見出し画像

すみだ郷土文化資料館(東京都墨田区・本所吾妻橋駅)

東京23区にそれぞれある郷土博物館の一つ。本所吾妻橋駅から隅田川に沿いながら北進、隅田公園や牛島神社を過ぎた先にあるレンガ敷きの建物がすみだ郷土文化資料館である。

3階建てそれぞれの階にある展示室を1階から徐々に上がって行く形で古代〜近代〜現代へとつながるようになっている。
古代の墨田区のほとんどは海の下にあったものの、わずかに陸地になっていた地域に人々が住んでいたことから、土器や板碑といったおなじみのもの(石棒はなかった)も展示されている。国技館のすぐそばでほぼ完全な形で発見された国技館出土土器もある。孔王部という朝廷の統治エリアもあったという。近世に入れば隅田川沿いの墨堤は桜の名所として栄え、両国の回向院は江戸時代に発生した明暦の大火による焼死者を供養をはじめとした多くの墓(動物の墓も)ある。庶民の間では土で作った面子「泥面子」で遊ばれたことが紹介されている。

泥を型抜きしたという泥面子

2階では明治時代末期に墨堤で行われた花見のジオラマや、明治時代を中心に隅田川へ架けられた橋の紹介がある。両国橋、蔵前橋、厩橋、駒形橋、吾妻橋、言問橋、桜橋、白鬚橋、水神大橋といった橋のうち吾妻橋の模型も紹介されている。また戦時下でおきた6万人を超える被害者を出した東京空襲の惨状も展示され身の引き締まる思いに。文学者としては幸田露伴や娘の幸田文、堀辰雄に佐多稲子、永井荷風、森鴎外、正岡子規に版画の小林清親が著名。朝野新聞を作った成島柳北やホテルオークラの大倉喜八郎も輩出している。

吾妻橋の模型 風情ある

墨田区は向島の鐘紡や花王、本所の精工舎、吾嬬の東京モスリンといった多くの会社が生まれた場所でもある。企画展ではその中からライオンに焦点を当て、その歴史を紹介している。小林富次郎による石鹸販売からスタートしたライオンは孫の代に歯磨きで発展し、その後も薬品や洗剤を多く作り出している。かつてライオン提供のトーク番組『ごきげんよう』で使われていたサイコロも展示されている。

すみだ郷土かるたなんてものまである

3階は隅田川花火を中心とした企画展示。現在まで夏の一大イベントして開催されている隅田川花火大会。現在に近いかたちになったのは江戸時代後期からで、浮世絵にも描かれている。明治時代に入って政府より届出のない納涼花火を禁止する通達が出されたが柳橋料亭組合を母体とする両国花火組合に主導権が移ったことで継続している。その後も日中戦争の前までは行われたが、戦争に突入して中止、復活したのは戦後1948年になってからになる。けれど1962年に交通事情の悪化などを理由に再び中止を余儀なくされ、その後はしばらく花火大会のない時期が続いたという。1978年に環境の改善をはかったことから見事に復活、現在に至っている。連綿と続いてきたような印象のあった花火大会が何度も消滅の危機に瀕していたことが興味深い。トイレは洋式。

隅田川花火大会にも激動の時代があったのね

いいなと思ったら応援しよう!