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東京でIT企業の役員をしていた私が、お米づくりに辿り着いた理由
奈良市の富雄で、300年以上続く農家の「奈良おおの農園の大野です」
まわりは大阪から50分で
マンションも多い場所で
お米、野菜、加工品、小売店をしています。
私はこの土地で生まれ
昔はまわりもみんなお米作りをしていましたが
どんどん住宅が増えベッドタウンになっていきました。
子供の頃からお米作りのお手伝いもイヤイヤしていて、農家なんてカッコ悪いと思っていた高校時代、父のお米の売上げを聞いた時、いよいろこれでは結婚できないぞと、あわてて勉強しました(笑)
大学卒業後は、電話会社へ就職、東京でITベンチャーの役員をしていました。
平日も仕事は深夜まで、夜中2時コンビニ弁当を食べ
土日も会社へような仕事の仕方をしていたせいか
アレルギーにもなり
生まれた娘も卵アレルギーだったため
高級百貨店でさえ食べれるものが見つからないという経験が
私が改めて食への関心を強くなったきっかけでした。
311で食べ物がスーパーからなくなった時や
残り1本のお水をおばあさんに譲れなかったことも
世の中に生かされてるんだなと思える出来事でした。
311の当時はIT業界はシンガポールやアジアへ海外展開する時代でしたが
僕には向いてないと思ってしまい(笑)
何のアテもなく退職し、産まれ育った土地へ戻りました。
奈良に戻るタイミングで、奇跡的にも取引先のゲーム会社の方から
一緒に仕事しようとお声がけいただいき
奈良に戻って初期の2年は「半農半IT」というカタチで
農業にもフェードインで出来ました。
経済的にも精神的にも、とても安心できたことでした。
本格的に就農したのは45歳
野菜を栽培始め、就農2年目にいちごクッキー、4年目に野菜チップスを開発
2019年に小売店開始、法人化したという流れです。
加工品やお店、いろんな失敗したことは、
また追って書いてみたいなと思います。
ブログを書くのは初めてですが
読んでいただきありがとうございます。