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全てを失った時、本当の自分が発動する

29の春、私は全てを失い死んだ

29歳の新緑めいたある日、それまで勤めていた会社が突如倒産しました。しかも、その会社は父が経営していました。実家は競売にかけられ僕は実家も失った。職を失い、後ろ盾を失い、思い出を失い、大した学歴もなく、氷河期世代、しかも北海道という僻地の僕が全てを失ってしまいました。いい意味では『甘え』も吹っ飛び、『覚悟』が芽がました。客観的には奈落の底でも悲観はしませんでした。むしろ『希望』しかありませんでした。私は一般的な人生を歩む事ができない自分に少し気付き始めていたので、やっとこの価値観の人生から自由になれる!という希望の方が強かった。今までの自分は死に絶え、新たな自分に生まれ変わらなくてはいけないという強制的な進化圧は、思考とは別に探求者への道がありました。これは今思うと、一般人の服を着た『探求者』が、パラダイムシフトにより、身包み剥がされ裸になったら、『探求者』だったという事でした。ここから私の生命への探求は堰を切ったよう動き出しました。

北国から南国へ

進化圧がかかり現実のタスクをクリアし、少しの貯金、退職金、失業保険、身の回りのあらゆるものを売り、なんとかお金を工面してタイへ行きました。なんでタイだったのか?というと物価が安いとか、マッサージが盛んとか、環境を大きく変えたいとか思考的には色々ありますが、正直よくわからないんです。気がつたらバンコクのスワンナプーム空港に僕は立っていた。往復の飛行機チケットだけで計画も絶対的ではありませんでした。英語も全然話せないし、勿論タイ語は全くわかリませんでした。途中でタイの警察官に何度か尋問されたり、バイクで転んで肋骨を折ったり、色んなアクシデントがありましたが、ここに来た理由は徐々に明確になりました。私のメンターに出会うためだったのです。それは私自身が生まれ変わるための道標でした。私は私自身を喪失していました。さらに両親も生存しているものの、心の支えのような存在ではなくなりました。タイで出会ったメンターは私にその道標を示してくれました。新しい自分にとっては父のような存在でした。紆余曲折ありましたがこのメンターの元で数ヶ月弟子入りしマッサージのような?療術のような?ヒーリングのような何か?を学ぶ日々がスタートしました。

メンターは何を気付かせてくれたのか?

社会人の服を着た私は物事の真理を理解する能力がありませんでした。目に見える現実や自らの思考の中でしか物事を理解できないため、とても小さな視野で北海道の田舎の小さな情報空間に閉じこもっていました。メンターに出会ってからは『感じる』『気づく』ことが重要だと何度も根気強く教わりました。理性的な捉え方よりも、感覚的な直感を信じられるようになりました。その後の人生でも何度も嫌なことや失敗や挫折に遭遇するのですが、少しづつその本質的な意味を理解できるようになりました。私はこのタイ北部の小さな旧市街でメンターに出会ったからこそ、今まで療術の探求者として生きてこれました。生命の探求は途方もない奥行きがある。観測可能宇宙が全てではないのと同じで、生命にも存在する観測不可能領域は『感じる』『気づく』事でしか見つける事ができないという『大いなる智慧』を授かりました。今でも理性的な根拠以上に直感や気づきをすごく大切にしていますし、今でもずっと磨いて生命の神秘を探求し続けています。その礎をここで見つけました。

生ける輪廻転生

ここまでを総括すると・・・人間は一生のうちに何度か生まれ変わる。これは人体の生死ではない。意識世界の破壊と再生である。色んな生命に療術を通して触れるとひとつの真実が見えてくる。その破壊の始まりは自分ではタイミングを選べない。突然現れる。それに抗えば抗うほど、苦痛が生じ、やがて癌や難病や病気が細胞に発生し、不可逆的な物理的破壊へと発展してしまう。意識世界の崩壊は自我の崩壊でもある。しかし必ず生まれ変わる。これは普遍的だ。しかも概ねバージョンアップされて再生される。もしバージョンダウンした再生が生じているのであれば、運命に抗っているケースが多いかそれが自分の真の姿なのだ。真のバージョンアップは運気さえも可視化できるようになり、少しづつ苦が減っていく。さて、メンターから大切な智慧を授かった私だが、この後も挫折続きだった。氷河期世代の象徴のような報われない日々の中、挫折の中に沢山の気づきと成長があった。少しづつ私の過去を文章化していこうと思います。

お読みいただきありがとうございました。


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奈良岡元
『気付き』『直感』『閃き』のエッセンスをこれからも書きます。応援よろしくお願いします!