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知っていますか? 有間皇子


悲劇の皇子 有間皇子

有間皇子を知っていますか?

飛鳥時代が終わって、天智天皇が大化の改新を起こす直前に生まれた皇子です。

わずか19才という若さで死ぬ運命をたどることになったこの悲劇の人を、世の人はとても哀れんで大切にしてきました。

万葉歌人の中で代表的な地位を占める柿本人麻呂はこんな歌を詠んでいます。


後(のち)見むと君が結べる磐代の子松(こまつ)がうれをまた見けむかも

…後に見ようと君が結んだ磐代の松の若芽を、君はまた見ただろうかなあ。…


結ぶ というまじない

ここで言う「結ぶ松の若芽」とは、古代において無事を祈るための呪術的な道具でした。

「挿す」「結ぶ」など、現代ではなにげなく使う仕草も、古代人にとっては重要な祈りの儀式でした。

それは事故や偶然も含めて、人が簡単に死んだり傷ついたりすることが多く、いかに自分と周囲の人をつなぎとめるか、ということに熱心だった人々のか弱い手段だったのです。

歌という武器を駆使して

人麻呂は政治に翻弄され、若くして散らざるを得なかった有間皇子への哀悼をこめて歌を詠んだことと想います。

彼が果たしたくて果たせなかった「松の結び」を思い出し、それを公然の歌にし、人々の胸に有間皇子を思い出させ、重ねて鎮魂する仕事をしたのです。

柿本人麻呂は、宮廷歌人という立場で、パワフル女帝として有名な持統天皇に仕えました。

そんな彼が有間皇子を思い出し追悼する歌を歌ったのですから、それは主人である持統天皇も同じ思いだったのでしょう。

柿本人麻呂も、かよわき一個人ではありましたが、歌という大いなる武器を持っていたのです。

巻頭の写真はTakeKurokiさんのものをお借りしました。ありがとうございました。

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忠内香織
奈良でガイドをしています。これからもっとあちこち回っておもしろいガイドを提供します。ご支援どうぞお願いいたします。