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小説:コトリの薬草珈琲店 11-1
11章 京に住まう母娘
オレは土の中から掘り出され、削られ、磨かれ、現在の形となった。しばらくは誰かの首に巻かれていたのだが、やがて土に埋められて、長い間、静かな時を過ごしていた。
そして、いつしか再び誰かに拾われ、最終的にその時代の最も高貴な邸宅へと行きついた。虹色の貝殻で装飾された漆塗りの箱。それがこれまで、オレの収まっていた場所だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
落ち着いた花柄のあしらわれた朝服を自然体で着こなす高貴な女性。白檀の使われた上質な練香のアロマがほのかに香る。知性を感じさせる静かな面持ちだが、疲れと翳りを感じさせる。彼女は、自身が幼少期から使っていた少し薄暗い自室へと入り、部屋にあるいくつかの箱を開けて中身を確認する。5つ目の箱を開けたときに少しだけ笑顔となり、中に納まっているものをひとつ、取り出した。表面に傷一つない、よく磨かれた黒い勾玉だった。
邸宅から外へ出ると、太陽の光が平城京の街並みを照らしていて気持ちがよい。しかし、目の前には侍女たちが自分を待っている姿が見えて、少しだけ息が詰まる。薄く明るい花柄の朝服を着た四人の侍女たち。
「行きますよ」と女性が声を掛けると、侍女の一人が「籠はどうされますか?」と聞く。
「いらないわ。左京三条二坊だから歩いて行きます。」そう言うと、女性はさっさと歩きはじめた。
侍女たちは慌ててその後に追従する。四人とも、腕からはストールのような領巾(ひれ)を下げており、歩きながらひらひらと揺れる。
敷地を出ると、警備をしていた衛士も加わり、10人前後の一団となった。本来ならば侍女や衛士に守られながら移動しなくてはいけない立場であったが、その女性は先陣を切って歩いて行った。ゆっくりと歩く人間の多い時代の中で、その女性の足は速い。政治の変曲点に差し掛かっており、自分が政(まつりごと)の一部を取り仕切るためにも皇后宮職を早急に完成させなければならなかった。
三条二坊に位置する同施設は中心となる本殿が完成したものの、広大な敷地に設置すべき細かな建物は建築途中であった。女性は敷地内をくまなく目視した上で、その場を取り仕切る男たちを集めていくつかの指示を出す。5人の男性はその女性の指示を受け、それぞれの持ち場へと戻った。
しばらくして諸々の庶務が終わった後に、女性は炊事場へと向かった。四人の侍女もそれに追従する。
「須美羅売(すみらめ)。須美羅売はいますか?」女性は炊事場に立ち入って、少し声を上げて人を呼びつける。炊事場では宮職内で働く官人のための食事が作られており、お盆の上にセットされている土師器や須恵器の上に料理が盛り付けられつつある。各人ごとにアレンジが必要なのか、木簡を見ながら盛り付けが細かく調整されているようだ。
「皇后様、須美羅売でございますね。今すぐお呼びします。」炊事場を仕切る女性がその場を訪れた高貴な女性の前に駆け寄り、丁寧に頭を下げながら対応する。
「忙しいところ、ごめんなさいね。」皇后と呼ばれた女性は、そう優しく返答した。
「そんな、勿体ないお言葉を。少々、お待ちください。」そう言って、炊事場長は奥の部屋へと姿を消した。
すぐに、奥の部屋から明るい彩りの朝服に身を包んだ少しお腹の大きい女性が姿を現した。優しい面持ちの笑顔が似合う女性。彼女が須美羅売だった。須美羅売は皇后の姿を見ると一層、笑顔となって、ゆっくりとその方向へと近づいていった。
「皇后様、おっしゃって頂ければ私のほうからお伺いしましたのに」
「ダメよ。今は大事な時期なんだから。どう?赤ちゃんは元気そう?」
「まだお腹の中で動いてはないですが、元気だと思います」
「よかった。これね、良かったら使いなさい。私が小さいときに誰かからもらった勾玉なの。ピカピカの黒色で綺麗でしょう?あなたとお腹の中の赤ちゃんのお守りにと思って。黒は高貴な色なのよ?」
「そんな・・・。ありがとうございます。一生、大事にします。」須美羅売は深々と頭を下げ、皇后に感謝の意を伝えた。
皇后は笑顔でその気持ちを受け、くるりと踵を返す。すぐにいつもの静かな面持ちに戻り、侍女たちを連れて炊事場から立ち去っていった。
その場の誰もが、少し前に皇后が我が子を失ったことを知っていた。そんな中、皇后が偶然、炊事場へと訪れて須美羅売の妊娠を知ったとき、彼女は心から祝福しているようだった。「大事にね」「大事にね」と優しい顔つきで繰り返しつぶやいていた。その際、須美羅売にお守りを渡す約束をして、それが今日、実現したという訳だ。
炊事場長は須美羅売に近寄り、「須美羅売、よかったねぇ。本当に貴重なものなんだから、大切にするのよ。お腹の赤ちゃんと一緒にね。」と声を掛ける。周囲の皆も作業の手を休め、笑顔で須美羅売を祝福した。須美羅売は近くにあった紐を通し、ネックレスのように、朝服の内側にその勾玉を着けた。
須美羅売は感動を隠せず目に涙をためながら、「ありがとうございます。」と再度、皆に向かって頭を下げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
須美羅売の暮らしている家は皇后宮職から南におよそ4km弱の場所にあった。平屋の母屋と一棟の離れ、井戸に畑。敷地は無駄に広く、全般的にがらんとしている。が、これでも平城京の宅地の中ではかなり狭い方だ。離れは夫である佐加麻呂(さかまろ)の両親が住む予定であったが、彼らは旧飛鳥宮の近くにあった住居を離れられず、結局、そこはとうとう空き部屋のままとなった。
須美羅売が皇后から勾玉を授かってから半年弱。無事、赤ちゃんが生まれた。元気な女の子だった。
ある日、佐加麻呂が家の敷地の入り口近くに穴を掘っているのを見て、長男の赤麻呂(あかまろ)が質問する。「お父様、何をしているの?」
「赤麻呂か。これは胞衣壺(えなつぼ)を埋めているんだよ。お前のは、確かこのあたりだったかな・・・。」そう言いながら佐加麻呂は足で地面を軽く踏む。
「虫飼のもあるの?」
「もちろん。お前の弟だから、このあたりかな。」佐加麻呂は少し離れた場所を踏む。
「なんで、胞衣壺を埋めるの?」赤麻呂は不思議そうな顔をしながら問う。
「うん。胞衣はお前たちの分身なんだ。それを大切に地面に埋めることで、お前たちが元気に育ってくれるように祈ってるんだよ。うちは三人とも、筆と墨を一緒に埋めてるんだぞ。賢く育ってくれたらいいなぁって思って」
「ふうん。」途中で興味を失ったのか、赤麻呂は低いトーンで返事だけした。
母屋から須美羅売が顔を出す。無地の普段着を着ているため、皇后宮職に勤務している日とは違ってカジュアルな印象だ。その胸には、生まれたばかりの赤子を抱いている。
「あ、赤麻呂。東市で栗を買ってきたから、皮むきを手伝ってよ」
「は~い。」断ってもしつこくお願いされるのが分かってるので、赤麻呂は不承不承、Yesと返す。
母屋に入ると弟の虫飼がすでに栗の皮むきをはじめていた。自分と違っておっとりとした性格の弟。ゆっくりとマイペースで栗の薄皮を剝いている。
赤麻呂は腰に結んだ小さな石製のナイフを手にした。彼自身が研ぎ石で磨いて作った自慢のナイフだった。そのナイフを使って、赤麻呂は器用に栗の皮を剥いていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日の晩御飯は雑穀米の栗ご飯と小魚で出汁をとった菜っ葉のお汁。各人のお盆の上に土師器のお椀を2つ乗せ、ご飯とお汁がそれぞれに入っている。それに味付け用の塩を少々。虫飼以外は箸で食べ、虫飼は手で食べる。須美羅売は食事と授乳で忙しくしていたが、赤子が眠りに落ちたので男たちの団らんへと加わった。
「ねぇ、お母様。赤ちゃんの名前は決まったの?」ふと、赤麻呂が尋ねる。虫飼もゆっくりと母親の方に首を向ける。
「ねぇ、あなた、いいよね?」須美羅売は佐加麻呂の顔を伺い、その意思を尋ねた。
「もちろん、須美羅売が決めたんだから、あの名前でいいよ」
「ありがとう。・・・こほん。では発表します。あなたたちの妹の名前は、カゴメです」
「カゴメ?」聞きなれない名前に赤麻呂が首をかしげる。
「うん。カゴメ。この前、東市の近くを歩いていたら誰も乗っていない籠が運ばれていて、この子、すごい興味を持ったのよ。「あ!あ!」って。籠が好きな女の子ということで、カゴメ。文字はお父様の専門だから、お父様が書いてくれると思うよ。」チラリと佐加麻呂の方を向くと、夫は笑顔で深くうなづく。
「それって、また、そのままの名前のつけかたやん。虫飼の時も、虫が好きそうだったから虫飼なんでしょ?」
「そんなこと、言わないの笑。籠は高貴な方の乗り物だから、縁起がいいでしょう?」
「分かったよ笑。・・・俺たちの妹の名前はカゴメ。虫飼も覚えておけよ。」そう言うと赤麻呂は、弟の虫飼の目をしっかりと見据えた。兄の顔だった。虫飼もにっこりと笑う。
そんな優しい兄たちと両親に囲まれ、香古売は元気よく育っていった。
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