川越めぐり(埼玉県川越市・川越駅/本川越駅/川越市駅)
東京都下から割と近い場所にある小江戸で知られる川越。市街には蔵の町として栄えた名残が今でも色濃く残されており、まさに古き良き日本を体験できる小江戸として観光地になっている。いくつか重要な建物や美術館などもあるため、せっかくだからそれらを攻略してみることに。
・喜多院(埼玉県川越市・本川越駅)
川越を足を踏み入れたら、もちろん蔵造りの町並みを楽しむのも良いけれど、それと同じくらい訪れておきたいスポットが喜多院である。ここでは「自分に似た顔がどこかにいるはず」の五百羅漢像があるほか、重要文化財に指定されている建物がたくさんあり、川越の中でも特に由緒ある場所として知られている。
喜多院は正式な名称を星野山無量寿寺といい、天台宗の寺院である。古くは平安時代、830年に慈覚大師円仁によって創建された寺で、東国における天台宗の寺院の中心ともいえる場所。戦国時代には川越をめぐる覇権争いの中で北条氏と上杉氏との戦いで炎上したものの、徳川家康が関東に入京すると、そのブレーンとしても活躍した慈眼大師天海が僧正となり、江戸幕府ができた後に徳川家康もここを訪問しているという歴史を持つ。
江戸時代初期に起きた川越大火によって現存する山門のほかはすべて焼失してしまったものの、江戸城の別殿を移築したほか、焼失した建物を再建しており、山門や慈眼堂、鐘楼門などが現在は国指定の重要文化財として残されている。それら中にはもちろん江戸城の別殿から移築した客殿や書院も含まれている。江戸幕府三代将軍の徳川家光が誕生した部屋が客殿、春日局の化粧部屋が書院として充てられたものである。
客殿や書院は内部に入って見学することができる。入場料を支払って屋内へと入ると、ほどなくしてスピーカーから自動音声で喜多院の歴史がエンドレスで語られる。その語り口がシュールなのもとても良い。客殿から眺められる庭園もまた趣があり、小堀遠州に始まる遠州流の手法が各所に散りばめられているのも特徴。同じく重要文化財である庫裏へとつながる渡り廊下にそれらの説明が詳細に記されている。庫裏もまた江戸城の別殿を移築したもの。本尊である阿弥陀如来や不動明王に毘沙門天が納められている。トイレは書院の奥と庫裏にありいずれもウォシュレット式。
・仙波東照宮(埼玉県川越市・本川越駅)
喜多院のすぐ隣には徳川家に関連する重要な建物である仙波東照宮がある。あまり知られていないが、こちらの仙波東照宮は日光東照宮や久能山東照宮と並び称される三大東照宮の一つとされている。ただし三大東照宮は諸説あり、100箇所以上におよぶ東照宮の中でいくつかが称されている。こちらの仙波東照宮では松平信綱や柳沢吉保をはじめとした歴代の川越藩主の石灯籠などが配されている。トイレは喜多院の中にありウォシュレット式。
・サツマイモまんが資料館(埼玉県川越市・本川越駅)
川越といえばさつまいもの町である。名物としてさつまいもをこれでもかというくらいに推しているので間違いない。これは川越のエリアがさつまいもの一大産地で、川をたどって江戸まで多くのさつまいもを供給できたことも大いに関係している。それはともかくとして、さつまいもの魅力に取り憑かれた漢たちによってつくられたのがサツマイモまんが資料館である。さつまいもへの情熱は他の追従を許さないレベルである。
なんといっても館長がさつまいもの研究を経て川越に移住したベーリ・ドゥエルというアメリカ人であることからもそれは充分に伝わってくるだろう。他にも館長にはサツマイモ文化研究科でイラストレータ兼さつまいもカンパニーの顧問を務める山田英次や、おなじくさつまいもカンパニーの代表取締役でもある橋本亜友樹が副館長を務める、さつまいも好きのさつまいも好きによる、さつまいも好きのための施設である。
予約制で、予約がある時のみ開館しているスタイルをとっており、現在は紋蔵庵という菓子店の2階にある蔵を借りて博物館としている。店舗を抜けて裏庭の方から入る形になっていて普通に店舗に入るだけでは気がつかない。基本的に館長が一緒に説明しながら見学し、山田英次デザインのまんがでさつまいもの歴史を紹介する。とにかくさつまいもへの想いにあふれていて、説明中に気になることをつぶやくとすぐにそれに関連するエピソードが飛び出てくる。「いも学校」という名称もあり、博物館ではあるけれど、いもについて学習するのも一つの目的のよう。
現代のように美味しいさつまいもに至るまでには品種改良に次ぐ品種改良が繰り返されてきた。しかもそのきっかけは偶然に突然変異で生まれた紅赤を農家が見つけたことによる。日本ほどさつまいもを生かしてバリエーションを広げた国はないそうで、ほとんどの国ではさつまいもは単体で販売される。館内にはバリエーションに富んださつまいも菓子も揃えられている。
戦時中は逆に燃料として使われていたり、食料としてまだ味の美味しくなりきっていない芋が配給されたことから、年配の方の中には今でもさつまいもを苦手とする人もいるそうである。ちなみに10月13日がサツマイモの日となっている。10×13=130、この3を横に倒して1M0とすればIMOに見えるというかなり強引な理由で決められている。トイレはなし。さつまいもの町である川越を味わうためにも訪れておくべき場所である。
・服部民俗資料館(埼玉県川越市・本川越駅)
蔵造りの町並みには商家の建物をそのまま生かしてミュージアムとして使われている場所が結構な頻度で存在する。菓子屋ばかりに気を取られているとこういった貴重な資料館を見逃してしまうので注意しなくてはならない。服部民俗資料館もその一つで、明治に起きた川越大火の後に建てられた照降業(履物や傘の販売)や薬種業(薬の調剤、販売など)を営んでいた「山新」の店舗をそのまま使用している。
訪れた時には入口が空いていなかったが、隣にある山新の店舗側からつながっているためそこから入ることができる。展示室自体は土間と番台の間のみというコンパクトな造りではあるものの、山新がこれまでに取り扱ってきた薬や、その広告看板、照降問屋として唐傘や履物といった商品の展示を行なっている。トイレはなし。
・陶舗やまわ(埼玉県川越市・本川越駅)
旧笠間家住宅を再利用して活用されている仲町観光案内所など、多くの古民家・商家があるいは当時のまま、あるいはリノベーションされて活用されている川越の蔵造りの町並み。2階が事務所になったりして入ることのできない家屋も多いのだけれど、陶器を扱う陶舗やまわは2階もはるり銀花という工芸品を販売しており、また奥には陶路子というカフェもあり、こちらではさつまいもミニ懐石なども味わうことができる。店舗の中には線路が走っており、これは陶器を扱っているからこその運搬用のトロッコが走れるようになっていることによる。店舗名といい洒落ている。陶芸教室も開かれている。トイレはウォシュレット式。
・川越城本丸御殿
川越の町が小江戸としてかつては埼玉の中心地の一つだったのは、ここが川越藩庁だったことが関係している。そのことが如実に現れているのが川越城。かつて戦国時代に北条氏康と古河公方や関東管領が争った日本三大夜戦の一つとされる「川越夜戦」の地である。川越城本丸御殿は、城郭こそないものの当時の姿をとどめる貴重な史跡として観光スポットの一つとなっており内部の見学もできる。
本丸御殿はその名の通り屋敷として、もともと天守閣のような城郭がないことから戦争ではなく北条家の治世を経て政治の中心として使われてきたことが窺える。特にここで特徴的なのは大広間と玄関。本丸御殿における大広間が現存しているのが国内でもまず珍しい。それに渡り廊下を経ての老中詰所もまた広大である。老中詰所はいくつかの部屋に分かれており、当時はその詰所の中で会議も行われていたのだという。
御殿の方では長い廊下が印象的で、いくつか設けられた展示室では、この川越御殿を復元するにあたっての修復の様子を紹介しているのが中心となる。各部屋にはそれぞれ誰が詰めていたのか、といった役割が紹介されているが、なんといっても大広間に広がっている杉戸絵が印象深いところだろうか。展示内容自体はそれほどでもないものの、かの太田道灌(とその父である太田道真)とが築き、江戸時代には北の要となった川越城もまた、川越を巡る上では欠かせない場所である。トイレは洋式。
・川越市立博物館
川越市博物館は、かつて川越城だった敷地の一部にある、川越城をはじめとした川越市の歴史を伝える郷土博物館である小江戸の観光地として栄えている場所だけに、展示内容もやはり川越城や蔵の町並みについてを紹介する比率が高い。川越の町並みに刺激を受けたらぜひ訪れてほしい場所の一つ。
ミュージアムの中は企画展示室と常設展示室とに分かれている。入口から右手の奥にあるのが企画展示室になっており、企画展示室では川越の民俗文化にスポットを当て、農耕や宗教、工芸や洋裁など川越の生活に根付いた文化財を紹介するといった趣き。「川越動物園」と題して、それらの中から動物を形取ったものを紹介する、というのが面白いところ。
常設展示室ではまず小江戸川越と題して、幕末期の様子を復元した城下町の模型を中心に据えながら、江戸時代にさしかかって成立した川越藩の紹介をする。漢字の「五」の字を手本として街路を形成した町割は、松平信綱が藩主の時に形成された。譜代大名である酒井家や堀田家、松平家といった、歴代の老中を務めた家によって治められた川越は江戸を北から守る地として重要視された。徳川家康の元で信頼された僧侶の天海がこの地の星野山無量寿寺で僧正を務めたことからもそのことは窺える。
続いての展示室では蔵町を再現しているのが印象的。この蔵町の軒には川越の歴史展示もされていて見た目と内容が充実した展示といえる。もちろん郷土博物館としての機能である古代から近代に至るまでの展示も充実しており、例の三種の神器である土器、石棒、板碑もしっかりと網羅している。東山道武蔵路の主要な町として栄えており、室町時代には太田道灌や、その後に川越夜戦をきっかけに支配を固めた北条氏などの関連資料が展示される。
蔵町を抜けると最後は民俗エリアの展示。ここでは蔵造りについてを紹介する。蔵は「三職」と呼ばれる鳶、大工、左官を中心とした職人によって造られたが、蔵を作るまでに費やす30以上の工程のうち、三職を象徴する「地形」「建前」「木舞からノロかけ」という場面をそれぞれで紹介している。トイレはウォシュレット式。
・川越市立美術館
川越市立美術館もまた博物館と同様にかつての川越城の敷地内にあるミュージアムである。今回は夏の企画展として収蔵品の中から絵画表現についてを学ぶという「みて!!さわって!?かわごえのびじゅつ」という企画展を開催。夏休みシーズンということもあり、自由研究のとしてももってこいのテーマということもあってか親子連れが目立つ。
クイズ形式で問題シートが配られ、展示作品からヒントを見つけて解いて行くことで美術に対する理解を深めるのも目的だろうか。2階建ての建物で、1階と地下階が展示室となっている。まずは1階にある記念室から。川越名誉市民でもある洋画家の相原求一朗の作品を紹介する記念室になり、モダニズム絵画の影響を受けた作風や北海道の大地を描いた絵が展示される。また、1階にはタッチアートコーナーという直接さわれるアートのコーナーがあり、今回は川越出身の木工作家である岡田敏幸の仕掛け作品を展示。実際に触れてみて歯車などが動くのを楽しめる。
地下階は展示室が二つに分かれている。階段を降りて左手が今回の企画展に使用される展示室。デジタルを駆使して作られた様々な仕掛けを通して所蔵作品を紹介し、鑑賞者がただ作品を観るだけでなく味わうというのを目的として展示する。明治時代に描かれた井上安治『東京名所吾妻橋改良之真景』を観て、現代との違いを挙げてみたり、内田静馬『大正初期の洋館』に描かれる建物を推理したりと謎解きとクイズ要素が混じる。
面白いのが3Dプリンターで作った油彩画のレプリカ。たとえば相原求一朗『海辺の家(ノサップ)』の油彩画レプリカを実際に触ってみると絵の箇所によって絵の具の重ね方が全く違うことがわかる。躍動感のある岩崎勝平『夏』なんかはデジタルで拡大表示されており、その前で一緒に芝生で楽しむ試みもされている。
他にも建畠覚造『FLOATINGLANDSCAPE』を3Dモデルでモニターに写し、コントローラーで動かして視点の違いを楽しめたり、橋本雅邦『虎渓三笑』『張良図』の特徴が弟子の河内雅渓『橋本雅邦『黄初平』模写』にどう受け継がれているのかを考えてみたりと、ただ観るだけでない楽しみ方を提供している。
地下階の右手には常設展示室。「ハロー!かわごえのびじゅつ」というタイトルで収蔵品の中から川越に関連する作家を中心として紹介する。展示室自体は割とコンパクトな作りをしている。2階では相原求一朗に関する映像も紹介されている映像室がある。トイレは2階が洋式で地下1階がウォシュレット式。
・ヤオコー川越美術館
川越の市街地からは少し離れたところにあるヤオコー川越美術館は、川越に本社を持つスーパーマーケットの小売業で知られるヤオコーが運営している美術館で、創業120周年を記念した事業として建てられた。三栖右嗣記念館という名称もある。特徴的な建物はヤオコー本社の設計も施した伊東豊雄による。内装はちょうど開いた傘の内側に展示室があるようなイメージだろうか。
三栖右嗣記念館という名称の通り、埼玉に縁深い洋画家である三栖右嗣の作品を中心に収蔵し展示している。これはヤオコーの創業者ともいえる川野トモが三栖右嗣のアトリエを訪問した際に作品に惚れ込んで収集したものが中心である。それまで絵画に特別な関心を持っていなかった川野トモをはじめとした一家はその後も三栖と親交を深め、本社にも各階に絵が展示されているという。
四等分された部屋の二つが展示室で、残りは受付を兼ねたショップコーナーとカフェになっている。三栖右嗣は現代リアリズムの巨匠と呼ばれており、単に写真のような作品ではなく作者の視点が反映された人間味のあるものとなっている。特に代表的な作品として特別にキャプションも付けられている『老いる』の周作は自らの母親の裸像を描いた作品となっている。トイレはウォシュレット式。
・大澤家住宅
蔵の町である川越には江戸時代から残る歴史ある建物が多く残っている。その中でも特に歴史的価値が高い建物は有形文化財として登録されており、そのうちの一つとして、国指定の重要文化財となっているのが大澤家住宅である。明治時代に川越市街で起きた大火を潜り抜け残った貴重な建築である。1階は民芸品を扱う小松屋、2階はギャラリーとして開放することがある。トイレはなし。
・りそな小江戸テラス
埼玉県で最も最初にできた銀行である国立第八十五銀行。現在の埼玉りそな銀行の前身の一つである。かの渋沢栄一らの尽力によって作られたこちらの本店が、現在はりそな小江戸テラスとして保岡勝也により設計された外観はそのままに改修され、カフェやコワーキングスペースなどとして生まれ変わっている。りそな小江戸テラスの1階には旧金庫室のResonaギャラリー、2階には旧頭取室が残されており当時の名残を垣間見ることができる。トイレはウォシュレット式。
・山崎家別邸
川越にある老舗の和菓子屋である亀屋。例えば四代目である山崎嘉七は国立第八十五銀行の創立にも関わり川越経済界を主導するような存在だったという。山崎家別邸は、国立第八十五銀行の副頭取も務めた五代目の山崎嘉七が隠居するための別邸として建てられたもの。国立第八十五銀行の設計を行なった保岡勝也が同じくこちらの邸宅も設計しており、国の重要文化財に登録されている。
こちらは個人の隠居所であったのにも関わらず、陸軍大演習などで川越付近へ訪れた皇族などが宿泊することもあったという、いわば川越の迎賓館としての役割も担っていた場所になっている。皇族の李王垠が植えた松なども残されている。2階建ての洋館でありながら和館も兼ねており、広々とした庭園が広がっている敷地の中には茶室なども点在する。
保岡勝也は鉄筋コンクリートを最初期に導入した建築家の一人で、三菱合資会社(現在の三菱地所)に在籍していた頃には、東京の丸の内に点在していた多くの三菱オフィスを設計している。多くの商業施設も手がけたが住宅設計も手がけ、住宅建築のパイオニアと呼ばれるほど多くの設計をしている。東京では清澄庭園にある涼亭も保岡勝也の設計によるもの。
別邸へはまず和館の玄関から入り、浴室やトイレ(和式)、使用人の部屋といった場所を巡りながら正面玄関へと向かう。2階へは上れないものの、階段からそそぐステンドグラスの美しさには目を見張るものがある。そのままやはりステンドグラスが美しい応接室へと向かい、食堂を通って客間へ。客間には当時おとずれた皇族の一覧もあり、梨本宮や李王家の4泊をはじめ、秩父宮、朝香宮、東久邇宮、賀陽宮がそれぞれ2泊しているなど実に多くの皇族が訪れている。隣接する居間を通って最後はサンルームと児童室といった形でぐるりと回る。いずれの調度品も綺麗で美しく、川越に来たら訪れておきたいスポットの一つ。トイレは管理棟にありウォシュレット式。
・小江戸蔵里
川越を巡る上で駅からも近く便利な施設でもある小江戸蔵里は、明治時代の1875年に創業した旧鏡山酒造の建築物を改修し、当時の面影を残している施設である。川越を示す「小江戸」と、蔵の町であることから「蔵」、それに多くの人にとってのふるさととなるように「里」という意味合いが込められている。
小江戸蔵里の中には明治蔵(おみやげ処)、大正蔵(まかない処)、昭和蔵(さきがけ処)という国の登録有形文化財にも指定された建物があるほか、展示蔵(つどい処)がある。旧鏡山酒造の蔵であったことから、展示蔵では旧鏡山酒造における酒造工程が紹介されている他、酒造りに使われた道具なども展示されている。ここはかつて瓶詰作業場として作られた場所で、建築時期は定かではないものの、大正時代か昭和初期(昭和蔵よりも前の時代)に建てられたと考えられている。ギャラリーとして作品を展示する場所として使用されている。
飲食店である大正蔵は別として他の蔵は自由に入ることができる。明治蔵は川越のお土産を購入できたり工芸品の展示販売がされているのが魅力的だが、なんといっても昭和蔵では有料で試飲機での飲み比べコーナーがあるのが魅力的。実は全国でも第四位という日本酒生産量を誇る埼玉県の全ての酒蔵の日本酒が勢揃いしており、またこちらでしか飲むことのできないオリジナルの酒もあるという、酒好きにはたまらない場所になっている。トイレはウォシュレット式。
・永島家住宅(埼玉県川越市・本川越駅)
埼玉県における唯一の武家屋敷と言われている永島家住宅。江戸時代の埼玉地域には川越の他に忍、岩槻という三つの藩の城下町が知られており、それに連なるように武家屋敷も多くあったが、当時に近い状態で残っている武家屋敷はここだけとなっている。建物も老朽化しており公開される日も少ない。屋敷の内部には入れず庭から覗く形の見学方法となっている。
川越城の南大手門からすぐ近くにあり、このあたりに住んでいた武士は中級武士だったと推測され、特に御典医の家だったと考えられている。当時の武家屋敷は藩から支給される役宅で、歴代には物頭の匂坂鹿平、御典医の堤愛郷、鑓奉行の三野半兵衛の屋敷だったことがわかっている。幕末になると側医師として石原昌迪が住んでいたことがわかっており、この頃の医師団には後に画家として大成する橋本雅邦も医師格の絵師として名を連ねている。
そういった経緯を持っていることから幕末を経て明治に至ると、最後の住人である石原家がしばらく所有していたが、大正時代になって永島家がこの家を購入したことで、名称としては永島家住宅となっている。この武家屋敷が建てられた江戸時代後期は玄関、茶の間、次の間、座敷という比較的シンプルだった構成だったのが、幕末から明治にかけて少しずつ増築され、現在では入室できる土間も含めて数倍の規模になっている。
この屋敷の中で特に印象深いのが「切腹の間」というもの。さすがは武家屋敷というだけあってこういう専用の間があるのが面白い。半畳の畳を中央にして他の畳を卍型に配置する形が切腹の間における従来の構成なのに比べ、こちらの武家屋敷にある切腹の間は板敷きという構成になっている。これは真相はともかくとして切腹で血が流れても床を汚さずに済むためだと言われているそうである。トイレはなし。
・コエトコ(埼玉県川越市・本川越駅)
蔵造りの町並みで知られる川越。貴重な建物が多く残されている中で、比較的あたらしい建物ではありながら川越の歴史を示す文化財として残されているのが旧川越織物市場を全解体修理して作られたコエトコである。カフェが併設されている旧栄養食配給所と、インフォメーション・企画展示室のある東棟、復元展示室のある西棟から構成されている。
旧川越織物市場は衰退にあった織物流通業界の起死回生策として明治に建てられた織物取引の場で、近代の市場の様子を残している貴重な産業遺構である。入口すぐにある旧栄養食配給所がやはり目を見張るだろうか。こちらは近隣の中小織物工場へ給食を配給するために設立された施設になっている。実はこういった工場労働者の栄養改善を目的とした施設は全国に建てられていたが、当時の姿をそのまま残す遺構としては唯一のものとなっている。
川越市文化創造インキュベーション施設という、これからの川越の未来を担う新しいクリエイターの育成支援などを中心として長屋にオフィスが入居しており、基本的にはそういった企業のオフィスや店舗が中心になっているが、こうして一般の人が見学できるスペースも多くあるのはありがたい。トイレはウォシュレット式。
・川越まつり会館(埼玉県川越市・本川越駅)
川越が1年で最も盛り上がるのは10月の後半に行われる川越まつりの日。普段は観光スポットの中心にも関わらず自動車が行き交う蔵造りの町並みも交通規制がかかり、数メートルの高さを誇る山車が鎬を削り合う祭礼である。その川越まつりに特化したミュージアムが蔵造りの町並みに立ち並んでいる川越まつり会館である。
ユネスコ無形文化遺産に登録されている川越まつりは、江戸時代初期、当時の川越藩主だった知恵伊豆こと松平信綱が、氷川神社へ祭礼用具を寄進し、祭礼を奨励したことをきっかけとして、神輿が町を渡ったことを起源としている。元来は氷川神社の例大祭という意味合いが強かったものが、山車や踊り屋台を中心としたものへとその性格を変えていった。全部で29台ある川越市内の山車のうち、だいたい15台から20台が毎年つかわれるという。
入口から展示室までは、長いスロープ上の通路を下って行く形になる。この通路は蔵の町並みをイメージしており、ところどころのモニターでは川越まつりをイメージした映像が流れる。最深部に到達すると会所(まつり全体の指揮所)が再現されており、川越を開いた太田道灌の像も飾られている。
そこから隣に入った大きな展示室がこちらのミュージアムのメインともいえる山車展示のコーナーだろう。実物の山車が2台、天井へと伸びるように配置されている(会期による入れ替え制)。あまりにも大きく圧倒されてしまう。展示室が地下に下がっているのはこの山車を収納するだけのスペースを確保する必要があったのだとここで気づく。なお、この展示室にはスクリーンがあり、川越まつりの様子を映像で紹介している。
壁に沿って作られてた円形のスロープをしばらく上ればスロープから展示室の全体が見渡せることでその広さが実感できる。なお山車はどれも天辺に歴史上の人物などを模した人形が配置されているが、これは可動式になっており下の囃子台まで下りてこられるようになっているという。囃子台には大太鼓、小太鼓二つ、笛、鉦という楽人と踊り子がいる。囃子台も回転できるという凝った構造をしており、1台につき億単位の予算が組まれるという。
スロープを上り切ると川越まつりの歴史や展示物が紹介されている。ここでは特に金輪でできた山車車輪と、方向転換するためのバールやジャッキ(山車は自走では角度が変更できない)が印象深いところ。さらに歴代の川越まつりのポスターが紹介されるスロープを上がると、映像室では川越まつりのクライマックスである曳っかわせの映像が広がる没入体験型の展示を行っている。トイレは洋式。外観だけでは全く想像のできないミュージアムである。
・ちょっと昔くらしの道具小屋(埼玉県川越市・本川越駅)
蔵造りの町並みを出て左折、菓子屋横丁よりもさらに西へ行ったところにある新河岸川の橋を渡れば、蔵町とは少し違ったレトロな建物が集まっている界隈がある。木製家具職人であるもっこ館の敷地内にあるのが明治・大正・昭和時代の道具に触れられる展示小屋ちょっと昔くらしの道具小屋である。
明治時代の古民家をリノベーションした建物の中にはレトロなもので溢れている。雑多に、そして大量に集められたそれらの道具は、どこかノスタルジックな気持ちになる道具で占められている。明治・大正・昭和の道具をメインにしているが、展示構成には特に一貫性があるわけではなくそれらの時代のアイテムがとにかく並べられているという印象。訪問時には無人で開放されており、大量に溢れる道具の中を泳ぐ、みたいな表現が正しいだろうか。
いまではすっかり見られなくなった駄菓子屋の再現に始まり(さすがに販売はしていない)、昔の食器、家電、書籍、レコードなどが集められていて、おそらく管理人もどこになにがあるのか掴めないのではないだろうか。それを自由に開放しているというのは隠れた名スポットと言えるかもしれない。トイレはなし。
・亀屋栄泉 芋菓子の歴史館(埼玉県川越市・本川越駅)
蔵造りの町並みのほぼ中央に位置する伝統銘菓の販売店である亀屋栄泉。芋菓子店として知られる亀屋栄泉は、明治より川越名産のさつまいもを中心としたさつまいものお菓子の製造販売を続けてきた100年以上の歴史を持つ老舗である。この亀屋栄泉の2階には、芋菓子の歴史を紹介する芋菓子の歴史館がある。
蔵の2階をそのまま展示室としているため天井は低いが、却って屋根裏のような独特な雰囲気を持っている。展示室では亀屋栄泉の歩んできたこれまでの歴史を紹介している。芋せんべいを焼くのに使用した道具や、餡を入れていた鉢、菓子の包み紙なども紹介されている。江戸から十三里の距離にあったことから「栗よりうまい十三里(九里+四里)」と掛けて有名だったさつまいもを菓子へと発展させた先人たちの努力が感じられる。
当時まだ知られていなかった川越の芋菓子を知ってもらうために積極的に博覧会や品評会へ出展し受賞を重ねたことで川越名物として芋菓子を定着させることで「元祖」の称号も得るにあたった亀屋栄泉。宮家からも愛された菓子でもある。もともと亀屋栄泉は茶屋で、茶に付き物の菓子に魅力を感じたことで菓子作りを始め、本業だった茶屋を辞めて菓子屋へと変わったという。
興味深いのは川越の名物を芋菓子として定着させたこともさることながら、川越への観光客の誘致まで考えたということ。川越と芋菓子とを密接に印象付けるような方法として考えだされたのが「芋掘り観光」で、農家と契約して観光客に芋掘り体験をしてもらうことで魅力を知ってもらおうとする企画は好評を呼び、「芋掘り協議会本部」として評されたという。戦時下の食糧難の中では工芸などで糊口を凌いだ亀屋栄泉の歴史が詰まっているミュージアムといえる。トイレはなし。
・丹徳庭園(埼玉県川越市・川越市駅)
明治の香りを残した日本庭園として、川越にひっそりと佇んでいる丹徳庭園は、材木商である鈴木徳次郎が作った知る人ぞ知る隠れたスポットである。材木商であったことから細部までこだわり抜いた日本家屋である「はなれ」もさることながら、枯山水が非常に心地よい作りとなっている。現在はウェディング会場としても活用されており、タイミングを見計らって行くしかないのは一般客にとっては残念だけれど、行くだけの価値はあり。
・いも膳 ギャラリー呼友館(埼玉県川越市・川越市駅)
川越の名物であるさつまいも。そのさつまいもを生かした芋菓子の店舗も川越市内に点在しているのは訪れればすぐにわかる。その中でも特にそのさつまいもの魅力を最大限に生かしたのが懐石料理として「いも懐石」を提供しているいも膳である。なんと2024年末を以って閉店という衝撃的なニュースが飛び込んできたのだけれど、そのいも膳の運営しているギャラリー呼友館は陶器を中心に展開するギャラリー。閉店に行っておかなくてはと見学することに。
かつては2階までギャラリー展示がされていたようだけれど、現在は1階のみの展示になっている。いも膳で提供している料理に使われる器を展示している常設展示では荒川豊蔵や清水卯一、三輪休雪といった名匠の茶器を添えつつ、色鮮やかな茶器を月ごとに分けて展示している。年間を通じてどんな茶器を使っているのかの変遷が一堂に介しているのは見ていて楽しい。
また陶芸家として川越で主に活動する矢萩典行の器も展示している。これは日用で使われる食器から花器、大きな花木類に使われるような器まで展示紹介している。いも膳は観光バスがくるくらいの人気な料亭にも関わらず、こちらのギャラリーはほぼ貸切状態というのも不思議なもの。トイレは男女共用のウォシュレット式。
・川越氷川神社
川越氷川神社は約1500年前の古墳時代、欽明天皇の時代に創建されたと伝えられている歴史ある神社である。夏の祭事として「縁むすび風鈴」を行っている。境内には約1500個の江戸風鈴が飾られており、夏の間に涼を感じさせる雰囲気を持っている。江戸風鈴を飾るイベントはここ10年くらいで始められたもので、活気を失いつつあった川越に再び人が戻ってくる大きなきっかけとなった。