大倉山記念館(神奈川県横浜市・大倉山駅)
東急東横線の大倉山駅はその名の通り、大倉山という小高い山に隣接している麓の駅である。もともと横浜にはみなとみらいの一部を除けばこうした山が多く地味に坂道の町だったりするのだけれど、大倉山記念館はそんな横浜の特徴に漏れず大倉山の上に建っている洋館で、大倉山駅と隣接している場所にあるにも関わらず訪問するには急坂をひたすら上り続ける必要があるというかなりの運動量を必要とする場所でもある。
石造りのような巨大な洋館だが実際には鉄筋コンクリートで作られているこの大倉山記念館は、神奈川県を中心に製紙業などで財を成した大倉グループの創業者である大倉邦彦によって作られた建物である。すべての人には「宇宙心(神のような存在)」から与えられた使命がある、という大倉邦彦の理念から、事業の発展や学校設立に寄与したその根幹にある大倉精神文化研究所として設立されたもので、この中では修養会や坐禅会などを行なっていたのだという。哲学で知られる東洋大学の学長を務めたこともあるため思想には関わりもあるかもしれない。
もともとの地名は太尾という名前で山自体も観音山という名称だったが、大倉精神文化研究所ができたことから徐々に大倉山へと改称されたという。大倉邦彦の想いを具現化するように前庭には日本列島の形に張った芝を地理曼荼羅と呼び、建物を人間と見立てて地理曼荼羅で日本、大倉山を地球全体として全てが一体である、という概念を表していたのだという。この点では東洋大学創設者の井上円了による哲学堂公園に近いように思える。
記念館入口のドアーを開けると、目の前に飛び込んでくるのはエントランスホールの巨大な大階段。天井まで吹き抜けになっており、その上部にはステンドグラスや鷲と獅子の彫刻がある。右手の東館は現在も図書館として使用されており、左手の西館はロビーとして、自由に休憩できるスペースとして活用されている。また西館には1階から3階まで集会室が10ヶ所ほど設けられており、こちらもまた予約すれば利用することが可能。また大階段を上った先ではホールが設けられており音楽や講演活動で利用されているという。
大倉山記念館の展示室が単体であるわけではないものの、大階段を上った先の3階が回廊になっており、この回廊で大倉山記念館の歴史が展示されている。建物の設計は辰野金吾の弟子でもある長野宇平治という建築家で、日本銀行の増改築や全国各地の銀行などを手がけた人物。重厚で格調高い建築で知られており、単独で手がけた建物としてはここが生前最後に作ったものになる。
トイレはウォシュレット式。精神文化研究所という、名称だけでイメージすれば割と来る人を限定させるような建物だったにも関わらず、現在は一般の人も気軽に立ち寄れる場所として散歩で近くに訪れた人が休憩所とするなど広く活用されている。訪れるには急坂を上らなくてはならないという難所ではあるものの見応えのある施設である。