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松濤美術館(東京都渋谷区・渋谷駅 白井晟一展)

渋谷駅の東急本店を過ぎたあたりにある高級住宅街である松濤。幕末で活躍した鍋島藩の土地があったことで知られており、確か鍋島家の現邸宅もあったような。ここ近年で文化振興に力を入れている。松濤美術館はその一端を担っている。今回はその松濤美術館の建築家である白井晟一にスポットを当てた展示で、建築関係の見学者が多いという。

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館内はドーナツ型のビルで、中央には噴水池があり、その上を南北貫く形で通路が通されている印象的な構造をしている。建物自体は撮影可。

エントランスを入ると、さっそく建築デザインの作品模型が2つある。片方は今でも麻布台にあり特徴的な形で見た目を引くロアビル。もう片方はは生前に計画がありながらもついに叶うことがなかった原爆堂の模型もある。池の中央に小島を配置し、その小島にメインの絵画と礼拝と墓を配置、島への移動は地下通路を通るという面白い造りになっている。実現はしなかったが、これがいつか実現するとしたら訪れてみたいと思った。

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螺旋階段を上って2階が展示室。展示室の中央にはソファがあり、コロナ対策中でなければ本来はここでくつろげる様子。学生時分からの建築の記録を展示している。ノートも残されている。以前に建築家の丹下健三が残した手書きメモを見たことがあるが、筆致がまるで神経質であり職業病なのかと思うくらい病的だった。それに比べて白井はごく一般的な良識の範囲内であったので職業が起因となるわけではないのかもしれない。

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義理の兄である画家の近藤浩一路に見出されて建築家の道を進むのだけれど、それ以前には留学してアンドレ・マルロォや林芙美子といった作家とも交流をしている。義兄の邸宅をはじめとした建築の設計をはじめ、秋田県の建築を主に手がけておりその幾つかは現存している。

驚いたのが白井本人は一級建築士ではないこと、周りにいる専門家たちとのチーム制によって成り立っていたようである。建築物にはこういった、あまり一般的に名前の残らないスタッフたちの尽力があったからこそ出来上がっているという背景を忘れてはならない。

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奥へ進むと特別展示室がある。本の装丁(山本有三など)を行っており、中公新書の本のデザインなども手がけていたらしく、現在の見開きでも使われている。当時の中央公論社の社長の別荘も白井晟一により手がけられている。アトリエの建築も手がけており、そこで作られた三島由紀夫の塑像も展示されている。

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階段を降りて地下階が第二展示室。ここでは主に九州にある親和銀行のデザイン模型なども展示されている。一目見ただけでは銀行と思われない無機質で重厚な塔。懐霄館と呼ばれるその圧倒的な存在感は市街地にあってインパクトが絶大である。残念ながら現存しない建物が多いが、松濤美術館や静岡の芹沢銈介美術館は今でもそのモダニズム建築を味わうことができる貴重な存在である。トイレはウォシュレット式。

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ちなみにこの松濤美術館の近くには鍋島松濤公園があり、現代建築家の設計による公衆トイレの一つを見ることができる。鍋島松濤公園に限って言えば死角が多いのと、男女がきっちりと区別しにくいので使いにくいことこの上ない。窓がなく匂いがこもる。個人的には工業デザインの敗北を味わってしまう。

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