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小説:コトリの薬草珈琲店 5-3

 川原君の自動車に乗って、目的地に最も近いコインパーキングまで移動。車を降りてから三人で5分ほど歩いていると、小さな川が見えてきた。佐保川だ。その中流域には美しい桜並木があって、春に訪れる人々の心を癒している。奈良時代にはもっと川幅が広く、舟運にも活用されていたと言う。

 スマホで地図を確認しながら「こちらです!」と案内する福田君に従って、琴音と川原君はゆっくりと歩いていく。その周囲には戸建ての住宅が立ち並んでいる。道はやや曲がりくねっていて、昔から続く住宅地であることを感じさせる。ある曲がり角に差し掛かった時、琴音はふと足を止め、二人に声をかけた。
「すみません、こっちの道を通ってもいいですか?」
「え?いいですけど、何か店長さんの気になるものでもありましたか?」
「ううん・・・なんとなく、です。」そう言うと、琴音は方向転換をしてそちらの道へと進んでいく。

 少し歩くと、三人は、大きな椿のある白壁の一軒家の前へと差し掛かった。琴音はその家をチラリとだけ見ながら、照明の明かりと中に住む人の気配を感じ取った。男性二人には気づかれないよう、柵越しに、小声で椿に「久しぶり」と声をかける。椿も琴音に<ヒサシブリ>と答えてくれた。そしてすぐに琴音は、少しだけ翳りのある微笑みを浮かべながらその場を離れた。

 通りが終わりに差し掛かると、福田君は改めて経路の確認を行う。
「店長さん、何か良いものは見れましたか?」
「うん、ありがとうございます。このあたりがどんな感じなのかなって思って」
「少し迷路みたいで、面白いですね」
「確かに・・・、そうですね笑」
「じゃあ、次は・・・こっちですね!」
 川原君は二人の会話を静かに聞きながら、琴音の様子を伺っているようだった。

 数分ほど福田君の案内に従いながら歩き、三人はようやく聖武天皇陵の入り口まで辿りついた。宮内庁の立札が目に入る。立札には「聖武天皇 佐保山南陵」と「聖武天皇皇后天平応真仁正皇太后 佐保山東陵」の二つの陵名が記載されている。東陵は光明皇后陵だ。立札の続きは「みだりに域内に立ち入らぬこと」「魚鳥等を取らぬこと」「竹木等を切らぬこと」と記されている。白い砂利道が北へと伸び、その先には石の鳥居と深い木々が立ち構えている。12月の日没前だけあって、服を少し着込んだくらいでは寒さが染みてくる。

 砂利道に入った瞬間から、場の空気が神聖さを増していく。真正面に眺むは、奈良時代の最大の国家事業とも言える大仏建立を成し遂げた聖武天皇の陵となる。1300年以上の時間を経た現在でも、この砂利道を歩いていると、当時の偉業が映像として脳裏に浮かび上がってくるようだ。

「この砂利道、僕にはグッと来るんですよ。」福田君が口を開く。「今の仕事をしていると聖武天皇や光明皇后のことも自然に、少しずつ学んでいくんですけど、そうする中で、聖武天皇や光明皇后がだんだんと身近な存在になっていくんですよね。すごい人たちなんだけど、身近な存在というか。その人たちがあの先の場所で静かに眠っていらっしゃるというのが、心を揺さぶられるんです」
「さっき、少しだけ光明皇后のことを話してくれたお陰かもしれないけど、私もそのこと、ちょっと分かるかも」と、琴音も共感する。「だから、そこに詳しい福田さんはもっと強く受け止めているんだろうなって思います」
「ですね。知れば知るほど、ここに来た時に心が大きく揺さぶられるんです」
 歩いていくと、正面が天皇陵、右手に皇后陵との立て看板が目に入ってくるが、福田君は直進する。まずは天皇陵から挨拶をするのだろう。

 やがて三人は陵の正面までたどり着いた。それぞれ、目を閉じたり、手を合わせたりしながら、偉業をなした人物への畏敬の念を表す。再び目を開けると、そこには木々が風に揺れている様子が伺えた。さながら聖武天皇が自然と為って今も人々を見守っているかのようだ。

 先に階段を下りた福田君がスマホを脇の木に向けている。実が少しだけ残る木をカメラで撮っているようだ。
「それ、花梨(カリン)じゃないかな?」
「花梨ですか。何か意味があるのかなぁ。」そう言いながら、福田君は素早くスマホで花梨について調べる。「へぇ〜。花梨の花言葉は『唯一の恋』だそうです。やっぱり聖武天皇にとって、光明皇后が一番だったということかなぁ」
「なるほど・・・そういう意味を込めて、誰かが植えたのかもですね」
「ですね」

 男性二人が歩き進める中、琴音は少しだけ立ち止まって、数メートル先に見える実のなる木に小声で声をかける。「君、花梨だよね?」と。植物は<ナマエ、ワカラナイ>と答える。そうだった。植物の名前は人間が勝手につけたものだから、植物に聞いて分かったためしはないんだった。「そうだね、ごめんね。・・・またね。」<マタネ>そんな風に植物に挨拶だけ済ませて、琴音は二人を追いかけた。

 光明皇后陵は聖武天皇陵に比べると少し小ぶりとなる。まぁ、天皇と皇后が並んだら、天皇のお墓のほうが大きいのは当たり前なんだろう等と考えていたら、福田君が再び話を始めた。
「僕ね、光明皇后のファンなんです」
「へぇ、どんなところが好きなの?」久しぶりに川原君が声を発する。
「幼少期から一緒だった聖武天皇を気丈に支えながら、藤原家のためにも奔走されていたようなんです。聖武天皇には気弱なところが多く、精神面でのサポートも粘り強く続けられていたんじゃないかと思います。二人の娘さんは元気に育って後の孝謙天皇となられたのですけど、息子さんは幼くして亡くなってしまうんですよね。その深い悲しみの消えない間に次は長屋王の変が起こってしまう。いくら政敵であったとは言え、光明皇后は王とその家族の死を喜びはしなかったんじゃないかなぁ・・・。でも、光明皇后はそれからすぐに皇后宮職を打ち立てて、その場所に施薬院と悲田院を造ったということです。一人の人間としての悲しみや憂いを抱えながらも皇后としてすべきことを全うし、同時に、聖武天皇が愛した平城京の民を自分も愛したんだろうと思うんです。」そう言うと福田君は少しだけ呼吸を整えた。

「・・・で、それから10年を待たないタイミングで、次は天然痘が大流行して平城京の多くの人が亡くなってしまうんです。それだけでなく、彼女と歳の近い身内、つまり藤原四兄弟も天然痘で亡くなってしまう。もう・・・壮絶・・・ですよね。さらにそんな中、自分の至らなさのために民を苦しめてしまっているのではないかと自責の念に駆られる聖武天皇を、光明皇后は気丈に支え続けたんです。その強い意志と愛の深さがすごいって思うんですよ。・・・また、人生の後半は、娘を天皇として立てざるを得なかったと同時に、娘にのしかかる重圧にも心を痛めていたらしくて。藤原家という血筋の家に生まれてきてしまったがために、ものすごいプレッシャーの中で人生を送られたんだろうなぁって思うんです。」福田君の気持ちの込められた説明に、琴音と川原君も引き込まれていった。

「・・・聖武天皇が亡くなってから・・・あ、その時はもう聖武太上天皇かな?・・・光明皇太后はその遺品を正倉院に保管したんですよね・・・そうそう、鑑真が日本にもたらした薬も含めて。大切な薬を正倉院に納めて、必要あらば使っていいよって公開していたんですよね。その一覧が『種々薬帳』と呼ばれていて、現在も、正倉院展などで見ることができるんです」
「そう言うことなんだ。・・・私も種々薬帳のことは知ってたけど、光明皇后に関係してたんですね」
「ええ、そうなんですよ」

 光明皇后陵から南東を望むと若草山と東大寺が、真南には興福寺の五重塔が見える。自分たちが残したものを見渡せる場所で、今日も聖武天皇と光明皇后は仲睦まじく、ゆっくりとしたふたりの時間を過ごされているのかもしれない。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 せっかくだからもうちょっとだけ歩こうということになって、三人は、聖武天皇陵から近い鴻ノ池(こうのいけ)運動公園へと足を延ばした。ここは色々なスポーツイベントが開催される場所で、競技場、球場、体育館、武道場、弓道場などが備わっており、その名の由来ともなっている鴻ノ池のほとりには、カフェも併設されている。

 夜のカフェが放つ光は池の水面に反射して美しい。会話の途切れた瞬間に、ふと、それぞれが一人の時間を過ごす感じとなった。琴音は池を囲む柵に少しだけ体重をかけて、その灯りを眺める。

 夜に浮かぶ光を見ると、よく見る不思議な夢のことを思い出す。無数の灯りに照らされた夜道。そこを走っているような感覚。一緒に走っている男の子に呼ばれたっけ。・・・そう、「かごめ」だ。たぶん名前なんだろうと思う。楽しい夢だったら良いのだけど、この夢を見るときは胸が締め付けられる。そして、「何とかしなくちゃ」という焦燥感だけが残る。

「・・・さん、琴音さん、大丈夫ですか?」と自分を呼ぶ声がした。その声が琴音を現実世界へと引き戻す。

 気づくと、川原君が横に立っていた。優しい笑顔だった。・・・この人は優しい笑顔が自然にできる人なんだな、と琴音は思った。それに比べて自分の笑顔は少しだけ作り物の笑顔という感じがする・・・そんな風に再び自分の妄想の世界に戻ってしまいそうな意識を、琴音は頑張って現実へと引き戻した。
「すみません、大丈夫です。ちょっとぼうっとしちゃったみたい笑」
「寒い中、たくさん歩きましたもんね笑」
「うん。寒いということも忘れてました・・・あ、そうだ、その寒い、で思い出したんですけど、店を出る直前にコーヒーを淹れてきたんです。よかったらいかがです?」川原君だけでなく、福田君のほうにも声を投げかける。

 二人がうなづくと、琴音は二人に紙コップを差し出してポットの中から温かい飲み物を注ぐ。「ここまで来るんだったらあちらのカフェで飲めば良かったんだけど笑」
「あ、カフェオレですか。でもこの香りは・・・」香りに川原君が反応する。
「そう。シナモンです。シナモン風味のカフェオレ。ミルクを温めて、そこにインスタントコーヒーとシナモンだけを入れて持ってきました。歩く振動で混ざると思って。シナモンはショウガほどは温まらないんですけど、ちょっとくらいは温かさにつながるかなって思って」
「いやいや~、温まりますねぇ」福田君も両手を紙コップに当てて、暖をとっているようだ。

「でも、さっき言っていた、奈良時代の天然痘って、どうやって治したんだろう。福田さん、ご存じですか?」さきほどの会話を思い出して、琴音の口から問いが自然と漏れ出てきた。
「いやぁ、分からないです。ちょっと調べてみますね。」と言い終わらないうちに、コップを持つ手とは逆の手で、福田君はスマホを操作しはじめた。

「パッと調べたところ、天然痘は数か月で自然と無くなっていったということみたいなんですけど、あ、737年の二度目の流行の時だと思いますが・・・一応・・・治療薬もあったようですね」
「おぉ」「へぇ〜。どんな治療薬?」福田君の発見に、二人が興味を示す。
「理解がギリギリなんですけど・・・この論文に書いてあるのは、続日本紀に奈良時代の天然痘対策が書かれているらしく・・・、ここだ。薬物治療では、大黄(ダイオウ)と青い木香?、あと、黄連(オウレン)・・・って読むんですかね?・・を煎じて服用したらしいですね。このあたり全然わからないんですけど、店長さんは分かります?」
「うん、少しだけ。大黄も黄連も黄色って色が名前に入ってるんですけど、この2つって、両方とも身体の熱をとって、解毒する作用があるんです。現代では医薬品の扱いなので薬草珈琲などには使えないんだけど、東洋医学の勉強をするとよく出てくるんです。天然痘って、確か、体中にたくさんのデキモノができたでしょ?それを緩和し、解毒するという意味では、納得できるかも」
「すごい。さすがですね、琴音さん。」川原君もため息をつく。
「ふふ。まぁ、薬草珈琲店では使わない知識ですけどね笑。・・・では、話もなんか落ち着いたところなので、そろそろ帰る感じでいかがですか?福田さんもお付き合いいただいてありがとうございました。遅くなって奥さんもお待ちかも」
「ですね。ありがとうございます。ではそろそろ」

 コインパーキングに戻り、車を出して、まずは福田君を家の近くまで送り届けた。そして、琴音の家までの道すがら二人は楽しく会話を続けた。というよりも、川原君がちょっと質問を投げかけて琴音がしゃべり続ける、という構図だった。普段は言葉数の少ない琴音だったが、なぜかその口からはたくさんの言葉を紡ぎだせていた。おそらく川原君の話の聞き方が心地よかったからだろう。

 そして、会話の途切れた瞬間に、川原君からまた、別の質問が投げかけられた。
「琴音さんって、今、お付き合いしている方はいらっしゃるんですか?」
「え?・・・えっと、今はそういう人はいないです。」想定していなかった質問に少し戸惑う。
「また、お店に遊びに行ってもいいですか?」
「もちろん、いらしてください。」・・・そこで止めておけば良かったのだが、琴音はいつものクセで、こう付け加えてしまった。「毎週日曜日と隔週の水曜日はお休みなので来ていただけないのですけど」
「ははは。・・・店長さま、了解いたしました。」川原君は笑ってそう返答した。

 川原君に送ってもらったお礼をして車から降りた琴音は、夜道を歩きながら「あれ、待てよ?」と先ほどの自分の言葉を思い返す。私、何か変なことを言っちゃったかも。川原君のあの言葉って、自分に好意を持ってくれているってことなのかな。それをやんわりお断りするようなことを言っちゃったのかも。でも、それを言い直すために連絡するのも大袈裟だ・・・でも、放置するのも心がザワつく。どうしたものか・・・。

 琴音は自然と、凛に電話をかけていた。そして、数回のコールで凛が出た。
「ごめん、凛ちゃん。今って、ちょっと時間ある・・・?」

 ずっと昔から、琴音が困ったときに相談する相手は凛だった。普段は琴音から連絡をすることはないので、琴音からのコールに凛は毎回ドキッとさせられてきたことだろう。でも、凛はいつもそれに応え、共に乗り越えてきた。

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