勝海舟記念館(東京都大田区・洗足池駅)
古くは平安時代あたりから名が残っている洗足池。川ではなく湧水によってできた池で周辺は勾配が多い。歌川広重や川瀬巴水らによって絵の題材ともなっている。
そんな洗足池の公園すぐ脇にあるのが勝海舟記念館。かつて勝海舟の晩年の邸宅がこの近くにあったことから勝海舟に関連する図書が集められた清明文庫(鳳凰閣)を再利用する形で増築された博物館となっている。
勝海舟。美味しそうな名前の日本史上の人物トップ3である。ボリュームありそうな名前である。幕末に活躍した人物の中でも知名度はかなり高い方だと思っている。坂本龍馬の師匠でもあり、西郷隆盛との会合で江戸城無血開城を実行した人物。以前に訪れた徳富蘇峰記念館の、徳富蘇峰を自宅に住まわせたことでも個人的には馴染みがある。あの徳富蘇峰である。有名な徳富蘇峰。
最初の展示室では中央に円形の展示があり、勝海舟の生前の名言をモニターで紹介している。それをぐるりと囲むような形で生涯を年代ごとに紹介している。父親も相当に豪快な人物だったはずだが、それに関してはあまり触れられておらず、少年時代から苦労したという説明に留まっている。
勉学に励みオランダ語をマスターして蘭学を学び、自らも塾を開いた若き海舟。幕末の動乱期に『海防意見書』を提出したことで幕臣として取り立てられ、長崎の海軍伝習所で海軍の技術を学ぶことになる。やがて実績を買われて咸臨丸でアメリカへ留学、海外の文化に触れたことで海外との力の差を目の当たりにした海舟は帰国後に神戸海軍操練所を立ち上げる。しかし幕府内のいざこざに巻き込まれながら不遇の時期を送ることに。時代は倒幕へと進んでおり大政奉還とその後の戊辰戦争によって江戸城は新政府軍と対峙することに。最後の陸軍総裁となって新政府軍との交渉の末に江戸城無血開城が行われた。これがなければ現在の東京の姿は違ったものになったかもしれない。その後は明治政府で任官を受けるものの積極的には働かず、晩年になってここ洗足の地に洗足軒という別邸を構えた。
隣の展示室では咸臨丸での渡航の様子を映像で紹介している。迫力あるグラフィックで没入感がすごい。相当に大変な航海だったことがわかる。争いも多かったらしい。艦長の木村芥舟とは馬が合わず、同乗していた福澤諭吉ともはこれがきっかけで良い関係が築けていない様子。ちなみに帰りにはハワイに寄ったらしい。バカンスか。
さらに隣では企画展として、関係者との交流についてが紹介されている。西郷隆盛や大久保利通の薩摩藩や桂小五郎の長州藩(桂小五郎自筆の嘆願書も紹介されている)、幕臣や藩主との関係のほか、坂本龍馬との関係を示す文書や、新選組との関連もある。海舟の管領名である安房と阿波を間違えて覚えていた土方歳三など愛らしい。1階はそのほかに全国の関連史跡の紹介がある。都内だと赤坂が有名か。
館内は清明文庫を再利用しているためモダニズム建築の影響が見られる。当時の名残を残したままの階段を上がって2階には勝海舟の銅像がお出迎え。ほかにも洗足軒や旧清明文庫のジオラマ展示、勝海舟の足跡をモニター映像が紹介されている。
トイレはウォシュレット式。アンケートに答えるとオリジナルグッズがもらえる。平日だったのもあってか見学者はまばら。洗足池を回るついでに覗いてみるのが良いかもしれない。
ちょうど櫻が綺麗な時期だったのでついでに洗足池を周遊。勝海舟の墓はこの洗足池のほとりにある。西郷隆盛や徳富蘇峰といった関連する人物の記念碑もある。また、日蓮上人が訪れたとされる袈裟掛けの松や、源頼朝に捕えられ家臣の佐々木高綱へ下賜した名馬・池月の像もある。三連の太鼓橋でもある池月橋も美しい。