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小島善太郎記念館(東京都日野市・百草園駅)

正直なところ小島善太郎という画家のことを知らなかった。以前に訪れた八王子夢美術館の常設展示で多摩地区の画家という紹介で作品を見た程度で何が代表作なのかなど知らなかったのだけれど、多摩地区の美術館情報を調べていたらヒットしたので、個人記念館ができるほどの人物であればと、日野の新選組関連を寄ったその足で興味本位で訪れることに。

調べてみる限りだと京王線の百草園駅が最寄りになっている。百草園駅は近くにある百草園のためにできた駅という印象で、実際に小島善太郎記念館も百草園の少し先にあるという地図情報を頼りに、まずは百草園を目指して進む。ついでに百草園も寄ってみようかな。
百草園駅から川崎街道を西進すると、やがて「百草園通り」という道が見えてくる。なるほど、ここを進めば良いのね、と何の疑いもなくその道を歩いたのが間違いだった。

この道を歩く先にきっと百草園

坂道である。
目の前にそびえるのは山。百草園通りが示している道の先には山がある。
とはいえ、新選組巡りで百段階段を行き来した実績がある。気力さえあればなんてことはない、迷わず行けよ行けばわかるさ、とばかりに軽快にステップを踏む。
道は緩やかにカーブを描きカーブの先が見えないようになっている。カーブを曲がるたびに勾配がキツくなっているのを感じる。百草園の地図では駅から徒歩10分とあるのでもう少しで着く。きっとあのカーブの先に。

きっとあのカーブの先に

坂道である。目の前にそびえるのは変わらず山。入口どころかその気配さえ感じさせない。この日は少し肌寒く、何か着こまないと震えるくらいの冷たさだったはずなのだけれど、額から汗が滴り落ちているのに気づく。
気分転換に横を見ればマンション群。階段が見える。そして恐ろしいことにこのマンションがあるのはまだ百草園通りの途中でしかない。途中に看板がある。「三沢砂土緑地とは・・・」うるさい黙れ知ったことか。

きっときっとこの角の先に

坂道である。
目の前に「あとひといき」という人を小馬鹿にしたような看板が見える。すぐ横には湧水がチロチロと生意気に流れている。息が上がっている。立ち止まって深呼吸。
「あとひといき」その言葉を本当に信じてよろしいのですね。と角を曲がる。

うそだろ

坂道である。
目の前というか遥か先に「ようこそ百草園へ」の看板が見える。本気か? これよりも勾配がキツくなっているのを感じる。
ちょっと待ってほしい。徒歩10分という情報はどこの情報だろうか。うなだれて歩みを止める。あの角を曲がれば。

いいかげんにしろ

坂道である。
目の前に入口は見当たらない。というよりこれまで以上の坂。しゃがみ込む。看板の意味とは。引き返すべきか考える。徒歩10分は誰が計測したのか。知りもしない小島善太郎を本気で恨みはじめる。

殺す気に来ている坂道

毒をくらわば皿まで。諦めて坂道を上る。進まない。勾配。激坂。むしろ壁。この角度。

正気かこの角度

こんなところに坂を作るんじゃねえ。森の先にようやく百草園の入口らしきものが見える。息も絶え絶え。心はすでにバキバキに折られている。

ようやく百草園の正門に立つ。

入るのやめた無理

百草園に入るのを颯爽と諦め小島善太郎記念館のみに絞り込む。記念館はまだこの先。あとどれくらい歩けばいいのか。
と思っていたら急に視界が開ける。急激な下り坂。下るということですか? ということはつまり戻る時にはまた上れと?

帰りにこの下り坂を上ることになります

小島善太郎記念館の入口は坂道を下りた途中にある。入口から館内までには急な階段がある。坂を上がって下ってまた階段を上る。空を自由に飛びたいな。

タケコプターよこせ青狸

館内は普通の家屋として使用されており、家にお邪魔するような形で見学することになる。入り口には川端康成から送られた手紙が掲示してある。まさかの文豪との出逢いに驚く。

バタからの手紙(汗だくで撮影)

入口から右手の階段を上がったところに展示室がある。広いリビングルームといった感じだろうか。アトリエとして使われていた家をイメージして再建されておりロフト部分にも作品が展示されている。また隣接して茶室があり、当年94歳の館長(善太郎の次女・敦子さん)が茶道の先生をしているのもあって教室を開いていることがある。

もともとはアトリエの一部だったらしい(汗だくで撮影)

訪れた時には館長の他にボランティアスタッフの方2名の3名が団欒としていた。そんな最中に外部の人間として訪れてしまったので最初は戸惑ったものの、自由に観てくださいとのことで一通りの作品を見る。その間も3人が色々と絵にまつわる話をしてくれるので退屈せずに鑑賞することができた。

桃の毛羽立った表面の質感や丸みが上手で「桃の善太郎」と呼ばれた(汗だくで撮影)

コミュニケーション力が必要かもしれないものの、疑問に思ったことは何でも答えてくれるし、逆にいろんな情報を先方から教えてくれるので、初めての人でも小島善太郎の作風や人生を窺い知ることができる。息子と同じ絵画教室に通っていた縁から陸軍大将の中村覚に見出され書生として暮らしながら中村不折に学び洋画の研鑽に励んだ。

人物像も多い(汗だく以下略)

静物画や人物像、風景画が印象的。西洋ではセザンヌの作風に近いだろうか。パリに留学して(野村證券の社長に作風を気に入られ援助されていた)破天荒な暮らしをしていた様子も写真に残されている。風景画については実際に現地に行って描く手法を取っており、次女である館長もよく連れ回されたという。
部屋の中には陶器をはじめとした善太郎の集めた品々が残されており、それらをもとにした絵画作品も多く展示されている。館長は善太郎の絵のモデルもやっていたため、実際の絵画とそのモデルに直接会えるという、かなり稀有な体験もできる。

右上の女性が館長の若い頃(汗だ以下略)

小島善太郎の妻は土方恒子。土方という名字からわかるようにどうやら土方歳三の親戚らしく、かつては土方歳三の生家の隣に住んでいたらしい。なんという円環。土方に始まり土方に終わる1日だった。トイレは個室ウォシュレット式。

あとから調べてみたら、百草園通りの坂は全国でも有数の激坂だったと判明。タクシー必須。

坂の序盤にあったマンション 百段以上ある

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