冬鷺
鷺がいた。
多分ダイサギじゃないかな、と思ったけれど違うかもしれない。
冬鷺、という季語があって。
そう言ってしまえば何鷺なのかの種類がわからなくても済んでしまうようだから、じゃあそれでいこうか。
鷺の別名はいろいろとあるようだ。
「雪客」と書いても鷺のことになるらしい。
あるいは鷺のことを指して「白鳥」という場合もあるそうだ。
そうなると、「白鳥」と書いてあったときにswanの白鳥じゃなくて鷺のことだったかもしれないということになるのか?
大きくて白い渡り鳥なのはどちらも間違いがない。
大きな鳥のことを「鴻鵠」と呼ぶ言い方がある。
これも鴻がおおとり、つまりはコウノトリのことで、鵠がくぐい、つまりはハクチョウのことと聞いていたけれど、この場合の鵠は鷺のことだったのかもしれないのだろうか。
そのあたりは知らないけれど。
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
そのまま読めば、小さな鳥にどうして大きな鳥の心がわかるだろうかというところから転じて、
つまらない人間には志のある人間の考えがわからないという意味になる、このことわざは別段嫌いではないんですが、
じゃあぞ鴻鵠は燕雀のことわかるんですかね?
とか言い出すと色んな意味で喧嘩になってしまいそうだ。
そもそも自分が燕雀であると思う人間はそうはいない。大体シンパシーは鴻鵠側になってこのことわざを読む人間に響く。無理解をする(理解をしない)側ではなく、無理解をされる(理解をされない)側に立つ、そして無理解は理解をしない側がよろしくない、という結論を持つものではないだろうか。
やっぱり各々いる場所で自分のことだけやっていればいいのかもしれない。
ところで鴻鵠たる冬鷺はこの日、
水鏡のような池を眺めて冬場の少ない食料を得ようとしていたと思う。
鴻鵠にだって志云々以前の日々の生活はある。