薬師寺。私たちの東塔
奥さんのために何ができる?
奈良には古代の素晴らしいお寺が沢山あります。
その中でも、ひときわゆかしい由緒を持つのが、西ノ京にある薬師寺です。
平城京の時代に作られたお寺が多い中で、薬師寺はその少し前からの歴史を引き継いでいます。
平城京の前の時代、藤原京の時代に君臨した天武天皇というひとが、奥さんの持統天皇の病気平癒のために作りました。
日本書紀には、持統天皇が献身的に天武天皇をお助けした、ということが書かれています。
そんな奥さんのために作られた薬師寺は、平城京遷都に伴い引っ越ししてきました。
現在の安置される御仏達は、その時代のおかたなので、平城京以前のみほとけなのです。
自分の奥さんが病気になったときに、医者に診せるとか、お花を贈るとか、おうどん作ってあげるとか!
してあげられることは色々ありますが、お寺作っちゃえる人は今いません。(アラブの富豪とかならあるのだろうか・・・)
昔東京タワーの工事に関わった人が、息子さんを連れてきて「これお父さんが作ったんだよ」と伝えられてうれしかったと言う記事を読んだことがありますが、持統天皇も「このお寺主人が作ってくれましたの。ホホ」とか言ってかと思います。
これこそ奈良時代クオリティ!
現在、薬師寺の伽藍の多くはのちの再建です。
長い歴史の中で、焼かれてしまって残らなかったです。
でも、先述のみほとけ、そして奈良時代に作られた塔は残ってくれました。
東の塔・東塔がそれです。
東塔も現在まで何度も修理が施されましたので、当時のまま建っているわけではありません。
しかし、人の手が入ったからこそ、残された塔なのです。
この塔のてっぺんには、「水煙」という飾りがついています。
文字通り「水」の「煙」
水を配置することによって、火災から免れるための祈りが込められています。
そしてそのおかげでもって、東塔は現在まで生き延びました。
この水煙には「飛天」という天上界の方が刻まれています。
この飛天が素晴らしすぎて、貴重すぎて、公開されるときは必ず駆けつけます。
こんなすごいものを1000年以上前の人が作ったなんて、驚きを通り越してもう声も出ません。
そのデザインの素晴らしさは、たぐいまれなるものです。
花籠を持ち、あるいは笛を吹く飛天達。
時に垂直に降りてくるその表現はダイナミックで、洗練されています。
私たちという未来へ託された宝物
この水のような煙のような、立体でありながら平面のような限定された空間に駆使された表現力。
そして何よりも、この水煙が地上からはるかに高い所に設置されているのです。
間近に見ればひとめですごさのわかるこの飛天たち。
塔の上に上がってしまえば確認できません。
地上からは見えないから・・・模様なしでもいいじゃないか。なんてことは考えないのです。
最高のものしか用意しないのです。
これが奈良時代クオリティです。
同じく塔の上に「刹管(さっかん)」という軸のような部分があり、そこには薬師寺を建てるに至った理由が書かれています。
これもまた、地上からは見えません。
しかしこの時代の人々は、後世の人々が薬師寺を大事にしてくれて、時々は修理をして守ってくれることを信じてくれていたのです。
修理するときに上まで上がれば、必ずこれを読みます。
もし文献が焼けてしまっていても、これを読めば天武天皇の奥さんの為に創建したのだ、ということがわかります。
古代の人々が、確実に未来へ向けて残ることを望んで願って託してくれた塔。
私たちが見ないで、受け止めないで、誰が受け止めるというのでしょうか。
巻頭イラストはモリコハルさんのものを拝借しました。ありがとうございました。