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小説:コトリの薬草珈琲店 9-3

 2月後半の日曜日。今日は11時に川原君と店の前で待ち合わせをするという段取りになっていたため、琴音はそれまでの時間を自分の店で過ごすこととした。

 この日に会おうと連絡をしたのは琴音のほうだった。まだ川原君にきちんと返事を返せずにいたが、一人で考えていても良い答えが出る訳ではない。なら、友達ということなんだから、一緒に遊びに行ってお互いの理解を深めたほうがいいんじゃないかな。そんな風に考えた訳だ。川原君からは、もちろん喜んで、と即答が返ってきた。琴音と会えることが純粋に嬉しいからなのか、または、琴音から良い返事をもらえることを期待したからなのかは分からないけれども。

 琴音は落ち着かない様子で、店の整理整頓をしながら時間をつぶす。薬草棚には薬草の入った瓶がたくさん並んでいる。「いつもありがとうね」と声を掛けたら、乾燥した薬草たちもかすかに輝いて<アリガト>とか<ヨロシク>などと返事をしてくれた。そして、琴音はその返事に対して、これまで以上に深い喜びを感じている自分に気づいた。・・・そうか、私、植物たちに対しても心の温かさを感じることができるようになったのかも。昨日、凛ちゃんが教えてくれたことは、私にとってすごく大きな気づきだったんだ。

 薬草棚をもう少し見渡すと、少し見えづらい位置に小さな瓶が置かれていることに気づく。手に取ると、去年の9月の日付で「榧(かや)のお酒」と書かれている。・・・あ、これは、天川村でクロモジ生産者の谷村さんにもらった榧だ。琴音は去年の夏のことを思い出した。

 カウンターに座り、ちょっと漬けすぎちゃったかなぁと思いながらもフタを開けると、爽やかな甘さのアロマが感じられた。爽やかでも軽くはなく、芳醇な榧のアロマ。それは、樹齢300年の巨木ならではの包容力を感じさせるものなのかもしれない。酔わない程度に、ちょっとだけ口に含めてみる。そのアロマはさらに濃密に、琴音の感覚を満たした。

 そのまま紙とペンを出して、琴音はメモを始める。この待ち時間に、凛に教えてもらった“やることリスト”を書いてみようと思った訳だ。静かな店内で、ほんの少しだけお酒を飲んで、思索にふける穏やかな時間を琴音は満喫した。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「琴音さん、お待たせしました。」ドアが開き、優しい笑顔の男性が店に入ってきた。川原君だ。
「こんにちは。ごめんなさい、店まで来てもらっちゃって。」カウンター席に座っていた琴音は、挨拶をしながら席を立つ。
「そんなそんな。むしろ喜んで、って感じです笑」
「じゃあ、来ていただいてすぐですなんですけど、出発します?」
「うん。そうしましょう。車も店の前なんで」
「ですね笑」

 その日の夜は川原君が奈良在住のデザイナー向け勉強会を主催しているという関係上、二人で過ごすのは夕方までとなっていた。遠くに行けないから奈良奥山ドライブウェイでドライブでもしましょうか、という流れで川原君が車に乗ってきた訳だ。奈良奥山ドライブウェイは世界遺産「春日山原始林」の中を走行するドライブコースとなっており、奈良市からもアクセスしやすい人気のスポットとなっている。

 ただ、昼前ということもあり、まずは何かお腹に入れていきましょうか、ということになった。二人が選んだのは、東大寺から遠くない葛料理のお店だ。葛粉を使ってとろみをつけたうどんや丼ものも美味しく、身体が温まる。

「琴音さん、この店は知っていたんですけど、入ったことなかったです。なかなか美味しいですね」
「近すぎると、かえって入る機会がないですよね笑。・・・葛の餡はいかがですか?」
「結構、身体が温まります」
「でしょ~笑。中医学では葛根は身体を少し冷やすって習うんだけど、薬草学のほうでは逆に血行を良くして温めるって習うんです。こんな風に温かく提供されるということもあるけど、私は温かくなるに一票かなぁ」
「なるほどねぇ~。そんな風に自分の身体で効きを試しているんですね。・・・って言うか、僕は琴音さんのそういうオタクっぽいところ、好きなんだよなぁ」
「ふふ。じゃあ、良きオタクになれるよう、ますます精進します笑」
 川原君もはははと笑った。

「ねぇ、川原君。葛の問題って聞いたことある?」
「問題?聞いたことないけど」
「堀子って言って、葛を掘る職人さんのこと。道のない山の中に分け入って、良質な葛根が埋まっていそうな場所を他の人に分からないようにマークしておいて、冬にその険しい山の中に行って葛根を掘り出す、そんな職人さん。それを加工する寒ざらしの工程も大変だけど、堀子さんが高齢化していて、また、人数も少なくなっているらしいんです。最近は輸入品に頼らざるを得ないとかで」
「そうなんだ・・・、何気なく食べてしまってたけど、何だか貴重なものを食べている感じになってきてしまったなぁ」
「うん。昔はどこの村や町にも葛を加工するお店があったらしいんだけど、今はこんな風に高級品になっちゃったみたい」
「だから・・・、僕たちみたいな若手がそれを受け継いでいかないとダメなんでしょうね」
「うん、私もそう思う。」琴音は思慮を巡らす川原君の顔を眺めながら、この人とは同じ方向を向きながら共に人生を送れそうかも、と思った。

「こちら、葛を使ったデザートです。」二人の元に、笑顔の店員が食後の甘味を届ける。堂々たる歴史を持つ葛根と、新しく若いテイストのミックスした味覚。温故知新のスイーツ。「美味しそう~」「美味しいね~」と、二人でその時間を楽しんだ。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 奈良奥山ドライブウェイの展望スポットのひとつに若草山の山頂があり、大きな駐車場が準備されている。車を停めて5分ほど歩くと奈良盆地の全景が視界に飛び込んでくる。そして、若草山の芝生と、たくさんの鹿。ここは奈良公園と違って鹿せんべい売り場もなく、鹿たちも優雅に寝そべって過ごしている。二人は最も見晴らしの良いスポットに立って、その風景を楽しんだ。

「広いね~」
「ですね~」
「・・・ねぇ、川原君。川原君が私のことを意識しはじめたのって、いつだったの?」
「おっと、それ聞いちゃいますか」
「ごめん、言いづらかったら言わなくていいから。・・・変なこと聞いちゃったかな?」
「いえ、いいんです。・・・うん、ちょっとだけ不謹慎だと思われるかもしれないけど、あの時です。琴音さんのお母さんのことで、笠原さんと病院に行ったとき」
「病院?・・・あ、お母さんが倒れたときのこと?」
「うん」
「あの時って、本当の意味で初めて会ったんだよね?」
「うん。いわゆる、一目惚れってやつです笑。」そう言う川原君の顔は、少しだけバツが悪そうだった。「これまで色々と琴音さんのことを好きな理由みたいなものを話したかもしれないけど、あれは全部、後付けの説明で。うん。・・・一目ぼれってのが本当の理由でした。・・・これ、ちょっと照れくさいなぁ」
「ごめん、変なこと言わせちゃって。」
「いえ、いいんです」
「・・・ねぇ、川原君、もうちょっと奥までドライブしません?」
「原始林のほう?いいですよ。」そう返事する川原君の顔は、元の優しい表情に戻っていた。駐車場に戻ろうと思い向きを変えると、数十匹の鹿の群れがドドドという音を立てながら移動しているのが遠くに見えた。

 車をしばらく走らせると、だんだんと森が深まっていく。道の両サイドには延々と木々のみが見える感じとなる。春日山原始林だ。自動車道は一方通行で対向車は来ない。神聖な森の中でドライブしているような感覚となる。実際に、神聖な森なのではあるが。

 ふと目の前に、斜めに生える巨木が見えた。琴音はそこを少し歩きたくなったので、川原君にそのように伝えた。「川原君、ごめん、あの木の前あたりに停められる?」
「うん、いいですよ。ちょうど道もちょっと広がってるから停めやすいし。でも、このあたり、結構明るいですね。低木が少ないのかな。」そう言いながら、川原君は車を道路の左側に寄せて停めた。

 自動車から降りて外の空気に触れると、琴音は「あっ」と思った。ここは強烈なパワースポットだ。背の高い木々も人に興味はなさそうで、恐らく遠くの木々と繋がり合っているのだろう。その中で、斜めに生えている巨木だけは異質な感じがした。「人のことを好きそう」だったのだ。これって、何だかデジャヴ、琴音はそう感じた。そうそう、洞川エリアの天河大辨財天で感じた感覚と同じだ。パワースポットの中に生きる、人懐っこい木。あの子は江戸時代からずっと、佐平次のスキンシップを待っていたんだったっけ。

 目の前の巨木に近づくと「春日奥山 最大の山桜」と立札が建てられている。さらに近づき、その桜に声をかけてみた。「こんにちは」
 それに対して、桜は<ゲンキソウデヨカッタ>と返事を返してくれた。が、次の瞬間、琴音の視界は光で溢れ・・・そして、何も見えなくなった。同時に琴音は、あの不思議な現象が「来る!」と思った。

 -----光が和らぎ、目が慣れてくる。この子は私に何を見せてくれるんだろう、そう考える間もなく、琴音は次々と移り変わる夥しい数の映像を見ることとなった。

 それは、たくさんの男女の出会いの映像、または、家族の映像だった。この桜の前に車を停め、双子のように仲良く手をつなぐカップル。子供を抱っこする若い父親とカバンを持って後ろからついてくる母親。もしくはハイキングで立ち寄り、桜へと近づいてきて、この場を堪能して去っていく人々。学生のグループ。または、誰もいない原始林で抱き合ってキスをするカップル。

 ああ、この子は、こんな風にたくさんの人々の幸せなつながりを見てきたのだろう。ここに来る人々は皆、幸せそうだ。いや、大切な人だからここまで一緒に来るのかもしれない。・・・そうか、私はここに川原君と来ている。ということは、すでに答えが出ていたのかもしれない。

 琴音の思考とは関係なく、映像はまだまだ続く。一つずつの映像は早送りのように進み、重なり合いながら次の映像へと移る。琴音が気づいたのは、時間を遡っているということだ。ひとつの映像は時間通りに進むが、次の映像はそれよりも前の出来事を映したものだ。それは雪から紅葉へと移りゆく季節からも分かるし、人々のファッションが少しずつ古めかしいものとなっていくことからも分かる。

 しばらくして、琴音の目に、気になる家族の映像が飛び込んできた。若い母親と若い父親。そして、二人の間には小さい女の子。

 ちょっと待って・・・これ、私だ。そして、お母さんとお父さん。私が桜に向かって走り出すのを見て、二人は目を見合わせて笑顔を交わした。母と父は、まだまだ青春の真っ只中。その中に私がいた。夫婦の心が温かく結びついていることがその映像を見る琴音にも伝わってくる。しかし同時に、胸がギュッと締め付けられる。もう、二人はこの世には存在しない。

 お父さんとも大人同士の話をしてみたかったし、お母さんにもたっぷりと、恩返しがしたかったな・・・。が、その映像を最後に、琴音の意識は元の世界へと戻っていった-----

「君、私がここに来たことを覚えてくれてたんだ。そして、それを見せてくれたんだね。」現実世界へと戻ってきた琴音は、桜を優しく撫でた。桜は<エガオガ、スキ>と言葉を返す。そうか、君は人の笑顔が好きなんだね。琴音は改めて、桜に感謝の気持ちを伝えた。「ありがとう」

 車のほうを眺めると、こちらを向いていた川原君と目が合う。川原君は手を軽くあげて、ジェスチャーで「どう?見たいものは見れた?」と自分を気遣ってくれたようだった。

 私と川原君のこの時間も、いつかは過去の映像になってしまうのだろうか。そう思うと、再び琴音の胸はギュッと締め付けられる。そして、その感覚によって、琴音はようやく自分の心を理解した。そうか。私もいつしか彼のことを好きになっていたんだ。

 琴音はまっすぐに川原君のほうへと向かっていき、そして・・・強く抱きしめた。「私も、君のことが好きみたい」

 川原君は一瞬、驚いた表情を見せたが、すぐに優しい笑顔へと戻り、琴音を優しく抱きしめた。「嬉しい。・・・これからは、二人で力を合わせて生きていきましょう」
「だね。」琴音も目を閉じながら、笑顔で返事した。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 勉強会に向かう川原君は別れ際に寂しげな表情を見せたが、自分が主催している会なので仕方がない。琴音を家の近くで降ろし、勉強会の会場へと向かっていった。

 琴音はすぐにスマホを取り出して、電話をかける。その相手はもちろん、いつものあの人だ。琴音は今日の出来事を報告するのだろう。でも、今回は混じりっ気のない嬉しい報告となるだろう。通話を待つ琴音の顔も明るく優しい表情だ。・・・やがて、その相手に電話は通じた。

「ねえ、凛ちゃん。今、ちょっと時間ある・・・?」

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