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小説:コトリの薬草珈琲店 7-3

 薬草教室が終わって、生徒たちは帰り支度を進める。奈良市から来た歯医者の奥様・高橋さんは、友人2人を乗せて車で帰るのだろう。県外から来たグループは1時間に1~2本出ているバスで帰るか、誰かの車に途中まで乗せてもらうかとなるだろう。もしくは、このゲストハウスにもう一泊するのかもしれない。

 高橋さんは帰り際、川原君に声をかけた。
「今日はお疲れ様。川原さんって、ときじく薬草珈琲店のデザインをされた方よね?」
「ええ。色々とお手伝いさせていただきました」
「素敵なデザインじゃない。儲かってるんじゃないの?」
「いえいえ、やめてくださいよ笑。ぼちぼちです」
「ふーん。あと、川原さんと今里さんって仲よさそうね。今日も一緒にいらしたんでしょう?」
「え?・・・そうですね。まだまだですが笑。」照れ臭そうに川原君が笑う。
「まだまだ・・・ね笑。頑張ってね」
「ありがとうございます」
 じゃあね、と高橋さんが去っていく。聞きたいことだけを聞いてスッキリしたようだった。

 他の生徒が教室からいなくなると、琴音は舞先生の片づけのヘルプに回った。川原君もそれに倣う。琴音はお茶関連の後片付けを、川原君は机の片付けなどを行った。およそ片付け終わった時点で、舞先生が琴音に封筒を一通、渡す。諸々の手伝いの謝金だ。琴音は「ありがとうございます」と言ってそれをリュックにしまう。全てが完了し、舞先生と別れの挨拶を交わした琴音と川原君は古民家の外へと出た。

「川原さん、もし空いてたらだけど、薬膳カレーのお店などいかがです?ちょっと夜には早いけど」
「いいですね。ぜひ」
 という訳で、琴音は電話を手に取った。少しやりとりし、笑顔で終了する。
「大丈夫だって」
「よかった。じゃあ、行きましょうか。その店って、以前、琴音さんの店で話題に挙がっていたお店ですか?確か、福田君と三人で会話した時に紹介してくれたような」
「もしかしたら、そうかも。」思い出せないのか、曖昧な笑顔を琴音は返す。
「たぶん、そうですよ。めちゃくちゃ楽しみ。」川原君のほうはなぜか確信があるようで、楽しみに目を輝かせている。

 寒空の下、数分歩いて目的のお店に到着。宇陀の町ではコンパクトに、薬草関連の店舗がいくつも店を構えている。敷地内にある駐車スペース横のアプローチを歩き、玄関から店の中に入る。

「こんにちは~、今里です」
「お~、琴音さん。お待ちしていました。」笑顔の男性マスターが出迎えてくれる。その後ろで奥さんが笑顔で礼をする。夫婦で薬膳カレーを提供している訳だ。ウッディな床材に木製の家具。奥には薬草の入った瓶が立ち並んでいる。琴音の薬草珈琲店にも通じる雰囲気のお店だ。
「すみません、予約していないのに急に来てしまって」
「うん、実は昼にキャンセル入ったんですよ。急な病気ということらしくて。まぁそれはしょうがないけど、食材どうしようって彼女と話していたところで。」と、奥さんのほうに少し話を振る。
「久しぶりに琴音さんが来てくれるって聞いて、飛び起きました。さっきまで昼寝してたんですけど。眉毛しか描けていなくてすみません笑」こちらも、マスターに負けないくらいの笑顔の素敵な女性だ。
「うん、久しぶり~。元気してた?」
「うん、おかげさまで~」
「さあさあ、お席のほうにどうぞ。」とマスターに促され、琴音と川原君は席へと向かった。

 10分ちょっとの調理時間を経て、2皿のカレーが机に置かれた。本来は事前に体調を伝えて処方してもらうのだが、この日はキャンセルした客に使う予定だった食材を利用するということで、お任せのメニューとなった。

「琴音さん、これ、めちゃくちゃ美味しいですね。」川原君がため息をつく。
「でしょ笑。体調に合わせるだけでなく季節にも合わせて処方されているから、たぶん、身体が温まってくると思う」
「おお、考え抜かれてますね。」などと話しながら、食が進む。

 おおよそ食べ終えた頃に、マスターが声をかけてくる。「男性の方、カレーはどうでした?」
「いやあ、とても美味しかったです。辛いって訳じゃないのに、身体がホカホカになりました」
「ありがとうございます。薬膳って言っても、うちはアーユルヴェーダがベースなんですよ。暑い国の薬膳ではあるんですけど、身体を温めるのも結構、得意かもしれませんね。」と語ってから、笑顔のままで言葉を続ける。「お二人はどのような・・」
「友人の会社のデザイナーさんで、うちの店のデザイン関連をお手伝いいただいた方なんですけど、薬草に興味が湧いてきたということで、一緒に舞先生の教室に行っていたんですよ。私のほうは手伝いだったけど」
「あぁ、舞先生。そういえば今日も教室するって言ってましたね」

 この薬膳カレー店も舞先生の監修を受けている。このエリアの薬膳や薬草関連のお店は、舞先生と関わりのあるものが多い。

「いつもは佳奈ちゃんと一緒じゃないですか。琴音さんが男性とご一緒なのが珍しいと思って笑。」マスターが心に浮かんだ質問をストレートに投げる。
「佳奈ちゃんは今日は約束があるか何かで、教室に来れなかったんです」
「なるほど。佳奈ちゃんもいつも何かしら忙しそうですもんね」
「そうなんですよ笑」

 一息ついて、帰り支度。そして、奥さんと琴音が、美味しかった~、また来てください~、などとお別れの儀式を済ませ、琴音と川原君は宇陀の町を再び歩き始めた。手を振りながら別れを告げる。

 歩きながら、他愛のない会話が交わされる。
「川原さんって、デザイナーなんだけど、着ているものが派手じゃないっていうか・・・」
「あぁ、なるほど。それはデザイナーとアーティストの違いの話かもしれませんね」
「デザイナーとアーティスト?」
「うん。デザインっていうのは、誰かの問題を解決する手段なんですよ。例えば、もっと自分の店を魅力的にアピールしたい、というお店の課題に応えるために名刺のデザインもしたりします。ホームページだったり、カタログやチラシなどもあります。一部のプロジェクトでは、組織のデザインをすることもありますよ」
「組織のデザイン?」
「うん。会社の問題をお聞きして、こんなスキルを持つスタッフを育てたほうがいいですね、などとアドバイスするイメージです」
「へぇ~、絵を描いたりパソコンでデザインしたりするものばかりだと思ってた」
「うん。そっちがメインですけどね。いずれにしても、デザイナーは誰かのためにデザインを考える人間。一方、アーティストはこれまで世に出ていない考え方や造形物を形にする人間。それは自己表現という側面もあると思います。語弊を厭わずに分かりやすく言えば、デザイナーは誰かのために何かを考える人で、アーティストは自分が何かを残すために努力する人とも言えるかも。それが服装にも表れるんじゃないかなぁ。・・・そんな訳で、デザイナーは結構、落ち着いた服装の人が多いです」
「そうなんだ。だからデザイナーさんって、優しい感じがするのかなぁ。」琴音はそう言いながら、昔の光景を再び思い出す。ときじく薬草珈琲店の開店準備の際、川原君が情熱を込めて仕事を進めてくれていた時の姿を。琴音に質問を繰り返しながら琴音の考えやイメージをたくさん引き出し、それを絵として完成させていく。成果物を琴音に見せて、琴音が笑顔になって初めて、川原君も笑顔になる。そんな時間がかつては繰り返されていた。

「ねぇ、琴音さん」と、川原君の言葉が琴音を現実へと引き戻す。「せっかくなので、宇陀の町をもう少し見てまわってもいいですか?もしお時間あれば」
「いいですよ。簡単にご案内します。」琴音は笑顔でそう答えた。

 宇陀松山。江戸時代には宇陀松山藩の陣内町として栄え、薬の町としても全国に名を響かせていた。歴史的な建造物も多く、重要伝統的建造物群保存地区に選ばれている。琴音が店を構えているならまちとも、少しだけ雰囲気が近い。

「こちらは『薬の館』です。江戸時代の薬問屋のお屋敷が資料館として開放されているんです。このお屋敷の至る所で生薬名を目にすることができるので、漢方や中医学を勉強している人だったら、昔からこの生薬を使ってたんだ~とか、こんなブレンドしてたんだ~とか、すごく楽しめるところなんです」
「なるほど。漢方の知識が深まるほど楽しめそうな感じですね」
「うん。そんな感じ」

 そこから数分ほど歩くと、小さな門が目に入ってくる。
「こちらは森野旧薬園です。江戸時代に採薬師として奈良を巡った森野藤助が残した薬草園で、現在では200種類を超える薬草木が大切に育てられています。当時から残る薬木もいくつかあるみたい」
「すごいですね」
「敷地に入ってすぐの場所には葛粉を精製する場所があるんです。小さな工場というか、作業場というか。この薬草園を管理しているのは葛屋さんだったと思います」

 少しブラブラと歩くだけですぐに日が暮れてきたので、来た道を戻ることとした。会話は薬草料理を楽しめる宇陀のお寺、お宿、その他の飲食店に及んだ。人通りも少なく静かな町なのだけど、そんなにたくさんの薬草関連のお店があることに川原君は驚いたようだった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ちょっとばかりの無言が続いた後で、おもむろに川原君が声を発する。

「ねぇ、琴音さん。何ヶ月か前にもお聞きしてしまったんだけど、今、お付き合いされている人はいらっしゃいますか?」
 琴音は少しだけ、自分の心臓が波打つのを感じた。さすがの琴音にも、その質問の意味することは分かった。
「いません。川原さんは?」
「もちろん、いないです。・・・琴音さん、よかったら、僕とお付き合いしていただけませんか?」優しい瞳が静かに、でも真剣に、そして琴音を包むように見つめてくる。
 琴音も立ち止まり、振り返り、川原君の瞳を見つめ返した。ただ、その表情にはほんの少しだけ、驚きと困惑のニュアンスが含まれていた。

 心のどこかでは、こうなるような気がしていたかもしれない。それでも、突然の告白に琴音はどう結論を出したら良いかが分からなかった。いつも自分の使命にばかり頭を使っていたため、こういった思考には不慣れなんだな、と自らを振り返る。ただ、少なくとも誠意をもって、返答したいと思った。川原君は、そうすべき相手だと思った。
「そう言ってもらえて嬉しいです。前向きに考えたいと思います。でも、こういったことをいつもあまり考えられていなくて、少しだけお時間いただいてもいいですか?・・・まずは、お友達というところから始めてもいい?」
「もちろん。大切なことだから、納得してから答えを聞かせてもらえたらと思います」
「うん、誰か他に気になっている人がいて、とかじゃないから。・・・私、他の人と心の歯車が嚙み合わないことが結構あって。・・・それだけじゃなくて、自分の心も分からないことがあって。川原さんにこんな風に言ってもらえたことは嬉しいことなんだと思うんだけど。・・・本当の本当に自分にとって嬉しいことなんだって自信を持って言えるようになったら、ちゃんと返答しようと思います」
「うん、分かりました。心の歯車、なんですね。そのあたり、琴音さん自身が乗り越えたい課題のようなものなんですかね」
「うん、そうかもね・・・」そう微笑む琴音の顔は少し寂しげでもあった。例えば、友達同士で心が通じ合って、冗談を言い合って、肩を組んでみんなで笑って。そういうことに少し憧れてはいたものの、琴音にはできなかった。他者と自分の間には薄い膜があって、その誰かの心は自分には届かないような感覚を琴音は昔から持っていたのだ。それで大学の時は恋愛に失敗した。そして、琴音はもう、そんな失敗をしたくはなかった。

「ねぇ、川原さん・・・いや、川原君、でいい?・・・川原君は、私のどんなところが魅力的に感じたの?」
「何かに打ち込んでいる人って、美しいし、素敵だって思うんです。そして、これは笠原さんから聞いたんだけど、できるだけ人々の悲しみを救いたいという衝動が薬草珈琲の根底にあるって聞いて。自分以外の誰かを幸せにしたいという想いは、デザイナーの僕の想いとも同じで、一緒にその想いを叶えられたらって思ったんです」
「うん、それは共感できるかも。今の、すごく素敵な言葉だった」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 その日の夜に、琴音は凛に電話をかけた。ベッドの上で座りながら。照れくさい気持ちもあったので、少し曖昧に話をしようと思っていたけれど、結局は詳細に全てを話してしまった。凛はうんうんと話を聞きながら、一緒に喜んでくれたようだった。
「いやいや~。でも、珍しく、嬉しい電話を掛けてきたねぇ、コトリちゃん」
「ごめん・・・というか、いつも変な電話を掛けてたっけ?」
「いや、困った時しか電話をしてこないだろ、お前は」
「うぅ・・・言い返せない笑。・・・でも、本当は、今回もちょっと困っているのかも」
「どういうこと?」
「相手が自分に向けてくれている好きっていう気持ちは、言葉では分かるんだけど、心でどう理解したらいいのかが分からないって言うか。何か客観的な・・・第三者的な目で見てしまう自分がいるって言うか。自分ごととして感じられないって言うか」
「ああ、なるほどね。コトリらしい悩みだな。昔から、そんな感じだったもんな。言ってみれば、相手の心の温かさを感じ取ることが苦手って言うか」
「そんな感じ」
「大学の時の真面目な彼氏君も、コトリのあまりの無反応さに逃げちゃったもんな。ははは。・・・分かった。私もそのことをちょっと考えておくよ」
「ありがとう。大学の時の二の舞にはしたくないし」
「だね。分かった」

 自分に向けられた「好き」を全身で「嬉しい」と思えたなら迷いなく良い返事を返していたと思う。あと一歩、自分を変えられたらいいな。そんな期待を抱きながら、琴音は電話を切った。

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