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横浜みなと博物館/日本丸(神奈川県横浜市・櫻木町駅)

2022年に入るまでリニューアル工事で閉館していた横浜みなと博物館が満を持して再開。個人的にも久々に訪れるミュージアムで、以前の入館した時の記憶があまりなかったのもあって確かめる意味でも訪問。

ランドマークタワーのすぐ目の前にありながら、隣接する日本丸に目が行きがちになりその存在感が薄く、以前は割と人と気のない博物館だった印象のある横浜みなと博物館。地下にもぐるような構造なのは同じではあるが、リニューアル後は内装がガラリとかわって映像で展示する割合が増えている。

ペリーの来航によって歴史の表舞台に登場した横浜港。開国と共に多くの外国人が流入し、横浜は異文化の最先端の町となった。外国語と日本語が混ざった「横浜ことば」というのが始まったのもこの辺り。メリケン(アメリカ)、半ドン(半休。ドンタク:休日)、ダラ(硬貨)、マドロス(船乗り)、ペケ(英語のピギーか中国語のプコから始まった「ダメ」)、ウワヤ(上屋。ウェアハウス)、チャブ台(チョップハウス)、ポンコツ(げんこつ+パニッシュメント)といった言葉が新たに生まれたという。チャブ台が外国語からとは意外。他にも大さん橋を建設するにあたって使われた巨大なスクリューパイルの展示もある。

横浜港の俯瞰図もあるよ

ちなみにマンホールなどに見られる菱形をした横浜の市章は「ハマ」の文字を分解したもので、開港50周年を記念して作られたものだという。この時に市歌も作られており、なんと森鴎外が歌詞を手がけている。もともと海だったところを神田にし、さらに埋立地として作られた横浜は地盤が脆く、関東大震災では10万戸のうち80%が被害を受け、22000人以上が死ぬという壊滅的な被害を受けた。現在の山下公園はその時に発生した瓦礫の一部を埋め立てて作られたものだという。

その後は復興記念横浜大博覧会が開かれた1935年前後を皮切りに徐々に復興を遂げることになる。横浜港はベーブ・ルース、チャールズ・チャップリン、ヘレン・ケラーといった外国人から、藤田嗣治、嘉納治五郎、白州正子、高浜虚子ら著名人も使ったことが残されている。太平洋戦争の敗戦によって米軍に接収され、かまぼこ型の兵舎が立ち並ぶという異様な雰囲気になった横浜だけれど、1950年あたりから徐々に景気を取り戻し、1951年に独立を回復、少しずつだが取り戻して現在の輸出入の港へと戻っている。

世界の港へと発展

後半は現在の横浜港の様子を説明するパネルがある。吉田新田を埋め立て、神奈川台場をつくったのは高島嘉右衛門浅野総一郎ら事業家によるところが大きい。日本初の近代埠頭(新港埠頭)や、根岸湾臨港工業地帯を走る根岸線、金沢区の埋立地、みなとみらい、コンテナ埠頭化したのも現代になってからである。

ガントリークレーンのシミュレータもある

トイレはウォシュレット式。ちなみに日本丸との共通チケットもある。日本丸は戦前に建造された練習帆船で、航海をしながら実習生を育ててきた歴史を持っている。昭和60年から現役当時のままで保存されて一般公開されており、洋上の船内を見学することができる。船長や船員の部屋も見学でき、圧迫感のある船内ながら見応えは充分なので、こちらも一緒に観るのは面白い。

日本丸船内の圧迫感もなかなかのもの

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