはいつもカモさんが泳いでいたよ。
その場所で『似合っていてよかったよ。』って、お花のネックレスをつけていたのを初めて気づいてくれた瞬間が、それがうれしくてたまらなくて、そのときの、薄い水色のような空の色や、すこしさむかったような空気や緑の葉っぱがカサカサ動いていたような風景とかも、わすれないよ。
そのときに、肩からはみでた下着の紐を、隠すようになおしてくれたね。
そのあとに、おなかがすいたからって、近くのマックに行ったよ。
わたしもとてもおなかがすいていたけれど、病的な緊張のせいで、食べる姿を見られるのがいつも怖かったから、買ってあげるよってゆわれたけれど、いらないって首を横に振ったよ。
🌙くんは、骨がついたような、シャカシャカチキンをたのんでいたなあ。
店内の広さから真ん中あたりの、2人掛けの、1番右側の端の席にすわって、🌙くんは、シャカシャカ、シャカシャカしていたね。
わたしは、固まったように緊張して、俯いていたね。
メールのお喋りで、ごめんね、と伝えたら、こういうのが何だか楽しい、って、そんなふうにゆってくれたね。
🌙くんが食べているあいだ、MDとかCDウォークマンのようなもので、イヤホンをとりだして、わたしの耳につけてくれたんだ。
なんの歌だったのかな?今すぐにでも、思い出せたならいいのにな。 メールで、だれの歌?と聞いた記憶があるのに、すっかり忘れてしまったよ。
『男の子がお化粧してるの?』ってメールして、『ヴィジュアルメイクだよ、それ(笑)』って🌙くんがゆってたから、聴かせてくれた歌は、ビジュアル系のバンドだったのかな。
わたしは、中学生のころ、BUMP OF CHICKENや、RADWIMPSが大好きで、よく聴いていたよ。BUMPは小学校4年生のときから大ファンで、お兄ちゃんの影響で、おもしろフラッシュ倉庫みたいなサイトをみていて、ラフ・メイカーを聴いたら、もう大ファンになってね。それからBUMPが大好き。
BUMPは、クラスのほかの男の子はみんな聴いていなかったけれど、🌙くんがBUMPとラッドがだいすきでね、歌の趣味も、わたしといっしょだったね。
イヤホンの話をしたときに、SONYが1番音質いいよ、って🌙くんメールでゆってたね。
確かうちのお兄ちゃんもSONYが1番音質がいいって、同じことを家でゆっていたな、って思い出したよ。
そんな頭が良さそうなところが大好きだったよ❣️❣️✨
🌙くんが、パカパカ携帯で、地図をみていて、いろいろなお店を調べてくれてね、マックを出た後、🌙くんに連れられて、ふたりでいった近くのお店が、シャッターが閉まっていたね。中に入れなかったね。
そのあと、手を繋ぎながら、わたしの家まで送ってくれたよ。緊張でね、手に汗びっしょりでね、ほんとうごめんね。
家までついて手を離したとき、汗すごいねってゆわれて🌙くんは服で手を拭いていたけれど、嫌な顔ひとつしなかったね。
おうちについても自転車置き場のところでしばらく2人でいてね、そのときに🌙くんにすごい触られたよ✨お腹のわきを両手でさわられて『えっ、細っ!』ってゆわれて、脚はずっとコンプレックスだったれど当時はお腹は細かった?ほっぺもなでなで、なでなで触られて、わたしはされるがままでいたよ。
でも、今思えば、このとき、積極的に、自分から、キスをしておけばよかったな、って後悔しているんだ。
自分から、たくさん抱きしめて、このまま二度と離れたくないよ、そんなことば言いたかったな。後悔でいっぱいだよ。
せっかく 2人きりでいたのに、このあと急にママが自転車で帰ってきて『こーんにーちはー!』とかゆって、なんてタイミングでくるの?ママよ、 ほんと邪魔だったね。
最後、🌙くんが帰るときに、うちは、なぜだか、初めて声が出せたの。『帰り道、ちゃんとわかる?』って、ゆったんだ。
🌙くんは『大丈夫だよ。』って微笑んで、帰っていったよ。声を出せたのは、最後のお別れのときだけだったけれど、喋る練習をするっていう約束が守れたから、よかったな。
🌙くんは、学年がひとつ下の後輩に、告白されていたみたいなのだけれど、断っていたみたい。やっぱりモテモテだね。それなのに、わたしとは付き合ってくれたの?それだけで、もう嬉しくて、満足だよ。
でも、そのあとに、卒業間際にね🌙くんに、適応教室で好きな人ができたみたいで、誰かに告白して振られていたみたい。
お友だちと🌙くんのメールのやりとりを見たら、恋愛がよくわからない。悩んでる。っていうようなことが書かれてあって、そうだったんだね。まだ中学生だったから、みんなそうだよ。
でも、わたしはずっと🌙くん一筋だったけどね。🌙くんに、いつも一途だねって、 そんなふうにゆってくれていたね。
🌙くんが告白した相手が、最初誰だか全然わからなくって、噂もぜんぜん広まってないし🌙くんにメールで、だれなの?だれなの?だれが好きなの?ってずっと聞いててね、最初はずっと教えてくれなかったけれど、わたしと仲良くしてた3人の女の子のなかの1人の子に、告白してたって教えてくれたよ。
えっ!そうだったの?ってメールでその女の子に聞いたら🌙くんなに教えてんの!って、女の子は怒っていたな。わたしが傷つくとおもって、ゆわなかったんだな。
女の子に、メールで🌙くんのこと、好き?きらい?って聞いたら、好きじゃない、ってゆっていたけれど、わたしのせいで付き合わなかったのかな?どうしよう?でも、そんな友だち思いのやさしい子だったから🌙くんは好きになったんだね。やさしい子が好きなんだね✨
卒業するとき🌙くんに告白してた後輩の女の子から、メアドを聞かれて、教えたら、 付き合ってたの?っていろいろ聞かれて、あんなことあった、こんなことあった、うれしかった✨って、メール1通だけの内容だったけれど、話してしまって。
それがよくないことが、 中学生のわたしはさっぱりわからなくて
ただただ素直に話しちゃって、気遣いとかが、ぜんぜんわからなかったね。
そのへんが知的障害なのかな?今でも気持ちを隠すとか、そういうことが苦手なんだ。
でも悲しい気持ちは隠しちゃう。泣くときは絶対ひとりじゃないと嫌なんだ。矛盾してるね。
うれしかった、楽しかったって後輩に話しちゃって、後輩の女の子が🌙くんに『えー、付き合ってないのに手を繋ぐとか、それ、やばー』みたいなことを送っちゃったみたいで🌙くんから、すっごく怒ったメールがきて、
わたしは、つらくて、つらくて、ママの前では泣けないから、電気屋さんのお店のおトイレで、声を殺してずっと大泣きしていたよ。
何度も謝りのメールをして🌙くんが、もういいよ。って許してくれた、そんなこともあったね。
🌙くんと、チャレンジスクールの高校は別々だったのだけれど、なんで同じ高校にしなかったのか、今でもずっと後悔しているよ。
わたしは、なぜだか自分の意思が全然なくてね、ママとパパが、ここにしなさいって言ったところに、ただ受験して通ったんだ。
受験のときは、チャレンジスクールは、作文と面接が試験内容だったのだけれど🌙くんも、うちも、1回で受かったよ。
うちは本番に強いタイプだったからね✨3年間場面緘黙症だったくせに、面接では声をなんとか出せてね、脚はずっと震えていたけれど、見た目をすごく強く見せていたら、受かったね。
それで、受かった報告をしに、適応教室へ行って、やっぱり適応教室では声が出せなくてね、先生たちに笑ってみせたら、受かったんだね!って先生みんな喜んでいたな。やさしい先生ばかりだったよ。
そのあと🌙くんが電話したいってわたしにメールでゆったのかな?なんかトイレの個室で話した記憶があるな。人前で話せないから、 誰もいないトイレの個室へ行ったんだ。
『おー!受かったのー?』ってゆわれて、でも、全然うまくおしゃべりできなくてね、悲しかったのを覚えているよ。面接ではあんなに喋れたのにね。
🌙くんは、俺も受かったよ!って電話で教えてくれたよ。
最後の適応教室の日の帰りに🌙くんが、わたしじゃなくて、好きってゆってた女の子に、最後にドアを開けて、じゃあね って気まずそうに挨拶して、すぐドアしめて行ってしまったのを、わたしは階段の上から眺めていたね。 この姿が、1番最後に見た🌙くんだね。
それで、月日が経って、高校3年生のときに、いきなり急に、年賀状が届いたんだ。
体調元気?とか、ちゃんと高校行ってる?とか、誰かわからなかったらスルーしてね、って書かれてあって、わたしはうれしくて、泣いてしまったよ。
わたしが高校3年のときは、すごい精神的に不安定なころで、リストカットしてたりとか、死にたいってよく思っていて、リストカットの傷はぜんぜんかすり傷ていどなんだけど、今でも腕に傷が残っているよ。
年賀状が届いて、🌙くんの存在を思い出して🌙くんに急に頼りたくなってしまって、友だちに今の🌙くんのメアド聞いて、連絡してみたんだ。
おー!元気?みたいな感じで、なんか絵文字をすごく使うようになってて、ほー、こんな感じの🌙くんも、かっこいいね💓って思ったよ。
髪がプリンになってるとかゆってて、え?染めたんだ!見たい!いいな~会いたいな~って思ったよ。
メールでは、彼女いるの?今、彼女いるの?ってずっと聞いてた気がするね。教えてくれなかったけれどね。
そのあと、どれくらい経ったかな?
年賀状が来た次の年の11月に、急に、喪中のはがきが届いたんだ。
🌙くんが、9月に18歳で永眠って書かれてて、見た瞬間 、しばらく思考が停止して、頭真っ白になったよ。
その日、急いでお友だちのお家にいって、何か知ってる?って聞いたら、知らない、って。
だから、適応教室行って、先生に知らせて、先生が🌙くんの高校へ連絡してくれたんだ。
理由を聞いたのだけれど、原因がわからないらしくて
朝にベッドで冷たくなってた、って。
高校生の頃、ある男の人に騙されて。悲しくて、悲しくて、大泣きして。その人からもらったプレゼントをぜんぶ捨ててしまって。そのときに🌙くんからもらったネックレスも捨ててしまったんだ。形見になったのに、すごく、すごく、後悔しているよ。
初恋の男の子。大好きだったからとても悲しい気持ちでいっぱいだよ。
🌙くんの、『死んだら、残された人がどれだけ悲しむと思う?』このことばが、ずっと、忘れられないよ。
おしまい