小説:コトリの薬草珈琲店 9-1
9章 心の温かさ
東京出張から十日ほどたった水曜日。その日は朝から佳奈の様子がいつもと違った。少しぼーっとしていたり、笑顔がぎこちなかったり。その理由は、夜の営業を終えた直後に分かることになる。
洗い物と店の簡単な掃除を終え、そろそろ個々の帰宅の準備をしようという雰囲気の中、佳奈から琴音に相談を持ち掛けた。「コトリさん、少しだけお話、いいですか?」いつもの明るさはなく、少し緊張した面持ちである。
「うん、もちろん。どうしたの?」
「この前、東京でお話をした化粧品メーカーのお二人の年配の方のほうなんですけど、横浜の研究所にお勤めされているようなんです。その人自身は化粧品が人に与える感情について研究しているということなんですけど、今、研究所のほうで色々な分野の人材を集めているようで・・」
「うん、うん。」佳奈がほんの少し言い淀み、その間を埋めるように琴音が相槌をうつ。ただ、いつもおっとりしている琴音でも、それに続く言葉はさすがに予想ができた。できるだけ動揺した表情を見せたくないと思い、頑張って笑顔を保ちながら佳奈の次の言葉を待った。
「・・・端的に言えば、私に横浜に来てはどうかって声をかけてくれたんです。」丁寧に、琴音を傷つけないような言葉遣いで、佳奈は伝えたいことを伝えた。たぶん、慎重に言葉を選んできたのだろう。
「そっか・・・、佳奈ちゃん、よかったやん。佳奈ちゃんがいつも言ってる、エコでエシカルな社会にしていくためには、大きい会社で頑張っていくのはとても良い選択肢だと思う。時期は・・・いつくらいになりそう?」
「早ければ4月みたいなんです。4月にそういった多様な専門性を持った人材が色々な研究チームに配属されるという流れみたいで。・・・コトリさんにOKもらえたら、オンラインで何回か面接を受けて、それで大丈夫だったら本採用になるみたいなんです」
「私からダメとかないよ・・・佳奈ちゃんが決めたらいいんだからね」
「でも、お店、絶対に人手が足りなくなるし、新しいバイトを見つけるのもコトリさんの手間になるし、申し訳ないなぁって思って。・・・というよりも、せっかく親しくなれたコトリさんの元を離れるのが寂しいってのが一番の本音です。」いつもは興味あるモノにばかり視線を向けている落ち着きのない佳奈が、今は琴音の目をじっと見つめている。
「なんか、でも、嬉しい。佳奈ちゃんが本音を話してくれたから、私も何か、色々と話をしやすくなったよ。・・・岐阜の小野田咲ちゃんの時は、半年って決まってたから心の準備ができていたけど、佳奈ちゃんの場合はそうではなかったから、少し動揺しちゃったかな・・・笑」
「コトリさん、すみません・・・」
「ごめん、変な風に謝らせちゃった。いま感じているのは、私も、寂しいって気持ちです。一年半ではあったけど、一緒に忙しい毎日を駆け抜けてきたもんね。でも、佳奈ちゃんが薬草珈琲の考え方を身に着けて、その考え方を他の研究者だったり、もしかしたら日本中の人に広めてくれるかもって考えると、それはまさに私が望んでいることだとも思う。まぁ、真奈美さんがずっとご一緒してくれるなら、佳奈ちゃんもたまには遊びに来てくれるでしょ?そう考えると、寂しさもちょっとは減るかもね」
「お母さんに関係なく、もちろん遊びに来ますよ。・・・コトリさん、ちょっとハグしてもらってもいいですか?私、こんな性格なんで、あまり人に甘えられないんです。でも、今日は、優しい先輩にちょっとだけ甘えたいです・・・」
「うん、いいよ。」そう言うと琴音は、自分より少しだけ小柄な佳奈を、両手で優しく包み込んだ。・・・この腕の中におさまっている後輩を私はどれくらい幸せにできたのだろうか。人を雇うということは、自分の事業を進めるために、その人の人生の一部を使ってもらうということでもある。琴音はいつも、人と仕事をするときにはそう考えてきた。「・・・この一年半、私は佳奈ちゃんに素敵な職場を提供できていたのかな。」半ば、自問自答するように、琴音はそうつぶやいた。
「ふう・・・、コトリさん、ありがとうございました。」落ち着いた佳奈は、元の位置に戻って琴音に笑顔を返す。強く、未来を見据えたような、いつもの佳奈の表情。でも今日はほんの少しだけ、優しさと悲しさを孕んだ美しい笑顔だった。
そして、さっきの問いに答えを返す。「はい。もちろん、すごく素敵な一年半でした。まだあと一か月とちょっとあるので、よろしくお願いします。採用されたら、ですけど笑」
「うちのエースの佳奈ちゃんだったら大丈夫だよ。頑張って面接してきてね。あと一か月ちょっと、こちらこそよろしくお願いします笑」
「・・・私の好きな漫画のセリフに『現在は一瞬のうちに過去となり、誰もがいつかは死に、運命は人智をこえて荒れ狂う。それが当然といわんばかりに。私はそんなこの世のすべてを憎む!』っていうのがあるんです。大好きなんで一言一句、覚えているんですけど。なんか、その言葉を思い出しちゃいました」
「国破れて山河在り、だったっけ」
「えっと、そちらは確か、中国詩人の杜甫さんの詩ですね。人の営みの儚さを謳った美しくも悲しい詩です。さっきのセリフと近い意味ですけどね。時間って無慈悲に流れていくから、人が幸せな日々を送ることのできる時間って、あっという間に終わってしまいますよね」
「そうかも。だったら、私たちにできることは、毎日を丁寧に幸せに生き抜くことくらいかな」
「ですね。全力で毎日を幸せに生き抜きましょう笑」
琴音も佳奈も使命に生きる人間だ。使命を全うする中で、時にはこんな痛みも生じるのだろう。でも、それを美しい思い出に変えて、明日への糧とする。言葉にこそしなかったが、二人ともそんなことを考えて、今日の出来事を心の奥深くへと刻み残した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
佳奈を笑顔で送り出す心の準備はできたものの、新しいバイトの採用や、採用後の教育・シフト調整などをまじめに考え始めると、結構、重い。そんなことに頭を使いながら仕事を進めたためか、金曜日の営業終了時、琴音はスタミナ切れとなった。
カウンターの上で腕を組み、そこに顔を埋めながら突っ伏している琴音を心配した佳奈が、琴音に休みをとることを提案する。
「コトリさん、お疲れだったら、明日の土曜日、私とお母さんの二人で店を回しますよ。ずっと働きづめなんで、身体を休めたほうがいいんじゃないですか。明日は親子水入らずでやっとくんで笑。・・・そういうのも、コトリさん、しばらくはできなくなるかもしれないんで。それに確か、日曜日に何か予定あるんじゃなかったでしたっけ?なので、なおさら。よかったら」
「・・・佳奈ちゃん、ありがとう。そうだね・・・じゃあ、ちょっと甘えちゃおうかな」
土曜日のランチメニューの意識合わせだけ佳奈と済ませ、次の日は真奈美と佳奈の二人体制で店を切り盛りする流れとなった。これまでは、琴音が出勤しない日は店を開けないこととしていた。だから、琴音なしで店がOPENするのは、実は初めてのことだった。
夜道を歩き家に戻った琴音は、玄関の多肉植物にアドバイスを求める。淡い輝きに触れながら「ただいま、多肉さん。私、明日どうしたらいいと思う?」そう問うと、その小さい植物は<カラダ、ヤスメル>と答えた。そうだね、その通りだ。そううなづきながら、自室へと入る。
冷凍庫にラム肉が残っていたので、ラム肉とニラで簡単なジンギスカンの小皿をつくろう。そう思い、温めたフライパンにラム肉を乗せていく。ふと、フライパンの上のラム肉に「わたしどうしたらいい?」と聞いてみたが、何も返答は得られなかった。それはそう。私は植物の言葉しか分からないんだった。でも・・・じゃあ、あの勾玉は何なのだろう?石なのに、何かありそうな感じがする。
料理を続けながら勾玉のことを考えていたが、ジンギスカンの小皿を目の前にビール缶を開けた瞬間にその疑問はどこかへ飛んで行ってしまった。身体を温めるラム肉とニラ。身体を冷やすビール。今日は何かもう、めちゃくちゃだ。琴音は、自分には頭の整理が必要なのだろうと思い、明日はゆっくり散歩でもしようと考えた。
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