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小説:コトリの薬草珈琲店 10-3
「お預かりした勾玉ですが、少し面白い仮説をお話できるかもしれません。」田端さんは三人が聞く体勢を示すと、ゆっくりと説明を始めた。その言葉は窓から見える平城宮跡の風景と相まって、三人を古(いにしえ)の世界へといざなう。
「まず、この勾玉自体は、形状と年代測定技術を組み合わせて判断すると、およそ1,800年前、古墳時代初期に作られたものだと推定されます」
「古墳時代の初期・・・」琴音が田端さんの言葉を反芻する。
「ええ。ただ、この表面に刻まれた文字は恐らく奈良時代のものだと思われます」
「えっと・・・え?・・・それは文字だったんですか?私はこれまで傷だと思っていました」
「ええ。文字ですね。勾玉に硬い何か・・・石か何かで刻み込んだ文字だと思われます。落ち着ける環境でなかったせいか、あまり丁寧には書かれていないんですが」
「なるほど・・・」
「恐らく、3文字。二文字目は“古”という文字ですね。古い、の古。」そう言いながら、田端さんは勾玉を持ち上げて、文字の部分を示してくれる。三人は確かにそうかも、という面持ちでその文字を確認する。
「三文字目は“売”という文字ですね。売る、の売。・・・一文字目は少し読み取りづらいのですが、最も可能性が高い候補としては“香”が考えられます。香る、の香」
「香るに古い、売る。どういう意味ですか?」
「なるほど、面白いですね。ちょっとクイズの時間にしましょうか。香る、古い、売る。皆さん、何だと思います?」
「かつては、良い香りのした勾玉だったとか?」と福田君。
「はは、面白いですね。他にはありますか?」
「それを市場で売ってたとか・・・?」と凛。
「なるほどねぇ。皆さん、なかなか発想が自由で素晴らしい。・・・では僕の考えをお話しますね。奈良時代の女性の名前の最後には、よく“売”という文字がつけられたんですよ。ですので、この三文字はおそらく女性の名前でしょう。もし一文字目が香であるならば、これは“香古売(かごめ)”という女性の名前だと思われます」
その言葉を聞いた瞬間、琴音は戦慄を覚え、ビクっと身体を震わせた。机もガタっと少し揺れる・・・これって、私がいつも夢の中で聞く「カゴメ」なのでは?
「びっくりした・・・。コトリ、大丈夫か?」横に座っていた凛も琴音の反応に驚く。
「ごめん、凛ちゃん・・・。すみません・・・、何から話したらいいんだろう」
琴音はしばらく沈黙してから、ゆっくりと、三人に自分の秘密を説明した。
まずは、この勾玉を身に着けながら眠ったときに見る夢のこと。燈花会のような風景と、走る子供たちと、カゴメという声。
そして、その勢いで植物の声を感じ取れることや、過去の映像を見せてくれる大木と2回出会ったことも説明してしまった。なんとなく、大木の見せてくれる映像と勾玉の夢が近いような気がしていたからだ。
「私も理系出身なんで、それらが私の幻覚や幻聴であるかもしれないと思ってはいました。ただ、香古売という名前を聞いた瞬間、この能力は本物かもしれないって改めて思ったかも。・・・ただ、勾玉が石なのに何かを感じ取れるというのは、ちょっと、私の中の法則に当てはまらないんですけどね」
「にわかには信じ難いんですけど、今里さんの話を裏付ける事実が二つあります。・・・ちょっと僕も、鳥肌が立っています。」田端さんが呼吸を落ち着けながら話を続ける。「さっきの話の再確認ですけど、その夢には女の子と二人の男の子が出てくるんですよね?」
「はい。たぶん、夢の中の女の子が香古売ちゃんなのかも」
「うん。これを見てください。」そう言って、田端さんはPCをくるりと回し、画面を三人に見せる。「香古売というキーワードで木簡データベースを検索すると、1件、ヒットしたんです。戸籍データですね。つまり、これは香古売さんの家族の戸籍なんです。木簡が不鮮明で十分には読み取れない部分があるんですが、たぶん、お兄さんが二人います。ここに“呂”って文字が見えるでしょう?」
その場にいる四人全員が、この数奇な事実に心を奪われていた。
「二人の男の子はどんな風に見えましたか?」田端さんが質問を重ねる。
「二人とも、白い無地の作務衣のようなものを着ていました。でも、あれって、奈良時代の日常着ですよね・・・」
「ですね。季節にもよりますが、普段着は無地と決まっていました」
「この須に、美しい、羅、売るってのは、お母さんなんでしょうか?」PCを見ながら琴音が質問する。
「ええ。恐らく、須美羅売(すみらめ)というのが、香古売さんのお母さんなんでしょう」
「これはヤバいな・・・」福田君も驚きの表情を隠せない。
「さらに、今里さんの話を正当化するもう一つの事実が、この勾玉の素材にあります」
「素材・・・」琴音が繰り返す。
「ええ。この石は一般的にジェット、黒玉(こくぎょく)と言われる石なんですが、樹木が何百万年も地底で押し固められてできた石なんです。木がそのまま石になった、木の化石なんですよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
興奮の渦がうずまく中、ちょっと落ち着きましょうということでいったん会話は途切れた。男性陣は離席し、席には琴音と凛だけが残っている。
「コトリ・・・、これまでも目の前で植物と話しているっぽい素振りを見せてたけど、あれって、本当に植物と話が出来てたの?」
「うん、実はそうなんです・・・」どんな顔をして伝えたらよいのかが分からず、琴音は下にうつむきながら凛に返答した。
「そうなんや・・・。全然、気づかんかったわ」
「ううん、こんな話、誰も信じないから。それが普通だと思う」
「いやいや・・・、コトリって本物の妖精やってんな・・・」
やがて男性陣が戻ってきて、香古売の家族の話となる。
「彼女たちの居住地ですが、戸籍を確認すると、恐らく左京八条二坊。大安寺から見て南西の場所のようですね。あのあたりは現在、たしか、田畑になっていたと思います。その東には当時、東市があったとされていて、家族で市場の買い物を楽しんでいたのかもしれませんね」
「暁子さんの勾玉から古代の生活が浮かび上がってきたな・・・」凛が再び、ため息を漏らす。「あのさぁ、コトリ。植物や植物由来のものと話が出来るって言ってたけど、その勾玉と話ってできるの?」何気ない凛の疑問に、三人がハッとさせられる。
「それ、思いつかなかった。やってみる」
勾玉を手に取り、声をかける。「君のことにやっと気づくことができたよ。私に何かしてほしいことってある?」
すると、琴音の頭の中に勾玉の言葉が浮かび上がってくる。
<オレを、あちらに連れて行ってはくれないか>
「たぶん、私にしか聞こえていないと思うのですけど、この子、あちらの方向に連れて行ってほしいみたいなんです。」そう言いながら、琴音はある特定の方向を指さした。
「そちらは・・・」田端さんは驚きの表情を見せながら、言葉を続ける。「・・・ええ。みんなで向かいましょう。行ったら分かります」
階段を降りて少し殺風景な廊下を歩き、田端さんが足を止めたのは大きな扉の前。その部屋の入り口には“木簡保管庫”と書かれている。
「ここは木簡を保管しているバックヤードなんです。一部、飛鳥宮のものも含まれますが、平城エリアの木簡が20万点以上、保管されています。」そう説明を続けながら、田端さんは扉を開ける。すると、視界に飛び込んできたのはズラッと並んだ棚と、それぞれの棚に設置されている夥しい数の容器の群。
「木簡は空気に触れると劣化していくので、簡単に言えば水の中で保存しているんです。おおよそデータ化しているので、この部屋には僕らもあまり入らないんですけどね」
琴音もそれに続き、足を一歩、踏み入れる。すると、琴音は自分の肌、いや、身体を無数の“気”のようなものが突き抜けていくのを感じた。それは弱まることなく、部屋に深く入れば入るほど、強くなっていく。そして、琴音は「あの感覚だ」と思った。
「みなさん、すみません。部屋に入ってすぐに変なことを言って申し訳ないんですけど、もし許されるのでしたら、この部屋で少しだけ過ごすことって可能でしょうか?」
「ええ、分かりました。こちらに簡素な椅子があるのでいかがですか?」琴音が何かを感じたのだろうと思った田端さんは、琴音に席を勧めた。
「すみません、助かります。・・・凛ちゃん、一緒にいてもらっていい?」
「うん、もちろんいいぜ」
「では、終わったら、さっきの部屋まで来ていただけますか?部屋のものには一切、触らない形でお願いしますね」
「はい。もちろんです」
田端さんに続き、福田君も部屋から姿を消した。福田君はちょっと、名残惜しそうな表情を見せてはいたけれども。
椅子を少し配置換えして、琴音と凛が横に並んで木簡の棚に向かう体勢とした。右の席には琴音が、左の席には凛が座る。
琴音は左を向いて凛の反応を確認しながら話を進める。
「私、植物が映像を見せてくれる時の感覚、分かるんだ。そして、今日のこの感覚はかつてないほど大きくて。気を抜くと意識を持っていかれそう・・・」そう言いながら、琴音は勾玉を包む布を改めてほどいていく。
すると、布の中から光り輝く勾玉が姿を現した。その光は凛でさえも目視できるレベルだった。
「コトリ・・・、これって・・・」
「すごい・・・」
琴音が光る勾玉を持つ手を左に差し出すと、凛も右手をそれに重ねる。つなぐ二人の手に勾玉が収まった瞬間に、真白な光の束がそこから部屋中に溢れ出し、二人の視界を奪った。
「来る・・・!」琴音が心の中で叫ぶ。
やがて、琴音と凛の意識の中にも真白な光は浸食し・・・二人の自我を完全に消し去った。
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