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きらびやかな奈良時代メンバー 神様にもなった元明天皇
元明天皇!
平城京に最初に君臨した天皇は元明天皇です。
女帝であり、その前の時代を背負った持統天皇の息子、草壁皇子の正妃であり、次世代を担った元正天皇の母であり、大仏さんを作った聖武天皇の祖母であります。
平静の世に生まれていたなら、ひとりの皇女として優雅に人生を終えていたかもしれませんが、時代はそれを許しませんでした。
彼女は天皇として君臨し、夫に先立たれる悲しみに溺れることも許されないまま息子にも先立たれ、平城京への遷都を実行し、史上初の母から娘への譲位を果たします。
女帝というと「中継ぎ」という消極的なイメージがつきまといますが、奈良時代の女帝はそんなことはなく、力強く政治を推し進めたリーダーでありました。
夫 草壁皇子
元明天皇の夫は草壁皇子。
全時代を作った天武天皇と持統天皇の息子です。
この草壁皇子のお墓ではないか?と注目されているのが、束明神古墳です。
凝灰岩の切石を積み上げた特殊な横ロ式石槨をもっていて、大規模な終末期古墳。出土品や文献や伝承などからも、束明神古墳こそ草壁皇子陵であった可能性が高いと考えられるのです。
いかにも草壁皇子のお墓だと思えそうな要素がいっぱいなのですが、もしそうだとしたら、元明天皇はずっと夫のお墓から遠く離れたところで住むことになりました。
天皇という身分になれば、気軽に外出もできなかったはずで、夫のお墓に詣でることもできなかったであろう彼女の人生に、思いを馳せたくなります。
天皇という重大な任務を成し遂げた元明天皇の力の源は、若くして亡くなった夫への思いもあったかもしれません。
神様になった元明天皇
元明天皇の時代に元号が「和銅」に変わります。
これは国内初の銅が発見されたことを寿ぐものでした。
日本は資源の乏しい国…というイメージがありますが、それも違っていて、当時の人々のたゆまぬ努力によって鉱物の発見の成果が沢山報告されています。
国の政策として鉱物資源を確保することで、彼女は何を目指したのでしょうか?
当時は仏教が国教といっていいくらいの全盛期。
彼女の孫である聖武天皇は、そらおそろしい位の規模の大仏を作り上げたひとです。
仏像を作るためにも、鉱物は欠かせないものでした。
仏教寺院は蘇我氏をはじめとした豪族たちの氏寺が始まりでしたが、だんだんと天皇も寺作りに邁進しはじめます。
天皇の作る寺は「大寺」と言いました。
東大寺・西大寺・大官大寺。
いずれも「大寺」です。
天皇の作る寺は、そのへんの豪族より立派でないと話になりません。
これから仏教仏像がさらに盛り上がっていくことが予想され、期待される中での銅の発見の報告は、まさに元明天皇の意志にかなったことでしょう。
国産初の銅が発見された秩父銅山には、聖神社というお社があります。なんとここには、鉱物の神様をお祭りするとともに、元明天皇も元明金命(げんみょうこがねのみこと)として合祀されています。
まさか元明天皇も、自分自身が神様になってしまうとは思ってなかったのではないでしょうか?
奈良時代には重要なトピックがたくさんありますが、身内の死を乗り越えて、天皇という責務を立派に果たした元明天皇という女性のことも熱く推したいです。
巻頭イラストは大塚茜さんのものを拝借しました。ありがとうございました。
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