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小説:コトリの薬草珈琲店 11-2

<私・・・>
 その世界を眺めるカメラと化していた琴音は、ようやく、自分がこの世界を観測し続けていたことに気づいた。須美羅売と佐加麻呂、赤麻呂、虫飼、そして、香古売。彼らの日常を断片的に観測して、断片的に記憶しているようであった。

<やっと気づいたか>
 不意に、声がする。琴音は少し思いを巡らしたが、すぐに声の主が誰だか理解した。
<この声、勾玉さん、だよね?>
<そうだ。・・・ようこそ、オレの夢の世界へ>
<お母さんが亡くなってから3年ほどずっと一緒にいたけど、やっと会えたって感じだね>
<だな。色々と聞きたいことはあるだろうが、それに答える余裕はあまりない。苦労かけるが、しばらくこの世界を見守っていてくれないか?やがて、お前にしかできない役割が一瞬だけ訪れる。それを全うして、オレにいい夢を見させてほしい。最後に少しばかりの礼をさせてもらうから>
<私の役割・・・、なんだろう>
<それは自ずと分かる。>そう言うと、勾玉は口を閉ざした。

 特に、いつも見る夢のことを勾玉に聞きたかったけれど、いったん勾玉の言うとおりにしようと琴音は考えた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 5歳になった香古売の楽しみは、母親と一緒に行く東市での買い物だった。買い物に行く日は須美羅売が休みを取るので、香古売としてはずっと母といられることが嬉しかった。
 定刻の正午になったら門が開き、列をなしていた人々が市へと入っていく。ほとんどの人が無地の普段着で、色彩豊かな勤務服を着る者はぱらぱらと目に映る程度だ。

「お母様、また、あの人たち・・・」
「そうね。お酒を飲みながら、双六(すごろく)で遊ぶんでしょうね」
「この前の喧嘩、すごかったね笑」
「ね。楽しく遊んでいたらいいのに。赤麻呂や虫飼にはあんな風にはなって欲しくないなぁ」
 先日、双六が原因の喧嘩を香古売と一緒に目の当たりにしたことを思い出して、須美羅売はため息をつく。

「お母様、これは?」カゴに盛られた魚介類の中から、見慣れないものを香古売が見つけたようだ。
「これは、アワビ。貝の一種だよ」
「ふうん、私って食べたことある?」
「ないかも。ちょっと高いから、何かお祝いの時にでも食べてみる?」
「うん。食べてみたい」
「分かった。覚えておくね」

 必要な買い物が終わった後も、櫛やかんざし、色々な形の墨、まじない用の小物などを見ながら香古売らはウィンドウショッピングを楽しんだ。時々、大道芸を見られるのだけれども、今日はお休みのようだった。

<二人、楽しそうだね。>と琴音が思うと、
<そうだね。>と勾玉も言葉を返す。

 平城京の大通りは人の背丈の何倍もある高さの築地塀で区切られているので、人の目線では京の全景を見渡すことができない。場所によっては、自分を囲む築地塀と空しか見ることができなかった。視覚的にも単調な生活を送っているため、市での買い物やお寺で聞くお話などは大切な娯楽であった。住む人は平城宮に勤める官人も多かったので、お酒を飲みながら自分の処遇について愚痴を言い合うのも大人の楽しみではあったのだけれども。

 夕食用に鰯を買った二人は、来た道を戻る。道の両側は小さな溝となっていて、そこに水が流れている。その溝は、いわゆる当時の下水道の役割も担っていた。上半身が裸の男性が溝に入って、掃除をしているようだった。

 家の前の溝にかかる木製の小橋を跨ぎ、二人は自宅へと戻った。四方を板塀や生垣で囲まれた我が家。生垣も植物が適当に植えられているだけなので、隣家との風通しは良い。実際、香古売も生垣の隙間を抜けて、隣の家によく遊びに行っていた。

「ただいま、赤麻呂、虫飼。お魚、買ってきたよ。今晩は鰯だよ~」
「やった~、魚だ。」食事にいつも反応するのは赤麻呂のほうだ。毎日、肉や魚をとれている訳ではないので、今晩の食事は楽しみだ。
「あれ、畑の水、やってくれた?ずっと独楽で遊んでたんじゃない?」
「あ、忘れてた。あとでやっとく」
「よろしくね。あと、菜っ葉も夕食用にいくつか採っておいて」
「分かった」
「虫飼も、井戸、気を付けてね。」須美羅売は虫飼にも声を投げかける。
「もう、大丈夫だってば。」数年前に自宅の井戸に落ちかけた虫飼は、事あるごとにそれを心配されることにうんざりしているようだった。

 夕食までにまだまだ時間があるということで、香古売は隣の家に遊びに行くことにした。そこは、妻に逃げられてしまったのか、父と息子と、使用人の三人だけが暮らしていた。そこのお父さんが平城宮で薬草を扱う仕事をしているようで、その話を聞くことが香古売は好きだった。

「生田麻呂(いくたまろ)、何してんの?」生田麻呂とは、そこの息子の名前だ。香古売と近しい年齢だった。
「香古売かぁ。畑の手伝いで疲れたから休んでた」
「ふうん、大変だね。・・・あのさ、お薬の棚、一緒に見ようよ」
「いいけど、触ったらお父様に怒られるからね」
「大丈夫。見てるだけだから」

 香古売は我が家のように生田麻呂の家に上がり込み、いつもの薬草の棚の前に座った。薬草は貴重で平城宮によって管理されていたので、個人で所有できるということはめったにない。しかし、この家の世帯主は余った薬草を家に持ち帰り、コレクションにしていた訳だ。いわゆる、役得というやつだ。棚の上には小さな袋が並べられていて、それぞれに薬草の名前が書かれている。

「これは、甘草。これは・・・、生田麻呂、分かる?」
「分からないよ。香古売みたいに覚えられない。文字も分からないし」
「これは人参だよ。生田麻呂のお父様も、何度も教えてくれたよ」
「う~ん。薬草ってどんな風に使ったらいいの?」
「・・・それはあたしも覚えてない」
 薬草は病気を治す凄いものらしいということだけいつも教えられるのだが、二人とも内容についてはまだまだ分かる年齢ではなかったようだ。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 その日の夕飯は雑穀米と鰯とワカメのスープ。久しぶりの魚を、赤麻呂と虫飼は美味しそうに食べていった。一方、二人の親と香古売は、おしゃべりを楽しみながらゆっくりと食を進めた。
「香古売は東市から帰ってから、お隣にでも行ってたの?」
「うん。生田麻呂のところに行ってた」
「また生田麻呂と薬草の話をしてたの?」
「うん。生田麻呂って、薬草のことを全然、覚えてなくて。また、あたしが教えてあげたの」
「あらあら、香古売は偉いね。私たちにもまた、教えてね」
「うん、いいよ。・・・あ、そうだ。あちらのお父様に『全部の薬草を混ぜたら、どんな病気にも効くお薬を作れるんじゃないの?』って、あたし、聞いたんだ。そうしたら、それは違うって言われた。それぞれの病気に一番効く薬草を選ばなきゃだめだって」
「なるほどねぇ。じゃぁ、ちゃんとお勉強をしないとダメね」
「うん。あちらのお父様に薬草のことをたくさん教えてもらって、お母さんが病気になったらあたしが治してあげるね」
「香古売、ありがとうね」

 二人の会話を聞いて、佐加麻呂がはっと思い出したように袋をまさぐる。取り出したのは、ミニチュアの食器セット、ミニチュアの馬などだった。それを見た香古売は、目を輝かせた。
「お父様、それ何?小さいお馬さんとか、かわいい。あたしも欲しい」
「あ、ごめん、香古売。これはまじないの道具なんだ。こういうのが好きだったら、お父さんがまた竹などで作ってあげるからね。」そう言ってから、須美羅売のほうに向き直して話を続ける。「・・・なぁ、須美羅売。お前、大宰府の話、聞いてる?」
「・・・そう言えば、聞いてた。確か、瘡のできる疫病が流行ってるんでしょ?」
「うん。悪霊が平城京まで来ないように、道饗祭(みちあえのまつり)を執り行うということなんだけど、どれだけ防げるのかなって」
「皇后様のほうもまだ体調が回復されていないんだけど、疫病のことを憂いていらっしゃるって皇后宮職で聞いたよ。ちょっと不安」
「一応、我が家でも何か出来たらと思って、もらってきたんだけどね・・・。」そう言って佐加麻呂は、ミニチュアの土師器を手の上で転がした。

<疫病って、もしかして、天然痘のこと?>琴音も不安になる。
 それに対して、勾玉は何も返答しなかった。

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