【無料】観世音菩薩と観自在菩薩
お寺に行くと、必ず?いてくださる観音さま。
観音様は悟りにはまだ至っていない状態で、いつか悟るべく修行中・・・とでもいうかた。
これはさらに深い考察もあって「あえて悟らないでいる。なぜならば悟ってしまうと、浄土という尊い世界に住むことになる。しかし、私たち(俗世界)にいるものを救うには、浄土に行ってられない。
あえてここに留まり、救済をするために悟りを開かないでいる」
ということも言われています。
観音さまのお姿は、悟りを開く前のお釈迦様をかたどっている、とも言われます。
かつて、シャカ族の王子だったお釈迦様は、身なりをあでやかに飾っていました。
そのなごりで観音さまも、アクセサリーを身につけ、華やかな出で立ちでいるというのです。
さて、この観音さま。
経典によっては
観世音菩薩
観自在菩薩
と表記が違います。
元々経典はインドでできましたので、サンスクリット語でした。
それを中国で漢訳したので、その漢訳表記が日本にも伝わっています。
お経さんが一見意味不明なのは、日本人にとって外国語だからなのですね!
漢訳ということは、訳したひとがいます。
偉大な翻訳家は沢山いますが、その筆頭は玄奘三蔵や、鳩摩羅什でしょう。
訳した人によって「観自在」だったり「観世音」だったりするわけです。
「観自在」とは「自在に観る」という意味にとれます。
つまりすべてを「認識している」ということ。
全部わかっている、お見通し、という力を観音さまはもっているということでしょうか。
つまり、わかっているからこそ導ける。指導者的な豊かさを観音さまがもっていらっしゃることを、翻訳者は考えたのかもしれません。
一方「観世音」は、世の中すべての「音を観る」ということ。
音を観ると言うことは、声を聞くということだと思いますし、気配を感じることもかもしれないし・・・。
おうちでお母さんが、冷蔵庫を開けただけなのに「そのプリン食べちゃだめよ」と声かけてくるみたいな(;゚ロ゚)
ふだんと様子が違うだけで、何か察されてしまうような・・・
そういうことかなとも思います。
そう、観音様は、「私たちの苦しみをすべてわかってくださって、救済してくださる」
そういう思いを込めて、「観世音」と訳されたのかなと思います。
お読みくださりありがとうございました。
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忠内 香織
(イラストはみんなのギャラリーより、はるよさんのイラストを挿入させていただきました。はるよさんありがとうございました)
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