神経発達症(発達障害)である私の声
皆さんこんにちは。最近Noteを始めました、現役大学生のNariです。
今回のNoteでは、私の境遇を書かせてさせていただきたいと思っています。
自己紹介
・2003年兵庫生まれ、東京育ち
・現役大学生(心理学)
・ハーフ(日本×中国)
・チック症(音声、運動)、ADHD、ASD傾向
・双極性障害
幼稚園時代
私のいちばん古い記憶は、幼稚園時代に遡ります。
覚えていることは一言、当時のクラスの女の子に「Nariくんの隣に座るのやだ」
こう言われたことです。
幼稚園の記憶はこれしか覚えていないです。
しかしこんな一言でも、小さな私の心には当時の気持ちは覚えていませんが、切り傷が入ったと思います。
小学校時代
小学校入学時、保健室の先生から
「チック症があるかもしれない」
そう伝えられました。
そこで病院に通ってみると、やはりチック症を生まれつき持っていることがわかりました。
それが発覚したことを、担任に相談したところ、あろうことか
「Nariくんにはチック症という発達障害がありますが、仲良くしてあげてくださいね」
と当時のクラスメイトたちに言ってしまいました。
小学生からすれば、そんなことを言われたら、自分たちとは違うと思われてしまうわけで、もちろん無視や仲間はずれは当たり前でした。
男女比が1:2の学校でしたので、女の子が多い分、主に精神的なダメージを与えられたと思います。
6年間ずっとそんないじめを受け続けながらも、塾に通いながら受験勉強をし、私立の中高一貫校に進学しました。
中学校時代
中学校では、私は人にとても興味を示すタイプでしたので、小学校でのこともあり、友達が作りたいと思っていたため、色んな人に話しかけました。
最初のうちは仲良かったのですが、付き合っていくうちに、だんだんコミュニケーションのほつれが見えてきたのか、人が離れ、酷い場合には差別をするようになりました。
高校時代
相変わらず、悪いイメージを引きずったまま、同じ高校に進学しました。
2年生の夏休みまでは、どうにかやれていたと思いますが、2年生の夏休み明けに担任教師からいじめが始まりました。
そして学校が嫌になり、同時に自分で物事を判断できるようになってきたため、ここに来て初めて引きこもってしまいました。
しかし、このままではまずいと思い、別の高校に進学するということを考え始め、転入がしやすい通信制ですが通う必要のある高校に転校しました。
専門学校時代
進路が全く決まっていなかったため、とりあえず何かやってみたいと考えていました。
そこで、引きこもり時代は、アニメなどが好きだったため、声優の養成所に通う事にしてみました。
しかし、これがまた大失敗。
私の曽祖父は中国では、国民栄誉賞を受けるほどの役者でしたので、私にもできるかもしれないと考えていたのが愚かでした。
ほとんどのことがみんなほど出来ず、淡々と練習をするだけになってしまい、それを夏休みには悟っていたため、後期は引きこもり生活を送っていました。
そんな私ですが、僕が辛い時、少しでも助けになってくれた方は皆さんカウンセラーでした。
なので、今度は私が、同じような境遇の人を助けたいと考え、心理学を勉強することを決めました。
あとがき
私のNoteを見て、共感してくれるという方がいらっしゃったら、私は心より応援しております。
またそのうち投稿しようと考えていますので、次回も読んでいただけると幸いです。
ありがとうございました。