実家日記:欲しいものはなんですか
実(父が一人暮らししている)家
に、また行った。
自分の休みのたびに何がしかで行っているので、もうこうやってnoteの日記ネタにするくらいでないと自分だけの時間が残っていないような感覚がしてくるのがやばい。
というわけで結構(僕の)命がかかっているnoteである。
今回の任務は、
歯医者さんに(連れて)行く
でした。
予約からして四四田が取っているのだが、
予約の時に、
「お一人で来られますか……?付き添いとかは……」と言われて、
「あ、自分も行きます……」となった。
まあ、先生側から聞かれなくても連れて行ったではあろうが。
前回会った時に、
「(入れ歯の)前歯が折れちゃったんだよねえ」
「でもまあいいか」と歯のない顔で笑っていたので。
よかねえだろ
っていうね。
前歯ないまんまなのが本当にそれでいいならいいけど。
多分、申告してくる時点でよかないんでしょう。
十数年ぶりに、実家から歩いていける近所の歯医者さんに行った。
なんとその距離歩いて5分。
僕も小さい頃にお世話になった先生夫妻は相変わらずお元気で、待合室に日に褪せた「ハムスターの研究レポート」があるのに震える。
ハムスターの研究レポート懐かしいね……。あの頃みんな読んでた気がする……。
僕多分この歯医者さんでハム研にハマったんじゃなかったろうか。
当人の治療中、四四田は手持ち無沙汰過ぎて持ってった本を誰もいない待合室で読んでいた。
というのも、四四田の実家近辺、携帯がキャリアによっては電波入らずで、四四田のスマホは電波入らない……。
復活した本丸にも行けないなんて……。
四四田がちっちゃくて、
やれ耳鼻科だ歯医者だ小児科だと連れて行かれていた時、
親はこうして待合室にいましたね、
と思うとその逆転がちょっと不思議だ。
ところで歯医者さんに行く前にお昼ご飯を食べた。
実父の食生活について、
「あいつ……酒しか飲んでないんじゃ……」
などというかなり正解に近い気がする疑惑があって、
四四田の兄弟なんかは「このままじゃ父は栄養失調になる!」と騒いでいたりするので。
仕方ねえから野菜食わせますか……
と四四田がこの度持ち込みましたお献立がこちらです。
これに米を炊いて持ち込んだ。
前歯がなくてもいけそうな煮物中心です。
当人も料理をする男なもので、絶対に四四田の料理を正面切っては褒めない人でしたが、いい味ねえと褒められるなどする。
人間、年取るとまるくなるあれですか。
きんぴらなどは、四四田の父のレシピである。
ごま油2:砂糖1:醤油1
の割合で炒める。
量自体はその時その時の野菜のタチと量で変えるけど比率はどの野菜でも同じ。
ごま油で炒めてから、砂糖を入れてからめ、最後に醤油を入れる。
全体にまんべんなく絡んだらそこで火を止める。
何種類も入れるんでなく、
蓮根なら蓮根だけ、
ごぼうならごぼうだけで作るのが、
実父のきんぴらであった。
これ美味しいねえと喜んでいたので、
実父のレシピだよ、と教える。
「じつは何をどれくらい入れたらいいのか、もうわかんないんだよね」
と、そこで白状された。
最近やけにおでんしか作ってないなと思ったらそういうことか。
というか寧ろなんでおでんは作れてるんだ。
なるほど、と思って改めて台所を確認すると、食品棚にいくつも並んでいる料理の素は全て賞味期限が切れていた。
こうやって見ると、料理をしようという意思が消えたのは2019、2020年あたりだろうか。
なんだか探偵になった気持ちで冷蔵庫の中も覗いた。奥の方にほぼ使い終わった2019年賞味期限の味噌が放置されていた。
味噌を買い直してあげようか、と思ったけど、買っても使わなさそうではある。
そして醤油は2022年賞味期限切れだったことがこの後判明する。
歯医者の後でスーパーに引っ張って行った。
これまた四四田がちっちゃい頃はよく行ったスーパーなのだが、四四田の父はうろ覚えで馴染みがないらしい。
僕が作ってきた料理は食べ切れずに半分ほど冷蔵庫に入れていた(それを見越した量を持ってきていた)。
同じものが続いて飽きるかもしれないが、と前置きしながら、さっき食べたのと同じものが冷蔵庫に入っていることを説明。
それでも食べたいものや日持ちしそうなものを買おうと話しながらスーパーに入る。
そこで四四田の父は、買い物かごに、
タイの刺身
シメサバ
しゅうまい
まぐろづくしの寿司パック
ロースカツ重
ヒレカツ重
を入れようとしたというか入れたので流石に押しとどめる。
止める端からさらに中華惣菜が入りそうになるので、これは食べ切れないのではないだろうか?とかごの中で並べて見せる。
日持ちしそうなチルド食品のしゅうまい、
真空パックのシメサバ、
そもそも小ぶりで酒のアテにしかならなさそうな刺身は了承できるとして、
メインにしかならない、
寿司、ロースカツ重、ヒレカツ重はどれかにしようぜ、と話す。
というか、これは多分カツが食べたいんだと思うから、寿司諦めてロースとヒレで迷ったほうがいい。
そして、
選ばれたのはロースカツ重でした。
やはりな。
てか、若いな胃袋。
欲しいものがなんなのかを見極める精度が落ちているのかもしれないなあと、スーパーを回る姿に思う。
四四田にも何か食わせようと思ってくれたのかもしれないとしてもロースカツ重とヒレカツ重とでかい寿司は無理。父の中の四四田は運動部の男子校生なんですか。
興味深かったのは、料理の素的なものに興味を惹かれてしまいがちなことで。エビマヨの素をためつすがめつ眺めるので、これはエビがないと作れないですぜ、これ買ってもすぐにエビマヨが食べられるわけじゃござんせんぜ、と指摘をする。
果たして料理の素として認識しているのか、パッケージに惹かれてレトルト的な解釈をしていたのか、真偽の程はわからない。
欲しいものは何か。
それ以前に必要なものは何か。
という欲望の正しい認識。
そして、
自分が今欲しいと思うけれど処理し切れない場合、
あるいは欲しいと思いはすれど、状況には適していないかもしれない場合、
諦めるという判断。
分不相応、ないし、自分には向いてないという判断。
それこそ、今必要なのは食材なのか、料理の素なのか、レトルトなのか、調理済みの惣菜パックなのかという判断。
こういう判断を、
人間は当たり前にしながら生きているんだな、とその部分が緩んでいる人を見て学ぶなどする。
帰る道すがら、もう変なもの買わないんだよ。
無理して買おうとしないんだよ、という話をしながら歩く。
しかし実は彼はすでにテレビ通販で一万円の返品不可の健康器具を買ったばかりである(代引きで支払い済みであった)。
あんなに四四田が褒めたジャパネットたかたさんにすればいいのに、なぜそういうところだけ鼻が効くんだ。
※ありがとうジャパネットたかたさん、という記事はこちらである※
喋りながら帰って、早速刺身でも食べたらいかがと醤油を出そうとして、2022年で賞味期限切れしていることを知る。
本人は知っていて、お腹を壊しそうだと思って醤油は最近使っていないらしい。
いやいやいや捨てましょう、そういうのは。
というか、さっき醤油買えばよかったじゃないですか。
三倍希釈のめんつゆはなぜか新品が冷蔵庫にあるので、それで食べると。
それ……
居残り佐平次じゃん……!?
と、勝手に心の中ではしゃぐなどする。
(落語の居残り佐平次では、刺身を提供されるも醤油を忘れられてぼやく客に主人公の佐平次が隣の座敷から持ち込んだ蕎麦つゆを出すという場面があるんです)