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『電気人形』F.T.マリネッティ

先月、京橋にあるアーティゾン美術館へ行った時に見たのだが、イタリアの詩人、作家であるマリネッティの作品が気になっていて、今回手に入れられたものだけ読んでみた。

マリネッティといえば、未来派の創始者であり、その出発点とも言える「未来派宣言」という過激な宣言を当時のフランスの新聞「フィガロ」の一面に発表した人物だ。
彼の翻訳作品はほぼお目にかかれないが、今回『未来主義と立体主義』という本から彼の作品を読んでみた。

まず1909年発表の『未来派宣言書』、そして同年パリで発表された戯曲『電気人形』。どちらも、神原泰訳。

『電気人形』の表紙

ちなみに『未来派宣言書』の中に書かれている「未来派宣言」は11カ条あり、日本ではじめに紹介したのは、森鴎外

森鴎外は有名どころの作品はほぼ読んだし、『於母影』という翻訳詩集も読んだことがある。鴎外ら仲間と共訳した海外詩人の詩集だが、これらの訳はある意味で前衛的であったし、彼は文学界に新しい風を取り入れていた作家(医者だけど)だったと感じる。多くが意味不明で、とても読みづらかったけど…。

さらに、石田仁志のエッセイ『日本の未来主義と立体主義』を読んだところ、鴎外はなんと、マリネッティが「未来派宣言」を発表してわずか一カ月後に日本語訳で発表しているとのことだった。どこから訳してきたのか典拠不明だが、忠実に訳してあるとのことだ。

マリネッティ「未来派自由態の言葉」(アーティゾン美術館)

「未来派宣言」は、随分力強く精力的で、内容も過激に思える。特に9条は、思い切り戦争賛美、さらに女性蔑視しているため、今の情勢を考えると…、ここに引用するのは控えよう…。
参考に下記にリンクを貼っておく。森鴎外訳であるが、今回私が読んだ神原泰訳の宣言も(の方が)過激。


一方で、戯曲『電気人形』は、そこまで過激ではなかった。

当時としては、どんな反応があったのかは不明だが、個人的には単なる悲劇的な作品。むしろ刺激は少ない気がした。

ストーリーを大まかに言えば、人を愛することによって人々が懐疑的になっていき、最後まで誰一人と信じることがでず、結局は悲劇的な終焉を迎えるという戯曲。

「電気人形」大正11年発行!

ユニークなのが、タイトルの通り、電気人形(ロボット)が出て来る。この電気人形は突然咳こんだり、唸り始めたりするので、シリアスな中に妙な空気感が漂うのだ。
どうもこの電気人形は、官能的な愛情の場面で咳込み、唸る傾向にあるような…。

心ある人間は、恋や愛によって不安定になり精神が支配されていくけれど、電気人形はその都度咳き込んでいるだけなのだ。

ただ、その咳き込みや唸りを機械的刺激とすれば、人間の感情が起こる時に電気人形も機械的刺激が起きているということになるわけで、これは実は人間的な要素を持つ電気人形だったりして?? ひょとして…いや、やっぱり斬新か!?

マリネッティの作品をもっと読んでみたいな。

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