清泉女子大学旧島津邸(東京都品川区・五反田駅)
女子大学には清廉な名称を関しているところが多い。ミッション系の大学である清泉女子大学もその一つ。清らかな泉である。聖なる心と同じくらい清廉である。かつて品川エリアにあったとされている城南五山の一つである島津山に建っている清泉女子大学までは五反田駅から向かうのが最寄りである。けれどその通学路は清廉な大学へ向かうとは思えない歓楽街とばっちり重なっている。いわゆる風俗街。女生徒にとっては通りにくいことこの上ない通学路である。もしかしたらこの道は避けて通っているかもしれない。まあそんな余計なお世話はさておき、かなりの高級住宅街である島津山エリアの象徴である清泉女子大学、歴史的な建造物でも有名な場所である。
清泉女子大学の象徴とも言える本館。大正時代に公爵である島津家の本邸としてジョサイア・コンドルによって設計された洋館で、今は重要文化財として指定されている歴史ある建物である。こんなところにもコンドル。岩崎家とズブズブのコンドルが島津家とも懇意にしていたというわけである。政府のお抱え建築家だったので当然といえば当然だけれど、そんな重要文化財の本邸へと入れるタイミングである見学会が年に2回ほどある。昨今の情勢によって中止だったのもあり、久々の見学会には700名を超える応募があったという。
清泉女子大学本館の歴史は古く、もともとは伊達家の敷地だったという。明治になって島津家がこの土地に入りコンドルに依頼して屋敷を建設、和館だった建物を洋館へと作り替えたという。その後は日本銀行がこの邸宅を使用、戦後になりGHQが接収してしばらく使用していたが再び日本銀行へ返却され、それを清泉女子大学が購入した、という経緯になっている。黒田清輝による絵画も飾られていたという。地上2階で地下1階からなる建物で、非公開の地下はボイラー室などがある。1階は基本的に来賓用、2階が島津家のプライベートエリアとして使用されていた。現在は大学の礼拝堂として使用されている講堂もかつてはバンケットホールとして使用されていたという。
見学会が開始されるまでは館内を自由に見学できるというので、少しだけ早めに来ていたのもあって自由に見学。待機場所のロビーはかつて来客用の応接室として使われていた部屋で、天井まで映し出して明るさを採るための鏡や、ところどころに薔薇を模した天井やカーテン留めなど趣向を凝らした造りになっている。側には舟越保武の『ゴルゴタ』像もある。こちらの見学会は大学に在学中の学生が案内役になっていることが特徴で、緊張してうまく喋れない初々しさだったり、場慣れして流暢に喋れたりと学生によって違うのもまた微笑ましい。授業と授業の合間に参画していたり、なかなか多忙である。
象徴的なのは全体的に赤い絨毯が敷き詰められていること。中央ホールには二つの暖炉があり実際に使用されていたという。実際のところはオイルヒーターも併用しながら暖を取っていたそうである。しかし暖炉のマントルピースは精巧に作られており、暖炉の上にはキリスト像が飾られている。また繋がっている玄関にはステンドグラスが使われており、こちらの模様は島津家の家紋も入っている。応接室はガラスが湾曲して作られていたり、椅子に座ると窓と庭だけが映るような仕様になっていたりと設計が凝っている。応接室の隣にあるかつて書斎として使われていた部屋はGHQが接収した際に壁に書き込みが加えられており現在でも残されている。
大階段を上ると窓の外には煙突が並ぶのが見えそのまま2階へ。浴室は2階にあったそうで、そちらからは海を見渡すこともできたという。いずれの部屋も部屋同士が扉でつながっており、廊下へ出なくても部屋の行き来ができるという構造だったという。ただし1つだけ他の部屋とつながっていない部屋があり、しかもそちらは現在でも用途不明、何に使われた部屋なのかわかっていないのだという。子供部屋は飾り扉(実際には扉ではなく扉のように作られている壁)があったり、暖炉の色が青くかわいらしかったりしている。ちなみにバルコニーの白黒タイルは竣工時そのままが残されておりかなり貴重である。学生でもバルコニーは立ち入り禁止。
庭に出て外から邸宅を眺めることもできる。1階がトスカナ式、2階がイオニア式で造られているそうで、正直なところ建築には詳しくないのでその凄さはよくわからないのだけれど、湾曲に張り出されたバルコニーの外観は圧巻。これまでも旧古河邸や旧岩崎邸などいくつものコンドル設計の館を見てきたけれど、これだけの巨大な館は稀有。さすがは元藩主だけはあるのか。トイレは個室ウォシュレット式。大階段の裏にひっそりとある。