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ともに生を変容する歩み 実践的人類学

比嘉夏子さんをお迎えしてのジェネレーター研究講座

6月16日(木)は、人類学者の比嘉夏子さんと、比嘉さんともに人類学をビジネスを始めとする社会実践に活かす会社・メッシュワークを立ち上げた槌屋詩野さんをゲストにお迎えして、We are Generators ジェネレーター研究講座の生配信を行いました。

テーマは『インゴルドの思想を探る ラインとメッシュワーク』でした。ティム・インゴルドは、ここ数年、日本語の翻訳書も多数出され、世界的に注目されている人類学者の一人です。

比嘉さんは、

「私はインゴルド研究の専門家じゃないので、私がこのタイトルで話していいのかなと思ったけれど、ずっとインゴルドのファンで、会社を立ち上げてその名前を決めるときにインゴルドにメールを出したんです」

といきなり語り始めました。

ダメ元で送ったメールは、なんとすぐに返事が帰ってきたそうです。もちろん、会社の名前はあなたが決めなさいという予想通りのものでしたが、いわゆる「研究」に閉じこもり、社会実践とつながらない人類学のあり方への危惧を訴えた比嘉さんに、インゴルドは全面的に賛同し、熱烈な応援のメッセージを送りました。

前半は、比嘉さんがファンとしてしびれたインゴルドの思想を、インゴルドの著書の引用とともに解説するパート。ここはぜひ動画アーカイブをじっくりご覧になっていただきたい!

Eテレで長年放映されている 100分 de 名著 という番組がありますが、もしあの番組でインゴルドを取り上げたらこんな構成になるだろうと、ぐいぐい心つかまれるものでした。特にラインってどういうこと?メッシュワークって耳慣れない言葉だけれどどういう概念だろうと思われた方にとっては格好の入門になるでしょう。ぜひ We are Generators のメンバーとなって動画アーカイブをご覧ください。一見の価値大アリです!!

何枚も比嘉セレクトの珠玉の引用スライドが紹介されましたが、その中で特に印象に残ったのが、下のスライドでした。

インゴルドはフィンランドのサーミ族とともに暮らし、比嘉さんはフィジーの村に「拾われるように」入りました。二人ともフィールドを愛しているからこそ、客観的標本を取ってきて分析する通常の人類学に否定的。人類学は「人々について」の学問ではなく「人々とともに」学ぶ学問であり、その結果、自分とは異なる存在のあり方に気づき、バイアスで固定化した自分の認識とは別の認識があることを知ることができる。これは自然科学とは異なりながら、やってみて、観察して、記述して、主観的に実感して理解する科学であり得ると考えたのです。

「参与観察(自分もどっぷり相手側の生活に入ってしまう)」という方法でなされる発見は主観的ならざるを得ません。しかし、それぞれの主観があてもなく「歩く」ように思考し、試行したさまざまな実践が交差するからこそ世界は開かれたものになります。これがインゴルドの姿勢であり、比嘉さんも共鳴し、歩んでいる道なのです。

こう考えると、私たちが社会をどうつくりあげてゆくか構想するときに人類学がとても役立つことがわかります。未開と言われている地か、近代的都市か、農村か、ベッドタウンか、と言ったことは関係なく、どんな現地であろうと、他者と土地との関わりで生まれるものに着目することが重要だからです。

アカデミアではないところに開き共有する。 「過去の話=論文」ではなく 「未来志向で一緒に作る人類学」を目指す。そのために比嘉さんは、研究者として大学に残らず、人類学を実践する会社「メッシュワーク」を立ち上げたのでした。

自分も相手もスーパーフラットの関係で、ともに見えないなりゆきを追いかけるジェネレーターと、インゴルドと比嘉さんが構想する人類学は見事にシンクロしていました。

後半は、槌屋詩野さんも加わって、比嘉さんの「あり方」があらわにされてゆきました。それはインゴルドの思想を実践し、生きている人そのものでした。

比嘉さんと槌屋さんは高校時代からの友人。大学になって、あてもなく海外を彷徨う旅をともにしたそうです。

そんな旅は、数々のトラブルに巻き込まれ、予定調和はありません。むしろ思い切って世界の中に飛び込み、そこで起きていることにさらされる危険を冒すことを面白がるものでした。

そこで槌屋さん目にした比嘉さんの姿は、出会うものに対して、常に心をオープンにし続け、さらには、相手側が見るに見かねて助けてくれるような流れを生み出してしまう才能だったと言います。

比嘉さんは、調査のためのインタビューの際に、相手に質問することはありません。なんとなく一緒にいて、へえとかふーんと言った返答しかしないのに相手がどんどん語り始めてしまう流れが生まれてしまうのです。

インゴルドの提示した重要概念の一つに「コレスポンデンス(応答)」があります。応答というと、どう相槌を打つかとか、いかに共感するかと思い浮かべがちです。しかし、共に時を過ごしつつだんだんと相手が動き出すまで待てる才能こそ「コレスポンデンス(応答)」だと私は考えてきました。だからジェネレーターは、時間差を受け入れることができる。待つ=「間」つことに耐えられるのです。すぐに反応が返ってくるのを期待しません。反応ズレも含めて、ゆるゆると関わり合ってゆく歩みが大切なのです。

ただ、何もしないでただいるのとは少し違います。今、目の前で起きていることを素直に面白がり驚嘆(astonish)するのです。

「へえ、こりゃあ面白い、いったい何が起きてるんだ」

と、場で起きていることに関心を向けるのです。もちろん同じ関心を共有しなくても全然構いません。ズレていても構わないのです。なんとなく面白いことが起きているよね!とちょっとしたことにセンスを向けています。

ともにウェビナーに参加していた原尻さんが、

「比嘉さんと市川さんは似てるよね」

とつぶやきました。

確かに面白がりのスタイルに違いはあるにせよ、変なことへのセンサーは鋭敏。変を拒否したり、不安に思ったりせず、面白がって受けとめてしまう。その波動が、やたらといろんな人に話しかけられるという共通点を生んでいるように思えてなりません。

おっちゃんの場合は、なんでも受け止める。比嘉さんの場合は、人生鍵開けっ放し(by 槌屋さん)。

言い得て妙ww です。

新たな人類学も、ジェネレーターも、ともに生き方を変容する歩みを日々、ちょっとずつ、ひたすら続けることが大事で、そこがまた民俗学・人類学とジェネレーターが共振する理由のひとつだとあらわになった素晴らしい回となりました。

どこまでも楽しかったひととき。これからまた新たなたくらみがジェネレートすること間違いなし。引き続き、比嘉さん、槌屋さんよろしくお願いします!

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