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小説:コトリの薬草珈琲店 10-1

10章 文化財研究所

 3月、少し温かな晴れた平日。いつも通りランチ営業を行っていると、よく見慣れたメガネ男子が店の中へと入ってきた。カウンターの奥側に座る歯科医夫人・高橋さんに軽い会釈をして、その横へと座る。川原君の大学時代の後輩であり、奈良のツアー会社で働く福田君だ。

 ただ、今日の福田君はいつもと違い、何やら楽しげなオーラを纏っている。何かいいことあったのかな?などと思いながら挨拶し、注文を聞き、ランチを提供。ただ、他の接客でも忙しく、そのことは琴音の意識から外れてしまっていた。

 しばらくして福田君の会計のタイミングとなったので、琴音は「私が会計するね」と真奈美と佳奈に伝えてレジに向かう。そこでもやっぱり、福田君は楽しげな雰囲気だった。

「福田さん、いつもありがとうございます。・・・今日は何だかちょっと楽しそうな雰囲気を感じるんですけど、気のせいですか?」
「ははは。うん・・・進展があったんですよ」
「進展?」
「ええ。勾玉のことが少し分かったかもしれないんです」
「・・・え、すごい!」
「うちの会社のツアーでも時々お世話になっている大和文化財研究所の田端さんという方に勾玉をちょっと見てもらってたんですけど、少なくとも奈良時代には存在していた勾玉みたいなんです」
「すごい」
「でしょ~。田端さんが良かったら会って説明しましょうか?と言ってくれてるんですけど、店長さんどうされます?」
「ぜひ、お願いしたいです」

 それから数往復のスマホのやりとりをして、大和文化財研究所への訪問日が決まった。次週の水曜日だ。そして、そのことを凛に伝えるとすごく興味を持ってしまったようで、凛はなんと、会社を休んで琴音について行くこととなった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 大和文化財研究所に訪問予定の水曜日。せっかくだから少し早く出発して散策する?という流れで琴音と凛は自転車で同施設まで向かうこととした。大和文化財研究所は平城宮跡歴史公園の西端に位置し、奈良駅からは自転車で30分前後と言ったところだ。

 平城宮は奈良時代の大都市・平城京の北端に位置する、政治の中枢区域。現在は歴史公園となっているが、平城宮跡だけでも非常に広大である。その東端には法華寺が隣接。かつて藤原不比等の邸宅があった場所に、その娘である光明皇后が創建したお寺だ。総国分寺である東大寺に対して、総国分尼寺として重要な役割を担ったとされる。人々が病を癒した浴室(からふろ)は現在も残されている。現在のものは1766年に再建されたものではあるが。

 琴音と凛は偶然、法華寺の前を通りがかった。めったに来ないし、せっかくだから入る?という流れでお参りをすることにした。拝観料を払うと境内を巡る道順の指示を受ける。

 立派な鐘楼を左手に見ながら、本堂へ。襖の引き戸を開けて中に入ると、ひんやりとした空気に身が引き締まる。本尊は十一面観音菩薩立像。光明皇后がモデルとされる。特別に開扉される期間以外は分身像を拝むこととなる。
「なぁコトリ、こちらの十一面観音さんは、この松久って人が分身像としてつくったと言うこと?」
「そうみたい。このお顔を見ていると波乱万丈の人生を送った光明皇后の厳しさのようなものも感じるけど、なんだか全てのことを許してくれるような優しさのようなものも感じるかも」
「確かに」
「皇后という最高権力者としての責任感や重圧を感じながら、同時に、娘を思う母親としての一面もあったって福田さんが言っていたような気がする」
「福田さんって、川原君の後輩だったっけ?」
「うん。ツアー会社で働いている子なんだけど」
「そうそう、そうだった」
 会話が途切れると、二人の耳には本堂を解説する館内放送が聞こえてきた。十一面観音の右足は前に踏み出し、右足の親指は少し跳ね上がっている。これから人を救おうと一歩踏み出す、その姿が表現されているそうだ。琴音と凛は十一面観音菩薩立像の姿を通して、もう一度、在りし日の光明皇后を拝んだ。

 法華寺を出た二人は平城京や平城宮の歴史を展示する平城宮いざない館に少し立ち寄ってから、その近くにある天平みつき館を訪れた。そこには奈良の特産品売り場があって琴音も定期的に訪れている。
「なぁ、コトリ~。このレトルトカレー、大和当帰が使わているみたいだぞ」
「うん、知ってる。ちょっと高いから、まだ食べたことないんだけど笑」
「あ、ほんとだ笑」
「凛ちゃん、薬草や薬木を使った商品、結構あるんだよ。たとえば・・・このポン酢。大和橘を使ってるでしょ?」
「ほんとだ」
「すごい爽やかで美味しいよ〜。あと・・・そうそう、こちらは大和当帰を使ったコーヒー」
「おお、薬草珈琲やん」
「うん。こちらの薬草珈琲のほうがうちよりも大先輩だけどね」
「そうなんだ・・・」
「あとは・・・この葛餅も普通に薬草」
「ほんとだ。・・・って言うか、コトリの識別能力がすごいな。私がこのお店を回っても、薬草関連の商品をそんな風には見つけられんわ」
「ふふ。まぁ一応、そっち方面の専門なんで」
「いやいや、お見それしました笑」
「いえいえ笑」

 もう少しだけ時間があったので、二人は平城宮跡の西端にある資料館に立ち寄った。

 建物の中に入ると二人にピッタリと付いてくる妙齢の男性がいる。ボランティアの解説員だ。
「お二人はどこからいらっしゃったんですか?」と男性が聞く。
「いや、めちゃ地元です。奈良駅の方です。ちょっとブラブラしようと思って。」と凛が返す。
「そうですか。こちら、この床にある大きな絵が人気なんですよ。現在の奈良市と平城京を重ねた絵になってまして」
「ほんまや。分かりやすい」
「こちらはかつての長屋王の邸宅で、現在は大きな商業施設になってるんですよ」
「あそこって元々、長屋王の邸宅だったんだ。知らなかった。コトリは知ってた?」
「うん、まあ笑」アンニュイな笑顔で琴音は返す。

 解説員の男性にお礼をして、二人でもう少しだけ館内を回ることとした。平城宮いざない館に比べると非常にこじんまりとした施設ではあるが、逆に静かでゆっくりと回ることができる。
「なぁ、コトリ。奈良時代の貴族ってかなり贅沢な食生活やったんやなぁ。」豪華な食の展示を指さして凛が目をキラキラさせている。
「うん。この人たちは税金として全国から持ち込まれた美味しいものを贅沢に食べていたらしいから。一方、平城京内でも普通の人は穀物と汁物と、お野菜一品くらいの質素な生活だったらしいよ」
「すごい落差やなぁ・・・」
「うん。でも、アワやヒエと言ったミネラルたっぷりの穀物を食べていたから、意外と健康だったみたい」
「そうなんだ・・・」

 だんだんと約束の時間が近づいてきたので、二人は資料館を出ることとした。平城宮跡歴史公園内を少し歩くだけですぐに、大和文化財研究所の建物が見えてくる。曲線や斜めの線は使わない直線的でシャープな造形、ガラス窓と暗色のタイルで造られたシックな色合い。お洒落なモダン建築だ。

 入り口から建物に入ると見慣れたメガネの男性がこちらに手を振ってきた。福田君だ。
「店長さん、お待ちしていました。こちらが、笠原さんですね。はじめまして」
「はじめまして。すみません、関係ないのに飛び入りしちゃって」
「いえいえ~。奈良好きの仲間が増えるのは歓迎です。受付は済ませているので、田端さんは時間になったらいらっしゃると思います」
「福田さん、色々とありがとうございました。田端さんのお話、すごく楽しみです」
「いえいえ。いつも店長さんの美味しいランチをいただいてますので笑」

 やがて、建物の奥の方からスーツ姿の男性が現れた。年齢は50代後半から60代といったところだろうか。三人の前に立ち、今日はよろしくお願いしますと丁寧に頭を下げる。三人もあわてて頭を下げる。琴音が頭を上げるとその男性と目が合った。

 琴音の予想では、ここ数年の間によく見たあの夢は、あの勾玉と関係している。その証拠・・・までは行かないかもしれないが、福田君に勾玉を預けてからはあの夢を見はしなかった。この男性の目にあの勾玉はどう映ったんだろうか。少しだけでも、夢のヒントが得られたら嬉しいと思う。いつになく、琴音の胸は期待で高鳴っていた。

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