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漫画「16bitセンセーション」を読んでみた(個人的感想&副読本的補足説明など)

こんにちは、「なり」と申します!

これまで私のnoteにおいて、美少女ゲームに関する記事を2本ほど書いて参りました。
もし興味がございましたら、ぜひご覧頂ければと思います。

上記の2つの記事はいずれも、過去(特に1990年代)の美少女ゲームに関するものとなっています。
せっかくこれらの記事を書いたので、前から気になっていたある漫画作品を読みたいと思いました。
そう、タイトルにもあります通り、90年代の美少女ゲーム界を描いた作品である「16bitセンセーション」です。

本記事では、この「16bitセンセーション」を読んだ感想と、その内容に関する補足などを書いていきたいと思います。
特に補足については、「16bitセンセーション」の内容をさらに深く理解できる、副読本のようなものとなっています。
最初にお断りしておきますが、今回の記事は約2万5千字のかなり膨大なものとなってしまいました。時間の無い方は気になったところを拾い読みするか、あるいは時間を掛けてゆっくりお読み頂ければと思います。

なお、本記事の内容については、私の知識不足や事実誤認などにより、正確ではない記述があるかもしれません。予めご了承のほど、何卒よろしくお願い致します。



「16bitセンセーション」の原案者について

「16bitセンセーション」とは

漫画「16bitセンセーション」は、漫画家である若木民喜氏によって描かれた作品です。若木氏は、テレビアニメ化された漫画「神のみぞ知るセカイ」などで有名な方です。
また、本作の原案として、みつみ美里氏と、甘露樹(あまづゆたつき)氏の両名がクレジットされていますが、両氏は共に90年代の美少女ゲーム界において、原画やキャラクターデザインなどで活躍していました。
若木氏はもともと90年代に美少女ゲームをプレイされていたようで、その頃の記録を漫画として残したいと、みつみ氏と甘露氏に話を持ち掛けたところ、本作が企画されたそうです。
この「16bitセンセーション」は、当初2016年に「コミックマーケット」において同人誌として頒布されました。

その後2020年に、KADOKAWAより「16bitセンセーション 私とみんなが作った美少女ゲーム」というタイトルで、単行本として刊行されました。
現在は2巻までが発売されており、今回私が読んだのはこちらとなります。

そして昨年の2023年に本作は「16bitセンセーション ANOTHER LAYER」としてテレビアニメ化されました。
こちらについては、機会があれば視聴の上、記事にしたいと考えております。

カクテル・ソフトについて

本作の内容について語る前に、どうしてもみつみ氏と甘露氏について説明する必要があるでしょう。
両名ともに、「カクテル・ソフト」という美少女ゲームのブランドでゲーム制作を行っていました。
なので、まずはカクテル・ソフトの説明から始める必要があります。

カクテル・ソフトは、株式会社ジャストと、有限会社キララという2つの美少女ゲームメーカーによって設立されました。
株式会社ジャストは、1985年から「ジャスト」というブランド名で美少女ゲームをリリースしていました。「天使たちの午後」シリーズで一躍有名になった、当時の代表的な美少女ゲームメーカーでした。
そのジャストから独立したメンバーが設立したのが有限会社キララであり、1987年に「フェアリーテール」というブランド名で美少女ゲームをリリースするようになりました。
この有限会社キララは株式会社ジャストから独立したとは言え、両者は良好な関係だったようです。その証拠に、80年代後半のフェアリーテールのゲームのパッケージには、「フェアリーテール」と「ジャスト」の二社の名前が揃って記載されていることがありました。

なお、有限会社キララはその後、株式会社アイデスとなり、さらにエフアンドシー株式会社となって現在に至ります。
この「有限会社キララ→株式会社アイデス→エフアンドシー株式会社」という一連の会社からは、数多くの有名な美少女ゲームクリエイターが輩出されました。
詳細は下記リンク先の「元スタッフ・関係者」をご参照願います。

前述の通り、「カクテル・ソフト」は有限会社キララと株式会社ジャストの共同により、1989年に設立されました。
「カクテル・ソフト」という名称は、両社のいいところを混ぜ合わせる(カクテルする)というところから来ているそうです。
これは私の勝手な推測ですが、おそらく有限会社キララと株式会社ジャストから、それぞれ人材を出し合って作られたチームのようなものだったのではないかと考えています。

「フェアリーテール」の作品は、H度がやや高めであったり、シリアスな作風のものがあったりしました。
これに対して「カクテル・ソフト」の作品は、「明るい」「陽気」「コミカル」といった作風のものが目立ちました。
私の手元には、「美少女のゲーム カクテル・ソフト Official Guide Book」という、1994年に出版された本があります。かなり貴重な文献であると思います。
この本にはカクテル・ソフトのゲーム作品が、設立時から1994年頃まで、ほぼ全て紹介されています。
この本に紹介されている作品の多くを私はプレイしていますが、好きな作品は結構あります。
さらにこの本には、当時のスタッフのインタビューなどが載っています。残念ながら、みつみ氏や甘露氏と思われる人物は載っていないと思います。時期的に考えると、両氏がカクテル・ソフトに係るようになってまだ間もない頃と思われます。


みつみ美里氏と甘露樹氏について

カクテル・ソフトについてご説明したところで、原案者であるみつみ美里氏と甘露樹氏についてご説明しましょう。
経歴については基本的に、本作の時代設定である1992年~1998年頃を対象としています。

みつみ美里氏は、前述した有限会社アイデスで、アルバイトとしてグラフィッカーの仕事を行っていました。グラフィッカーとは、原画(紙に描かれた絵)を元にしてCGを作成する人のことです。Wikipediaの記載から考えると、1993年頃からキャリアをスタートしたようです。
みつみ氏のグラフィッカー時代の作品は、残念ながらネットを検索しても判明しませんでした。ただ、「CARROT」というペンネームを使っていたようなので、気になる方は探してみるとよいでしょう。
その後アイデスに入社し、「きゃんきゃんバニー プルミエール2」(カクテル・ソフト、1996年)や、「Piaキャロットへようこそ!!2」(カクテル・ソフト、1997年)にて、キャラクターデザインと原画を行うようになります。

その後、1998年にアイデスを退社し、甘露氏らと共にLeaf東京開発室を設立することになります。
Leafは「雫」(1996年)と「痕」(1996年)で知名度を上げ、「To Heart」(1997年)で大ヒットを記録しました。Leafは当時、兵庫県伊丹市に開発室がありました。
そのLeafが、実質的に引き抜きのような形でみつみ氏と甘露氏をスカウトしたことになります。
そのLeaf東京開発室の第1弾となった作品が、「こみっくパーティ―」(Leaf、1999年)です。当時はLeafの絶頂期だったことも手伝って、この作品は大ヒットを記録しました。
絵に関しては、256色とは思えない鮮やかな色使いが話題となりました。

おそらく、この作品からみつみ氏がメジャーになったと思われます。
彼女の特徴的な画風は「みつみ絵」と呼ばれると共に、多くの模倣を生み、それらは「みつみクローン」と呼ばれました。


もう一人の原案者である甘露樹氏ですが、彼(男性の方・・・・・・ですよね?)もみつみ氏と同様に、アイデスにおいてグラフィッカーの仕事を行っていました。
甘露氏がアイデスの仕事を行うようになった時期はほぼ特定でき、1994年4月頃と考えられます。
その根拠ですが、「電撃ナース2 ~モアセクシー~」(カクテル・ソフト、1994年)のマニュアルにおいて、次のようなコメントを寄せているからです。

入社して3ヶ月。ちっとは絵もうまくなったでしょうか?
では、プレイヤーの皆さん、ナースの世界にどっぷり漬かって下さい。
それにしてもこのゲーム隠れキャラ多いなあ。

「電撃ナース2 ~モアセクシー~」公式ガイドブック(という名のマニュアル)P2

「電撃ナース2 ~モアセクシー~」が発売されたのは1994年7月29日なので、その3ヶ月前となると4月となります。
つまり、みつみ氏よりもやや後になってカクテル・ソフトの仕事をするようになったのでしょうか。

甘露氏が注目されるようになったのは、何と言っても「Pia♥キャロットへようこそ!!(略称「Piaキャロ」)」シリーズでしょう。本作で彼はメイン原画に抜擢されました。
このゲームが始まると、最初にレストランの制服を選ぶことになりますが、この制服を着たキャラが本作のメインヒロインである森原さとみです。ハッキリ言って、かなり可愛いですよね?この原画を担当したのが甘露氏です。

その後は「Pia♥キャロットへようこそ!!2」にてみつみ氏と共に原画を担当します。
そして前述の通り、みつみ氏と共にアイデスを退社し、Leaf東京開発室を設立しました。「こみっくパーティ―」も、みつみ氏と共に原画を担当しています。

みつみ氏と甘露氏のキャラ造形はかなり似ていることもあり、原画を分担しても特に違和感を感じません。
違いは目の描き方に現れるようで、瞳の上端に白い楕円がある方が甘露氏で、そうでない方がみつみ氏の原画と思われます。

漫画「16bitセンセーション」について

「16bitセンセーション」の概要

そろそろ本作「16bitセンセーション」の内容に入っていきましょう。
本作は、1992年~1998年頃の美少女ゲーム界が背景となっています。
主人公である上原メイ子が、美少女ゲームメーカーである「アルコールソフト」でグラフィッカーとして働くことになる、という話です。

この漫画では、「アルコールソフト」は架空のメーカーであり、「アルコールソフト」が制作したゲーム作品も架空のものです。
その一方で、当時のゲーム作品やゲームメーカーなどが実名で登場しています
これは、当時の美少女ゲーム界の状況を表現するにはどうしても実名を出す必要があったからと思われます。(そもそも本作の趣旨は、当時の美少女ゲーム界の様子を漫画として記録する、というものでした)
そして、基本的に各話は1年度毎に進んでおり、各年度の代表作が取り上げられています。
例えば、第1話となる「16bitセンセーション Vol.1」は、1992年が時代設定となっており、1992年における美少女ゲーム界の状況などが描かれています。そして一番最後のページに、1992年にリリースされた代表的な美少女ゲーム作品がリストアップされています。

「16bitセンセーション」を読む際の注意点

本作を読む上での注意点は、本作はあくまでフィクションだ、ということでしょう。
当時の美少女ゲーム界の史実が背景として描かれている一方で、アルコールソフトの人々やメイ子などのストーリーはフィクションであり、事実そのままではない、ということです。
本作は、みつみ氏や甘露氏など、当時の美少女ゲーム関係者からの話を若木氏が聞いた上で、オリジナルの漫画として作り上げたものです。
関係者からの話はあくまで素材に過ぎず、漫画として面白くなるように、若木氏がアレンジしている、という点に注意が必要です。

私の偽らざる感想

先に本作に関する私の感想を述べておきましょう。
漫画としては、それなりに楽しんで読めたと思います。
単なるバイトのグラフィッカーでしかなかったメイ子が、様々な経験を経て、原画やキャラクターデザインを担当し、ついには自ら企画まで担当するようになった、というビルドゥングスロマンと捉えることができます。
その過程で大なり小なりのドタバタコメディがあったり、業界の事情を踏まえたドラマが描かれたりしています。

しかし、私にとって大変残念だったのは、ほとんどのエピソードが、当時の美少女ゲーム業界における、一般的なあるある話に留まっていることでした。
例えば、「アパートみたいな部屋に少人数が集まって、泊まり込みで美少女ゲームを作っていた」といった程度の話であれば、ある程度美少女ゲーム界を知っている人ならほとんどの人が知っていると思います。
みつみ氏や甘露氏といった、当時の美少女ゲーム界のリアルな事情をよく知っている方々が原案なので、もっと踏み込んだ内容を私は期待していました。それだけに肩透かしをくらった格好になります。

しかし、本作はこういう作りにならざるを得ないのだと思います。
若木氏はあくまで漫画として面白いものを作ろうとしたのであり、完全なるノンフィクションを作ろうとしたのではないのです。
それに、もしノンフィクションに近いリアルなことを書こうとしても、書くことのできない「大人の事情」が多々あったのだろうと思います。
下手なことを書けば、当事者から訴えられて裁判沙汰になる可能性があります。関係者によっては、美少女ゲーム界にいたことそのものを秘密にしておきたいと思っている人も少なからずいるでしょう。

それは分かります。理屈として、頭では理解できます。
しかし、当時の美少女ゲーム界の文化的資料という側面を期待してしまう私としては、本作はどうしても物足りなく感じてしまうのです。

美少女ゲーム界のもっとリアルな内情を知りたい方は

私のように、本作を読んで物足りなさを感じてしまった方には、次のような文献をお勧め致します。
これらを読むと「16bitセンセーション」で描き切れなかった背景事情が分かると共に、本作をより一層理解できるようになるかもしれません。

田所広成の反省記 業界の浮雲児が見た90年代エロゲの時代 F&C編

田所広成氏は、カクテル・ソフトでプロデューサーやシナリオを担当していました。いわば、みつみ氏や甘露氏の上司に当たるようなポジションだったと考えられます。
残念ながら、田所氏は2018年の暮れに他界しています。
私は、彼が担当した「電撃ナース」シリーズがとても大好きでした。抱腹絶倒のギャグの嵐がたまらない作品でした。
この本は、そんな田所氏が綴った、F&Cのノンフィクションのような読み物です。
私は未読ですが、機会があれば読みたいと思います。
まずは下記のブログを読めばよろしいかと思います。

ある、古参のエロゲプログラマー(エログラマー)の戯れ言

これはKENJI氏という人物のブログです。
KENJI氏はなんと高校生の時からカクテル・ソフトの制作にプログラマーとして参加し、その後もバーディーソフト、ディスカバリー、スタジオトゥインクルなどで数々の有名作品を手掛けています。
このブログには、「16bitセンセーション」で描かれた時期の美少女ゲーム業界の、あまりにも生々しい話が次から次へと綴られています。

KENJI氏やスタジオ・トゥインクルについては、下記のリンク先も参考になると思います。
こちらに映っている写真の、右から2番目の男性がおそらくKENJI氏と思われます。

エルフソフト陥落の歴史

本作でも取り上げられているエルフの栄枯盛衰について書かれたサイトです。
内容は真偽が不明なものもあるため、それを承知の上でお読み頂ければと思います。


「16bitセンセーション」各話の副読本的補足説明

話を「16bitセンセーション」に戻しましょう。
本作を読んでいると、色々と気付いたことや、「これは知らない人には補足が必要だろな」と感じたことが多々ありました。
かなり長くなりますが、本作の各話につき、コメントや補足説明などを皆様にご紹介できればと思います。
なお用語については、本作中に説明されているものについては、本記事では改めて説明しない旨、ご容赦願います。

16bitセンセーション Vol.1(1992年)

物語は1992年を舞台として、主人公である上原メイ子(当時19歳)が、ゲーム会社であるアルコールソフトに泊まり込みをしているところから始まります。
勝手な推測ですが、メイ子のモデルはみつみ美里氏、アルコールソフトのモデルは名前からしてカクテル・ソフトと考えられます。

当時の16ビットパソコンの代表機であったPC9801ですが、第1巻P10で「一般人が手に入れても何をやっていいかよく分からず、できることはゲームくらいしかなかった」とありますが、そもそもPC98はオフィス用のパソコンとして販売されていたことを忘れてはいけません。一般人の使い方としては、ワープロや表計算ソフトがメインだったと思われます。
但し、インターネットが普及していなかった当時、それ以外の使い道としてはゲームくらいしかなかった、というのは事実だと思います。

第1巻P23で、1992年以前のCG事情が書かれています。
PC98の標準装備で4096色中16色が使えるようになったのはPC-9801VX(1986年11月)以降であり、それ以前のPC98や、当時主流であった8ビットパソコンでは、デジタル8色しか使えないのが普通でした。このため、中間色を表す方法はタイリングしかありませんでした
その頃のゲームを見れば分かりますが、人の肌の色は、「赤と白」とか「黄色と白」の組合せで描かれていました。
「ラップスキャン」は、私が中学生の時に似たような方法を使っていました。しかし、ラップだとどうしてもラップがたわんで線が引きにくかったので、丈夫な透明のセルを使っていたと思います。

第1巻P29では、「プリンセスメーカー」(ガイナックス、1991年)の画面が出ています。ここでシナリオ担当のキョンシーが「ほら ここをこーしてこーして」とすると、メイ子が「ええ~!!」と驚きます。
「プリンセスメーカー」は主人公が女の子を養子として育てるゲームですが、女の子には夏服や冬服など、服を着替えさせることができます。
ここで「HELP」キーを押しながら着替えをさせると、「とりあえず脱ぐ」というコマンドが出ます。それを選ぶと、何と女の子が全裸になってしまう、という裏技があるのです。

第1巻P32に、アルコールソフトの架空のゲーム「晴れのち磁気嵐」が載っています。
この元ネタですが、タイトルやそのロゴから考えて、「晴れのち胸さわぎ」(カクテル・ソフト、1995年)であることは間違いないでしょう。

内容はSFということで、「今度は宇宙でラブコメディ!!」とありますが、この頃にカクテル・ソフトが出したSF物と言えば、「ナイキ」(カクテル・ソフト、1991年)か、「COSMIC PSYCHO」(カクテル・ソフト、1991年)であり、この辺りが元ネタと思われます。

90年代の前半までは、SFの美少女ゲームが結構作られていました。
それが90年代後半に入ると一気に作られなくなり、SFゲーム好きの私としてはとても残念でした。

第1巻P36でPCソフトのレンタルについて書かれています。
かく言う私も中学生の頃は、地元のレンタルソフト屋でゲームを調達していました。
しかし、ゲーム業界からの猛反発により、1987年頃にゲームソフトのレンタルが禁止されてしまいました。
ちなみに私が通っていたレンタルソフト屋は、レンタルができなくなった後、レンタルしていたソフトを販売する店になっていました。

16bitセンセーション Vol.2(1993年)

この話の冒頭では、「同級生」(エルフ、1992年)という作品に対する業界関係者の反応が描かれています。
「同級生」は大ヒット作品かつ金字塔的名作であるというのが一般的な評価です。この作品については私の思い入れもあるので、別の機会に詳細に紹介したいと思います。
本作のポイントは、この「同級生」に対して業界関係者が冷ややかな反応を示しているところです。
あっさりと表現されていますが、「やられた!」「出し抜かれた!」「でもマネできない・・・」「ウチはウチでやるよ」といった、「衝撃→焦り→諦念」が業界関係者の心情であった、と推察されます。

実際、「同級生」は大ヒットしたにも係らず、その作風を模倣しようとしたゲームメーカーはほとんどいませんでした。
しかし、少しでも「同級生」の極意を会得したいと必死に頑張ったゲームメーカーがありました。
それが「ボンびいボンボン!」というブランドです。
「ボンびいボンボン!」は株式会社ビジュアルアーツのブランドであり、当時は社長である馬場隆博氏がシナリオを担当していました。ビジュアルアーツは後に「Key」というブランドを創設して大ヒット作を連発し、業界トップの座に就くことになります。

「ボンびいボンボン!」の作品には、「同級生」の要素が部分的に盛り込まれたものが目立ちます。
少なくとも、「ヌークII ~レミーの逆襲~」(ボンびいボンボン!、1993年)、「不揃いのレモン」(ボンびいボンボン!、1994年)、「ヌークIII ~最後の性戦~」(ボンびいボンボン!、1994年)にはその影響が伺えます。
特に、これらの中では「不揃いのレモン」が最も同級生の要素を多く盛り込んだ作品と考えられます。

「同級生」にかなり作風が近い他メーカーの作品は、「同窓会 ~Yesterday Once More~」(フェアリーテール、1996年)くらいしかないと思います。「同級生」が出てから4年近くも経って、ようやく模倣作が出たことになります。

第1巻P43に、「沙織事件」と、それを受けて作られた「ソフ倫」についての説明が書かれています。

「沙織事件」は美少女ゲーム史上最大の事件であると言え、有限会社キララからは逮捕者まで出ています。
カクテル・ソフトをモデルにするのであれば、この事件についてもっと深堀りして描いて欲しかったところです。ま、業界の黒歴史なので、あまり触れたくないのだとは思いますが。
「局部はエロゲでは丸出し」は実際その通りで、1987年~1991年の美少女ゲーム作品では、むしろ丸出しがスタンダードであったと思えるほどです。
特に、同じく逮捕者が出たジャストの「天使たちの午後」シリーズは、沙織事件まではHCGは丸出しのオンパレードでした。
「天使たちの午後」も美少女ゲーム史上の重要作品と言えるので、こちらも別の機会に改めて紹介したいと思います。

第1巻P44に、架空のゲーム作品「にゃんにゃんハニー大作戦」が載っています。
これはタイトルやジャケットの感じからして、「きゃんきゃんバニー スピリッツ」(カクテル・ソフト、1991年)が元ネタと思われます。

第1巻P44の端に「カクテル・ソフトの1993年の発売ソフト数は8本」とありますが、年に3~4本がスタンダードだった時代に、この本数は驚異的と言えます。
「きゃんきゃんバニーエクストラ」(カクテル・ソフト、1993年)のような名作扱いされている作品もあれば、「えろちっくBAKAノベル」を自称する「電話のベルが・・・」(カクテル・ソフト、1993年)といった手抜き作品まであります。「カスタムメイト」(カクテル・ソフト、1993年)は、手軽にHCGを楽しみたい方にはお勧めの作品です。

第1巻P69に「下半身なんて何も描かなきゃいいのよ~」という、CG担当の下田かおりのセリフがありますが、「沙織事件」の後、局部に何も描かれず、ただの肌色しかないという作品が目立ちました。エルフの作品にその傾向があったと思います。

第1巻P73の架空のゲーム作品「晴れのちときどきバケーション」の元ネタは、「晴れのちときどき胸さわぎ」(カクテル・ソフト、1997年)と、私の過去記事でも紹介した「DOKIDOKIバケーション ~きらめく季節の中で~」(カクテル・ソフト、1995年)と思われます。


16bitセンセーション Vol.3(1994年)

第1巻P81~P82で「ときめきメモリアル」(KONAMI、1994年)について紹介されています。
この作品が大ヒットしたことで、恋愛物の美少女ゲームが世間に広く認知されることになります。
この作品については、また別の機会で紹介するかもしれないので、詳細は割愛します。

ただ一言、「ときメモ」についてはどうしても言いたいことがあります。
他の多くの恋愛系美少女ゲームは、「多くの女の子と仲良くなる」ことを良しとしています。最終的に対象を一人に絞るとしても、「同時攻略」を狙って複数の女の子と仲良くなることを目指します。
しかし!この「ときメモ」の場合、「全ての女の子とも仲良くしないと、お目当ての女の子と結ばれない」というトラップが仕込まれているのです。
「あれ?さっき言ってたことと同じじゃないの?」と思った方がいらっしゃると思いますが、「仲良くなる」の内容が違うのです。

他の恋愛系美少女ゲームの「多くの女の子と仲良くなる」というのは、せいぜい「会って会話をする」という程度に過ぎません。
ところが「ときメモ」の場合、「出会った女の子全員とデートしなければいけない」のです。
女の子とデートをするには、その日をその子のために空けなければいけません。しかし、スケジュールには限りがあり、デートできる女の子の人数も限られてきます。
このため、「お目当ての女の子を確実に攻略するためには、他の女の子と極力出会わない」という、他作品ではあまり見られない攻略手法が必要になるのです。
プレイ中に一定の条件が満たされると、主人公はそれぞれの女の子と出会ってしまいます。このためプレイヤーは、お目当ての女の子以外はその条件を満たさないように、神経を使ってプレイする必要があります。
つまり、「他の女の子と出会うことがプレイヤーにとって不利になる」という、美少女ゲームらしからぬ要素があるのです。

私が「ときメモ」をプレイしていた時、メインヒロインであり、かつ最も攻略が難しいとされる藤崎詩織を狙ってプレイを進めていました。
他の女の子と極力会わず、かつ各種のパラメータ数値を上げて行きました。
3年目になれば他の女の子と出会うことは無くなります。
もうすぐ2年目も終わろうとしていたその時・・・
こともあろうに、2年目の学年末テストで上位を取ってしまいました。
すると、主人公の頭の良さに惚れ込んだ女の子が会いに来たのです!
他の女の子と会わずに済むようになるギリギリのタイミングで、よりにもよってこの女の子がやって来てしまった、という訳です。
この展開だけでも非常にイヤな気分になったのに、その女の子のルックスが余りにもヘンな風貌だったので、私は憤懣やる方ない気持ちになりました。
長い脱線となってしまい大変恐縮ですが、「ときメモ」といえばこのお話だけはどうしてもしたかったのです。(ちなみに、藤崎詩織は無事に攻略できました)

第1巻P83~P85に掛けて、アルコールソフトの店長の息子である六田守が「オートフロッピーチェンジャー」なるものを発明した、という下りがあります。
「ゲームのフロッピーディスク(FD)の枚数が多くなってきた」という時代背景を表現するためにこのエピソードが作られたと思います。
しかし、ここの部分を読んだ多くの読者は、「それ、単純にハードディスク(HD)にインストールすればいいだけじゃない?」と思ったと思います。
つまり、FDの内容を全てHDに入れてしまえば、FDの入れ替え作業は不要になるのです。

ただ知っておかなければいけないことは、当時はHDを持っていなかったプレイヤーがそれなりにいた、ということでしょう。
ゲームメーカーとしても、FDドライブしかないプレイヤーを想定して、ゲームを制作していたそうです。
この状況が変わったきっかけと言われているのが、「Rance IV -教団の遺産-」(アリスソフト、1993年)の発売と言われています。
この作品も当初はFD入れ替えでもプレイできるように開発が進められていましたが、途中で断念してHDへのインストールを必須にしたそうです。
この作品がヒットしたことで、HDドライブを購入したプレイヤーが増えると共に、HDインストール専用のゲーム作品が主流になっていったそうです。

但し、HDへのインストールについては、当時のゲームメーカーの対応は非常に冷たいものでした。
当時のゲームマニュアルを見れば分かりますが、HDへのインストールはオマケのような扱いだったのです。
しかも、「MS-DOSの知識を十分に持っている人だけがやって下さい」「もしインストールに失敗しても責任を持ちません」といった感じで、極力責任を回避しようとしていました。
そのインストールの方法も、初期の頃は「ユーザーがMS-DOSのCOPYコマンドを使って、FDの内容をHDにコピーする」という方法でした。
それからしばらく経つと、「インストーラ」というHDへインストールするためのプログラムがFD内に収録されるようになりましたが、MS-DOS上でコマンドを打つ方法に変わりは有りませんでした。
その後、1995年頃になってようやく、ユーザーフレンドリーなインストーラが当たり前となり、MS-DOS上でコマンドを打つことなくHDインストールが出来るようになりました。

第1巻P87~P90の内容は、当時の美少女ゲーム界を知る上で重要なエピソードと思われます。
Hだけに終わらないストーリー性のあるゲームを作りたい」と主張する下田かおり(CG担当)と、「しょせんエロゲなんだから大したことしなくていいだろ」と主張するキョンシー(シナリオ担当)と店長との間で、意見が真っ向から対立します。

その引き合いとして、2つの美少女ゲーム作品が取り上げられています。
一つは「DESIRE 背徳の螺旋」(シーズウェア、1994年)です。
これはSF作品ですが、菅野ひろゆき氏によるシナリオが高いストーリー性を持っており、名作と評価されている作品です。私も大好きな作品です。
この作品も、別の機会に改めて記事にするかもしれません。

もう一つの作品は、「Libido7」(LIBIDO、1994年)です。
これは自称「おかずウェア」を名乗っており、ゲーム性は全くと言っていいほど無く、ひたすらHCGを見るだけの作品です。そのHCGの内容が過激であったことから、当時話題となりました。

今でこそ「DESIRE」は名作と評価され、家庭用ゲーム機(CS機)に移植されたり、リメイクやリマスターをされたりして、現在でもプレイできます。
しかし1994年当時は、「DESIRE」よりもエロに特化した「Libido7」の方が売れていたのです。
美少女ゲーム会社の経営を考えると、「Libido7」のようなエロに特化した作品の方が、確実に利益が得られると判断するのも仕方がないと思います。

しかし、これらの2作品共に、制作された背景について知っておいた方がよいと思います。

菅野ひろゆき氏は、初めてシナリオを担当した「悦楽の学園」(シーズウェア、1994年)が低評価に終わったことを受けて、ストーリー性を大幅に高めた作品として「DESIRE」を制作することになります。
しかし、ストーリー性を重視すると、どうしてもH要素が手薄になってしまいました。これを危惧したシーズウェアの上層部が、「もっとエロ要素を盛り込め」と菅野氏に指示したそうです。その結果、「DESIRE」の一部のシナリオだけが妙にエロに特化しており、作品全体から見ると浮いた存在になっています。

一方のLIBIDOですが、当初は一般ゲームのRPGを制作していたものの、売上は良好ではなかったそうです。
そのため、「Shinc」(LIBIDO、1993年)というRPGの作品で美少女ゲーム界に参入したのですが、思ったほどの成果は得られなかったようです。
「ならばエロに全振りしてやれ」という半ばやけっぱちな気持ちで作られたのが「Libido7」だった、という訳です。
幸いこの作品がヒットしたことで、LIBIDOの知名度が上がることになります。

第1巻P112~P114では、マスターアップと納品までのエピソードが簡単に語られています。
マスター」というのは、ゲーム本体の入ったプログラムやデータなどのことで、このマスターを工場でFDなどの媒体にコピーすることで、製品としてのゲームパッケージが作られます。
このマスターを完成させることを「マスターアップ」と言います。
美少女ゲーム界に限らず、多くのゲームメーカーは納品のスケジュールに間に合うようにマスターアップを迫られました。
納期が近づくと、マスターアップのために開発現場は修羅場になる、というのはよく聞くエピソードです。
当時の美少女ゲームのオマケには、マスターアップに追われる開発スタッフのコメントがよく載っていました。「もうあと1時間で納品しないといけないのに作業が全然進んでない・・・どうしよう・・・」といった内容が多かったと思います。

第1巻P116に「Western City」という架空のゲーム作品が載っていますが、この元ネタは「Daemon City」(カクテル・ソフト、1993年)と「ハーフムーンにかわるまで ~蘭宮涼の虹色玉手箱~」(カクテル・ソフト、1994年)と思われます。


16bitセンセーション Vol.4(1995年)

まず冒頭から「同級生2」(エルフ、1995年)の発売について描かれています。「同級生2」についても、別の機会に改めて触れたいので、本記事ではごく簡単な記述に留めます。
「同級生2」は大ヒット作品ですが、この後数年間の美少女ゲーム界の興隆のきっかけとなった作品と考えられます。
本作に描かれている通り、「同級生2」は前作「同級生」よりストーリー性の拡充が施されました。

ですが、第1巻P125の若木氏のコメントについては、一言言わせて下さい。

『同級生2』は前作に比べて全ての要素で進化していましたが、退化している部分がありました。それが「エロ」です。
ストーリーはより純愛寄りになり、前作で重要な役割を果たしていた大人達の影が薄くなりました。
それに伴って、登場人物はより幼く、よりピュアになっていきます。

「16bitセンセーション」第1巻P125

ちょっと待ったぁ~っ!!
「同級生2」は前作「同級生」にはない魅力があるのです。
それは大っぴらに言ってしまうと、「熟女のエロ」なのです。
前作「同級生」にも真行司麗子という人妻キャラが出ていましたが、彼女は25歳の設定であり、人妻ではあっても熟女ではありません。
それがこの「同級生2」には、年齢的にアラフォーのキャラが2人も出ているのです。
この作品で人妻や熟女の魅力に目覚めたプレイヤーも少なからずいたと思います。

それではご紹介しましょう!
まずは「鳴沢 美佐子」という女性キャラです。
美佐子は未亡人であり、主人公の家に同居しつつ、自宅に付属している喫茶店を営んでいます。
主人公の父親は長らく不在であり、主人公の母親が他界している状況で、美佐子は自然と主人公の母親のような役割を担っています。
この美佐子が非常に母性溢れる性格であると共に、肉体も熟女ならではの色香をムンムンと放っているのです。

図1 憧れの美佐子さんがおっぱい丸出しで背中を流してくれるなんて・・・もう感激・・・

そして次にご紹介するのが「永島 佐知子」という女性キャラです。
佐知子は主人公が温泉旅行した際に宿泊した宿の女将ですが、こちらも未亡人という設定となっています。
この佐知子も妖艶な色気をこれでもかと身にまとっており、熟女好みにはたまらないキャラです。
お察しの通り私は熟女好きですが、ひょっとしたらこの「同級生2」で一番好きなキャラは佐知子かもしれません。

図2 佐知子の入浴中に遭遇。豊満な両胸と腰回りがたまらなさ過ぎてもう・・・

しかも、これら2人はれっきとした攻略対象なのです。
これら2人と結ばれるようにプレイを進めると、エンディングで主人公はそれぞれと結婚することになります。
残念ながら倫理面の問題で、本作のプレイ中はこれら2人とセックスをすることはありません(Hシーンはあるが、挿入は無し)。
しかし、エンディングで結婚した後はセックスすることになると想像すると、それだけでたまらない興奮が体を駆け巡ります。(実際佐知子EDの場合、2人が交わっているCGが描かれます)

第1巻P126~P129において、一つの会社の中に「アルコールソフト」と「スピリッツソフト」の2つのブランドが出来た、という下りが描かれています。
しかし、一つの会社に複数のブランドなり制作ラインがあるというのは、美少女ゲーム界では当たり前なのです。それらの異なるブランドが同じ建物内にある、ということも不思議ではありません。
さらには、一つの会社の中に複数のブランドがあるならまだしも、会社間の境界までもが曖昧だったことさえあったようです。
先ほどご紹介したKENJI氏のブログ「ある、古参のエロゲプログラマー(エログラマー)の戯れ言」には、次のような記述があります。
KENJI氏は、バーディーソフト、ディスカバリー、オレンジソフトという3つの会社で、同時に仕事を行っていたようです。

3社にいるという異常な状態だったが、他の数社でも仕事をした。
同じ様な事をやっていた人がいたし(ただし1度のみ)、
基本は給料をもらっている会社にメインでいたし、
仕事をおろそかにした覚えがないので気にしなかった。

「ある、古参のエロゲプログラマー(エログラマー)の戯れ言」2009年6月4日

また本作では、CG担当の下田かおりが一旦は退社したものの、店長に土下座されて会社に残り、店長に代わってゲーム制作のディレクションをするようになった、という下りが描かれています。
この下田かおりのモデルではないかとどうしても想像してしまうのが、美龍(めいろん)という美少女ゲームクリエーターです。
彼女はCGや原画だけでなく、ゲームの企画まで行っていました。
その彼女の代表作が「CAL」(バーディーソフト、1990年)、「CALⅡ」(バーディーソフト、1991年)です。
特に「CAL」は当時としては有り得ないほどクオリティの高いCGで話題になり、結構売れたそうです。

美龍氏は結果的にバーディーソフトを退社し、スタジオ・トゥインクルというゲームメーカーを立ち上げて、自身が代表の座に就きます。
そのスタジオ・トゥインクルの創設に、先ほどのKENJI氏も参加しました。その時の様子はKENJI氏のブログに書かれています。
実は、KENJI氏のブログと共に貼ったリンクには、スタジオ・トゥインクルのメンバーの写真が写っているのです。
改めて再掲しますが、写真の右端が美龍氏です。

美龍氏は、美少女ゲームのHCGのためだけに女性キャラが消費されていく状況を嫌気していたようです。
その根拠として「CAL」のマニュアルには次のような記載があります。
美龍氏による記載かは不明ですが、この「CAL」は美龍氏のアイデアを全面的に取り入れた作品なので、美龍氏のコメントと私は解釈しています。

『CAL』は、キャラクター(美少女達)との会話とプレイヤーのとる行動が、ゲームの内容を決めるのです。
つまり、キャラクターの一人一人の個性と会話を大切にしています。(今までに、何人の「Hするだけの大量生産女の子」が生まれたことか・・・・・・

「CAL」マニュアル P1

これは、本作における下田かおりのセリフと結構符号しているように感じるのです。

これからはもっと女の子に肉薄して!!
恋愛をちゃんと描かないとダメ!!
うちのゲームってば
女の子がなーんとなく話して
なーんとなくH!! そんなのばっか

Hがあるってだけで許された時代は終わり!!
まともなゲームを作らないとつぶれるわ!!

「16bitセンセーション」第1巻P87

第1巻P131に、「アルコールソフト」から分裂した「スピリッツソフト」が第1作として「TENDERNESS」という作品を出した、という下りが描かれています。この「TENDERNESS」という作品は凌辱モノでした。
美少女ゲーム史において重要なポイントは、1995年から恋愛要素のある作品が増え始めたのとほぼ同時期に、それとは対極的な凌辱や調教などのハードな路線の作品が増えていった、ということです。

その代表作と言えるのが「SEEK ~地下室の牝奴隷達~」(PIL、1995年)です。本作の第1巻P133でも言及されています。
PILは、前述した元カクテル・ソフトの田所広成氏が創設したブランドです。
「SEEK」はSMまがいの方法で3人の女性を牝奴隷へと調教するゲームです。

本作は調教ゲームとして高い評価を受けました。
私も一応この作品をプレイしてクリアしましたが、SMが苦手な私にとっては苦痛でしかなく、「もう止めたい」「早くクリアして終わらせたい」と思いながらプレイしていました。

16bitセンセーション Vol.5(1996年)

ここから第2巻に突入。
時代も1996年と、PC98美少女ゲームの絶頂期に当たります。

冒頭では新生アルコールソフトの第1弾「ぼくらのSAY HELLO!」がヒットして5万本も売れたことが描かれています。
儲けたお金を元手にアルコールソフトの皆さんは散財に走るのですが、当時美少女ゲームで儲けた人たちは多くがこんな感じだったそうです。

例えば本書で述べられている知り合いの業界人の羽振りの良さ、ビジュアルアーツの馬場社長が大阪のクラブで1本30万円のボトルを開けるだとか、菅野ひろゆきのフェラーリでレインボーブリッジを爆走、といったエピソードが開陳されるのは業界の成長ぶりを物語っているように感じました。そういう、これからどうなるのかという夢のある時代に身を置けた事は、純粋に羨ましいと思います。

Hiroki Kaneko氏ブログ「田所広成の反省記 業界の浮雲児が見た90年代エロゲの時代 F&C編 上巻」

この回の主役は、アルコールソフトの店長の息子であり、天才プログラマーでもある六田守(当時14歳)です。
PC98について熟知しており、大人たちからの依頼にサクサク対応できます。
この守のモデルは、高校生にしてフェアリーテール(制作に参加していたのは主にカクテル・ソフトの作品)に入ったプログラマーであるKENJI氏ではないかと、私には思えて仕方がないのです。
有り余るほどのプログラミング能力に加えて、大人たちに対してスカした態度を取っていたところなど、結構共通点があるのです。

晴のち大騒ぎのスタッフロールでは、ゲーム本体は384kbで動くのだが、スタッフロールは640kb必用で、無い場合はハングしてしまうと言うふざけたプログラムを組んだ。なめたガキだった。

その後、運転免許拾得、学校卒業と、仕事と学業を両立していと考えていたが、徹夜の際の仮眠や食事時にタイムカードを押してなかったために、社長に胸ぐらを捕まれた。大人が子供に殴りかかるなんて、当時はビックリした。前述のタイムカードとフェリスの売上の悪さを考えると当然なんだがw
しかし、その大人を子供である自分が簡単にあしらう事ができたのもビックリした。それ位、自分は子供だった。

「ある、古参のエロゲプログラマー(エログラマー)の戯れ言」2009年6月1日

こうしてPC98と共に人生を突き進むつもりでいた守に対して、アルコールソフトは制作プラットフォームをWindowsに移行する旨が告げられます。
第2巻P15でも描かれている通り、PC98とWindowsではプログラミングの方法が全く異なります。(以下、一部専門用語を使いますが、分からない方は読み飛ばして結構です)

PC98では高速処理を実現するために、CPUを直接操作する方法でプログラミングが行われていました。CPUが理解できるのはマシン語と呼ばれる言語ですが、このマシン語は「0」と「1」でしか記述されておらず、人間が直接作成することはかなり困難です。
そこで、マシン語によるプログラミングを実現するために、アセンブラというツールが使われていました。このアセンブラ上で、アセンブリ言語と呼ばれる人間でも理解できる言語を使うことで、マシン語によるプログラミングを行っていたのです。厳密には、アセンブリ言語で書かれたソースコードをマシン語に変換する(これを「コンパイル」と言います)ことで、CPU上で実行可能なプログラムが作成できる訳です。

ところがWindowsというOSは、CPUとユーザーとの間に立って処理を行っているソフトウェアなのです。Windows上でプログラムを組もうとした場合、直接CPUを操作するのではなく、「WindowsAPI」という機能を使う必要がありました。WindowsAPIは、Windows内部に対する出入口のようなものだと考えれば結構です。
つまり、WindowsAPIに対して命令を与える形でプログラミングが行われていたのです。プログラミング言語としては、「C」や「C++」などが用いられていました。
但しゲーム制作の場合、グラフィックなどのマルチメディアを処理する必要があることから、その処理に特化したAPIである「Direct X」が用いられていました。

第2巻P23~P24で、「」(Leaf、1996年)、「」(Leaf、1996年)、「Pia♥キャロットへようこそ!!」(カクテル・ソフト、1996年)が紹介されています。
Piaキャロは既に簡単に説明済みとして、「雫」と「痕」ですが、これらの内容についても、別の機会で詳しく触れたいと思います。
ですが、「雫」については私のエピソードを簡単に紹介したいと思います。
1996年当時、私には美少女ゲームにかなり詳しい知人がいました。彼が私に「雫」が面白いと勧めてくれたのですが、あまりにも暗そうなパッケージを見て、私はプレイを敬遠していました。
その後、後追いで「雫」と「痕」をプレイしましたが、私は「痕」の方が好みです。

第2巻P25の若木氏のコラムで、90年代後半から、美少女ゲームは一本道から女の子別のマルチエンディングに移行した話が書かれています。
この辺りの話は私の過去記事「美少女ゲームの歴史を『当時よくあったパターン』で振り返る」でも書いておりますので、興味のある方はぜひご参照願います。

細かい話ですが、第2巻P13とP28でメイ子が「『ハーレムブレード』が起動しない」という話が書かれています。
ハーレムブレード」(戯画、1996年)はロールプレイングゲーム(RPG)であり、私の大好きな作品でもあります。CG面での技術力に圧倒されました。

なぜメイ子が「ハーレムブレード」を起動できないかですが、これは「コンベンショナルメモリ」なるものが足りないからです。
1996年頃になると、このコンベンショナルメモリが十分に無いと、起動しないゲームが増えてきました。
コンベンショナルメモリを増やすには、「CONFIG.SYS」というMS-DOS上の設定ファイルを書き換える必要がありました。
詳しい内容や方法については、下記リンクをご参照願います。


16bitセンセーション Vol.6.1(1997年)

この回では「アルコールソフトの作品がコンシューマーになる」という話が描かれています。
簡単に言うと、「家庭用ゲーム機に移植する」ということです。

1995年以降にPCの美少女ゲームの認知度が高まるにつれて、作品を家庭用ゲーム機に移植することが盛んになりました。
PCゲーマーの人口と比べると、家庭用ゲーム機のゲーマーの人口の方が圧倒的に多いです。このため、美少女ゲーム作品を家庭用ゲーム機に移植することで、莫大な収益が見込まれた訳です。
家庭用ゲーム機メーカーの大半は美少女ゲームのリリースに慎重でしたが、セガは比較的寛容であったため、セガサターン版として移植されることが多かったようです。それでも当然のことながら、H要素はかなり大人しくする形で移植が行われました(全裸を下着姿に変える、など)。
開発技術がPCとは異なるなどの理由で、美少女ゲームメーカーとは別の会社からのリリースが多かったようです。KIDやNECインターチャネルなどの会社となります。
その一方でエルフのように、自社開発でセガサターン版をリリースする事例もありました。

第2巻P62で、PC98からWindowsに移行することで、バグとの戦いになっていく、という話が出て来ます。
かなりさりげなく描かれていますが、プレイヤーにとってはかなり重要な話です。
というのもPC98からWindwosに移行してからの大きな変化は、「修正ファイル(修正パッチ)」なるものが登場するようになったことです。
「修正ファイル」とは要するに、ゲームプログラムなどを事後的に修正するためのファイルのことです。
つまり、ゲーム作品を初回にリリースした段階では見つけられなかったバグが、発売後にプレイヤーなどからの報告によって見つかったので、それを修正するために作られたのが「修正ファイル」なのです。
このことは、「ゲーム作品をリリースするまでに、バグの発見&修正が十分にできなかった」ということを意味しています。
修正ファイルは、ゲームメーカー各社のホームページ上で配布されていました。
困ったことに、この修正ファイルの配布は常態化していました。
つまり、ゲーム作品を入手しても、その後に修正ファイルを適用することが当たり前になっていたのです。
それほどまでに、Windowsに移行するとバグの発見が困難になったのです。というのも、各パソコンによってWindowsの状態や、接続しているハードウェアやそのドライバなどが異なるため、リリース後に想定外のバグが発見される、ということが日常茶飯事だったためです。

第2巻P63~P65において、Windowsに移行したことで色数が増えたことなどによって、CG制作が楽になり、CGの表現も鮮やかになったことが描かれています。
しかし当時の個人的な感想を述べると、そもそも美少女ゲームはWindowsになってもアニメ調の絵が主体なので、プレイヤーとしては色数の増加の恩恵はあまり感じませんでした。
それよりも、実写の画像がフルカラーによって写真と同様の見た目になったことの方が驚きであり、こちらの方がよほど恩恵を感じました。

第2巻P74~P76において「To Heart」(Leaf、1997年)が大ヒットする一方、その作品内容に対して「これって『ゲーム』なの?」とかおりが途惑っている様子が描かれています。
P76の若木氏のコラムにも「かおりさんのような人は、ボクも含めて結構いて」と書かれています。
「To Heart」については私の過去記事「美少女ゲームの歴史を『当時よくあったパターン』で振り返る」にてそれなりに説明しておりますので、そちらをご参照願います。
今回、この「『To Heart』に対する戸惑い」を読んで勇気を頂きました。
大ヒット作であり、今や名作扱いされているこの作品ですが、「To Heart」をほぼリアルタイムで解いた当時の私の率直な感想を、ここに赤裸々に披露したいと思います。

まず、当時プレイした率直な感想を結論として述べます。
なにこれ、安っぽくない?」「大して面白くないんだけど」といった感じで、開始早々プレイを放棄しました。

まずゲームがスタートすると、高橋龍也氏によるポエマーの独り言のような文章を延々読まされ、早くもやる気を削がれていました。SFや推理のAVGであれば、緊迫感のあるイントロがありそうなものですが、「To Heart」にそんなものは有りません。気の抜けたような文章が延々続くだけです。

画面が切り替わって音楽が流れてきます。
CD-DAによるリアルなサウンド・・・であるはずなのですが、当時の私にはこれが「手抜き」に感じられました。
だって、録音した演奏を再生しただけでしょ?
「FM音源のサウンドの方が、作るのに手間が掛かるんじゃないの?」
「それにFM音源の音の方が、いかにもゲームって感じがするじゃない」
「普通の演奏だと、ゲームっていう感じがしないんだよねー」
古いタイプの人間だと思われそうですが、これが当時の偽らざる感想です。

そして、メインヒロインであるはずの神岸あかりが登場します。
水無月徹氏による独特のペンタッチで描かれた女の子です。
あかりを見て思ったことは、「そんなに可愛くない・・・
これは他のプレイヤーもおそらく同感と思われ、あれほどヒットした作品のメインヒロインであるにも係らず、雑誌の「好きなキャラクターランキング」に登場することは、私の知る限り有りませんでした。

その後もテキストを延々と読まされます。
画面いっぱいに、キャラの上にかぶせてでも大量のテキストを読まされまくります
そのテキストが面白ければまだいいのですが、何の面白味も感じませんでした
いつまでテキストを読ませるの?
いったいゲームはいつ始まるの?
そんな苛立ちがクリックの度に込み上げてきます。
そしてようやく登場したのが・・・
えっ、三択?それだけ?
「ゲームというものは、プレイヤーの挑戦意欲を掻き立てるような、チャレンジングなものであって欲しい」と無意識下で考えていた私にとって、三択というのはあまりにも手抜きなゲーム形式でした。

(神岸あかりが主人公に対して)
「・・・ねえ、ずっとひとりっきりで、寂しくない?」
と、訊いてきた。
A.んなわけねーだろ。
B.そりゃまあ、多少は。
C.寂しいよぉ~っ!

「To Heart」本編

そんなこと、どうでもよくない?
「コマンドというものは、その選択によってプレイヤーの生死が決まるような、スリリングものであって欲しい」とこれまた無意識下で考えていた私にとっては、この三択は下らないことこの上ありませんでした。

ゲームを起動してからここまで約10分。
面白いとか、良く出来ているといった要素は何一つ見出せません。
「面白くない」「手抜き」「退屈」といったネガティブな感想ばかりです。
その後も多少プレイしてみましたが、面白くなりそうな展開は一向に現れません。主人公が学校に通うだけです。H要素に至っては、皆無も同然です。
こうして私は、「To Heart」というゲームの存在すら忘れて、いつの間にかプレイを放棄していました。

以上がほぼリアルタイムで「To Heart」を解いた、私の赤裸々な感想です。
その後、かなり経ってから「To Heart」を解き、マルチEDを見てから本作を見る目が変わりました。
最終的に全EDをクリアし、今ではそれなりに面白い作品だと思っています。

ここで、「To Heart」の制作意図などについて、シナリオを担当した高橋龍也氏の貴重なインタビューがあるので、一部抜粋してお届けします。

―『To Heart』を制作するときに意識した作品はありましたか?
高橋:96年頃の制作ですけど、全体的に業界にたいするアンチがあったんです(笑)。具体的に言うと『同級生』とか。やっぱり都合の良い女の子が多かったんですよ。それに女の子から一方的に惚れられる構図が嫌だったのかもしれません。なぜ仲良くなったかを書きたかったんです。

TINAMIX INTERVIEW SPECIAL Leaf 高橋龍也&原田宇陀児 (前篇)

――恋愛ゲームって「攻略」の世界ですから、それはシステムからの要請もあったと思います。
高橋:そうです、攻略なんですよ。『ときめきメモリアル』もそうだったと思いますけど、女の子にあわせないと攻略できなかったんです。ゲーム的なところで言うと、パズルがあって、そのパズルを解くとご褒美でストーリーが進んで、さらにパズルがあって……となっているんです。それは『ときメモ』だとパラメータ上げがあって。『同級生』はフラグ上げに女の子を追っかけて、出会うことでイベントが発生して。クイズゲームだったらクイズに正解すると女の子のストーリーがあってとか。ギャルゲーってそういうのばかりだったんですよ。そういうパズル要素をぜんぶ取り払って、会話だけでゲームができないのかな、と思ったわけなんです

TINAMIX INTERVIEW SPECIAL Leaf 高橋龍也&原田宇陀児 (前篇)

高橋:『雫』『痕』までが持っていたようなテンションと言うか、テキスト量的なペース配分やリズムを『To Heart』ではいっさい省いたんです。要は100%キャラクターなんですよ、『To Heart』は。ストーリーと言っても「キャラクターがこうなりました」という行動であって。そのストーリーを書きたいからじゃなくて、そのキャラを描きたいからあるストーリーなんです。そんな書き方は異色だったと思うんですよ、ゲームのなかでもでも、いまではそれが業界の主流になってしまって……。最近の作品はキャラクター以外の中身が全然ないですよね。

TINAMIX INTERVIEW SPECIAL Leaf 高橋龍也&原田宇陀児 (前篇)

このように、「To Heart」は「ときメモ」や「同級生」シリーズのような作品に対するアンチテーゼというか反発心から作られた異色の作品だった訳です。
これでは当時のプレイヤーたちに色んな意味で違和感を与えたのも当然と言えます。
しかし、高橋氏の当初の思惑から外れて、「To Heart」のようなスタイルが美少女ゲームの主流となってしまい、現在に至る訳です。


16bitセンセーション Vol.6.2(1997年)

冒頭から、アルコールソフトにコンシューマーへの移植話を持ち掛けた市ヶ谷金人が夜逃げして、話がおじゃんになったことが描かれます。
アルコールソフトの店長が市ヶ谷の話に乗った理由は、衛星データ放送のアイデアに惹かれたから、と描かれています。
この話の元ネタは、村西とおるが率いたAVメーカーである「ダイヤモンド映像」の倒産と思われます。実際、市ヶ谷が率いていた会社の名前は「ダイヤモンドスタジオ」となっています。

この回では他に補足コメントは特にありません。
第2巻P101でキョンシーが語っている、「前の会社の社長」の元ネタが誰かが気になるくらいです(まさか〇出〇介氏ではない・・・ですよね?)。


16bitセンセーション Vol.7(1998年)

第2巻P122~P123に、美少女ゲーム雑誌の一覧が載っており、非常に見応えがあります。
アソコン」は1985年に創刊されましたが、「アダルト美少女ゲームを大メインで取り上げた初めての雑誌(正確にはムック)」という認識は当時はありませんでした。私がリアルタイムで購入できたのは「アソコン No.2」であり、歴史的な創刊号である「アソコン No.1」は既に書店の店頭にはありませんでした。
コンプティーク」は一般ゲーム雑誌でしたが、袋とじである「福袋」の中で美少女ゲームの紹介が行われていました。表紙が女性アイドルであったり、映画や音楽などの情報に混じってAVが紹介されているなど、比較的H寄りの雑誌でした。私が毎月のように購入していた、1987年頃の話です。
PC98美少女ゲーム全盛期と言える1996年頃は、「E-LOGIN」や「TECH GIAN」など、数々の美少女ゲーム雑誌がズラリと書店の店頭に並んでいました。その様子はまさに「壮観」の一言でした。

第2巻P128に、「美少女ゲームの各メーカーは、広報に美人を立てて、雑誌にアピールをしていた」という話が書かれています。
当時の雑誌にはよく、ゲームメーカー訪問の記事が載っていました。そこにはゲームクリエイターだけでなく、広報などのスタッフも顔写真入りで載っていました。そういえば確かに、広報などのスタッフは美人なお姉さんが目立っていたような気がします。

第2巻P132から、メイ子が自らゲーム企画の担当を申し出て、新作を制作する話が始まります。
「コミケを舞台とした、同人誌を作るゲーム」の元ネタはまさに「こみっくパーティ―」です。
このメイ子の企画にスタッフたちの反応は冷ややかですが、実際もこうだったのでしょうか。
第2巻P159で、キョンシーから「ヒロインの一人を『オタクが嫌い』という設定にする」というアイデアがかおりに与えられますが、これがまさに「こみっくパーティ―」のメインヒロインである高瀬瑞希の設定となります。
第2巻P169からメイ子が新作のキャラデザインを行う様子が描かれていますが、P172~P173に描かれた女の子がまさに「みつみ絵」でちょっと感激しました。

第2巻P141に実写エロゲーの話が書かれています。
「実写動画に簡単なメニューをつけただけのアダルトソフト」は、確かにソフトショップの店頭に数多く並んでいました。
しかしこれらはゲーム作品というよりも、AVの延長として見られていたと思います。
私の過去記事「美少女ゲームの歴史を『当時よくあったパターン』で振り返る」において、「実写が用いられた作品は美少女ゲームとは別ジャンルの扱いだった」と書いておりますが、まさにこのことになります。


おわりに

いかがでしたでしょうか?

本記事がまさかこんなに膨大なボリュームになるとは、執筆当初は予想だにしていませんでした。
複数の記事に分けるという方法もあったかもしれませんが、一つの記事にまとめた方が結果的に分かりやすくなると思い、このような形となりました。

本記事を書くに当たり、「16bitセンセーション」を読みながらメモを取っていたのですが、結果的に本記事に反映せずにボツにしたネタは結構あります。ちなみにその多くが、本作に描かれているゲームネタに関する細かいツッコミです。

これからもまた、ゲームに関する記事を書けたらと思います。
以上、「なり」がお届けしました!

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