玉電と郷土の博物館(東京都世田谷区・二子玉川駅)
かつて二子玉川周辺には玉川電鉄砧線という電車路線が通っていた。今でも砧線跡というかたちで遊歩道になっているこの地域、その名の通り二子玉川と砧を結ぶ路線として1969年まで約2.2キロの距離を運行していたという。田園都市線と小田急線の緩衝地域にあたるこのエリアを運行する路線はかなり利便性が良かったと思うのだけれど現在はバスの運行で賄っている。そんな玉川電鉄、通称・玉電の事績を紹介する目的で作られたのがこの玉電と郷土の博物館である。
玉電と郷土の博物館は、その門構えから想像できるように元々は蕎麦屋の大勝庵という店だった。館長の大塚勝利氏が趣味で集めていた鉄道を中心にしたレトロ商品。大勝庵の店主として開業していた頃からこういったグッズを店内に飾っていたところ来客の間で話題となり、体調を崩して蕎麦屋を引退したあとも周囲の薦めなどから一念発起して博物館として展示するようにしたというもの。開館に至るまで家族の理解が大変だったという。本人以外にとっては部屋のスペースを圧迫するだけのものだからね。
訪問時には無人だったが、来訪を告げると館長が自ら応対、玉電の運転席に座らせてもらい、対面して会話してくれる。この運転席は玉電が引退した後に長津田の車両倉庫で眠っていたのを、蕎麦屋の客だった東急電鉄の関係者から譲られたもの。ここに人のつながりを感じる。いくら電車が好きでも運転席を譲られるのは館長の人柄があってこそ。今でも博物館を訪れる来客から色々なアイテムを寄付しにくることが多いという。
玉電と郷土の博物館、という名称なのもうなずけるのは決して玉電だけではなく、さまざまなレトログッズがあるという点にあるかもしれない。館内において玉電が占める割合は入口側の半分くらいで、奥側は電車とは関係なく昭和レトロの商品が多く並んでいる。その振り幅はとても広く、空き缶からオーディオ(特にコンポと呼ばれる複合型の再生装置)まで、本当にさまざまなジャンルを収集している。こういった収集というと経済アナリスト森永卓郎氏やクイズハンターやくみつる氏が思い浮かぶが、館長もやはり知り合いで、こちらの博物館に通い詰めている町田忍氏の縁によるもの。グッズの集め方にもマニア間の中でルール的なものがあるらしく、たとえば箱ひとつ取っても蓋を元の形のまま補完する(平面に広げて補完しない)など、色々と館長に指導が入ったという。
そんな達人たちのエピソードを聞いていると新たに来客が。こちらの見学者もやはり常連らしく、館長に新しいグッズを寄付しに来訪。こういった愛好家たちによって積み重ねられている博物館、現役でいる限り(家族の白い目に耐えながら)いつまでも続けていってほしいもの。トイレは個室で和式。