正倉院展と「地下の正倉院」展
木簡 地下で眠り続けた古代の「メッセージ」
毎年平城宮跡の博物館で『地下の正倉院展』という展覧会が開催されます。
今年もやると思うのですけど。
これは平城宮京で発見された木簡を展示するものです。
平城京の木簡はすごくて、たとえば『長屋王家木簡』というものがあります。
この発見によって長屋王という大貴族の邸宅跡が確定されたんですけど、当時の貴族の暮らしがとてもよくわかる内容の木簡だったのです。
長屋王やその家族が食べたものや、そばで働いている人たちの記録。
商売の帳簿や、出入りする人たちの身元がわかるもの。
長屋王やその子どもたちが、沢山のひとにかしずかれ、ペットなんかも一緒に暮らしていたようです。
この発見によって、日本古代史はとても大きな衝撃を受けました。
木簡は重要 しかし…
木簡というと、ただの木の板なわけなんですけど、現在国宝に指定されるものまで出ているくらいです。
日本史を語る上でも重要な木簡。
今でもこそ興味を持っていますが、ちょっと前まで木簡って苦手でした。
理由は書いているものが読めないから(汗)
読みやすいものもあるのですけど、基本的に漢字が読み下せなかったり、漢字が分からなかったり。
一見するとただの木の板で、そこには沢山の漢字が並ぶばかりで、どこで区切ったらいいのかもよくわからないものも。
もうちょっと解読できたら面白みもだいぶ増すと思うんですけれども、できなかったので、なかなか木簡へのこの情熱がこう盛り上がらなかったんです。
でもある時、正倉院の宝物にも木札が付いてるのを知りました。
正倉院の宝物は、奈良時代に君臨した聖武天皇という方が持っていた大事な品が、東大寺に寄付されて生き残った宝物のことを言います。
この正倉院の宝物たちにも、その肩書を示すような「木の板」に書かれたカードつけられているものがあるのです。
場所はちがえど時を越えて
たとえば大仏殿が落慶法要の時に、大仏さんに捧げられた宝物。
その宝物が正倉院に残っているのですけど、それに木の札が付属してて残っています。
木の札に大仏開眼供養会の日時、天平勝四年四月九日って書いてあるんです。
大仏さんに捧げる宝物に名札がついていた理由は何だったんでしょう。
他の宝物と区別しようとしたのか、元々そういう慣習だったのか。
何にしても、その木札も「正倉院の宝物の一部」として大事に保管され、実際に正倉院展にも展示されました。
ですので、展覧会で見たときは驚きと興奮でもって眺めていました。
奈良時代に作られた木の板が、書かれた文字が現在まで残っている!
大仏さんを作った人々の思いや、捧げられた宝物を用意した人々の気持ちが見えるようでした。
そして気がついたのです。
これも木簡と同じなのだと。
木簡っていうと、地下にあるもの。地中にあったものが掘り出されて、私たちの元に再びやってくるもの。
よくぞ生き残ってくれた、形を留めてくれていた。
そういうイメージだったんですけれども、でも地上で生き延びた木簡もあった。
地下から出てきた木簡と地上で過ごした木簡は、そのたまたまそういう運命に分かれただけで、どちらも同じ木の板です。
出土木簡も正倉院の木の板も、同じ年月を過ごしてきたもの。同じ時を経て、その2つが両方を私たちが見えるところに白日にさらされることになった。
どちらも尊く、そしてこのふたつが現代に再会するという奇跡。
正倉院の宝物は「一度も地中に埋まらなかった」という点も、価値があるのですが、同じ時代のものがともに歴史の中生き延びた、ということにもっと価値を見出したい、と思ったのです。