平城宮跡へ行こう!~大極殿~
奈良時代の都 平城京 その中心平城宮
かつて奈良は都・首都でした!
今皆さんがいる場所は、今で言うと東京の皇居周辺にいらっしゃいます。
え?すぐ近くでお泊まりになった?
それは世が世なら高級貴族。
徒歩で散策するご身分ではないですよ~
と紹介するのが、現在平城宮跡。
復元された朱雀門や、大極殿といった建物があります。
朱雀門は、平城宮の正面玄関にあたる門です。
羅城門というのもよく聞きますが、これは平城京の正門です。
平城「京」がかつての都のこと。
平城「宮」がその中枢部です。
平城京の正門と、平城宮の正門を結ぶ道が朱雀大路。
この朱雀大路の延長線上、宮の中央あたりを第一次大極殿院と呼んでいます。
ここには、大極殿という建物があります。
第一次ということは、第二次もあるのか?と思うわけですが、あるのです。
理由はわからないのですが、奈良時代に大極殿は、ちょっと位置をずらして2回建てられました。
いま復元されている大極殿は、第一次のものです。
平城京に遷都されてから、恭仁京に移るまでの間、大極殿が置かれていました。
南北320m、東西180mの範囲を築地回廊で囲われていたそうです。
南半分が広場、北半分ではレンガの原型ともいえる「磚」(せん)という粘土を焼き固めたものを積み上げて壇をを作っていました。その上に大極殿を配置していたのです。
大極殿は、天皇が政治を行う場所。
建物の眼下には巨大な広場が広がり、「入ることを許された」家臣たちが並びます。
大極殿の中には天皇のお座りになる座があり、今それも復元されています。
ちょっと変わった形をしていて、なんだかカプセルみたいなんですよ。
椅子が見えますが、これはおそらく正倉院にある聖武天皇愛用の椅子を元に復元したと思われます。
奈良時代の貴族って、私たちが想像するよりモダンな生活をしていたかもしれません。
椅子に座り、ベットで寝ていたようですし、素敵なグラスも伝わっています。
薬師寺などお寺には葡萄モチーフの飾りがあったりしますから、ワインも飲んでいたかも・・・?(^^)
大極殿の場所がわかった驚くべき「きっかけ」
今でもこそ大極殿の遺構が発掘されて、同じ場所に同じ規模のものが復元されていますが、ずっと遺跡が意識され続けてきたわけではありませんでした。
平城京から平安京に移ってのち、平城京は忘れられてしまい、いったいどこまでがエリアだったのか。平城宮はどこまでなのか。大極殿はどこにあったのか?わからなくなっていたのです。
しかし、江戸時代末期くらいから調査研究がすすみ、ついに場所を特定することができました。
その手がかりになったのは、地元の人は「大黒の芝」と呼んでいた小字名があったことです。
大黒・・・ダイコク・・・大極殿??
漢字は当て字に変わってますが、奈良時代からの言い伝えが大極殿をふたたび見せてくれました。ものすごいごとです。
大極殿の復元に際して、今の姿は当時の絵図が残っていたわけではないので、想像による復元です。
しかし奈良にはすごいことに、同時代の建物が現役で残っている場所があります。
現存する建物から復元案を作成し、その様式を借りてくるという手法がとられています。
たとえば組物や軒は薬師寺東塔。内部架構や小屋組は法隆寺金堂を参照されています。
ほかには平安京大極殿の資料が残っていますし、飛鳥時代の建物も参考にされ、推定されたそうです。
古代建築をあらたに作り上げる! しかし、同時代の建築から引用するだけにとどまらずに、古代建築をあらたに作り上げる!意気込みでもって再建されたのが大極殿です。
これまでの発掘成果や長年積み上げられてきた修復によってもたらされた気づきがふんだんに盛り込まれているのです。
ぜひ平城宮跡にお越しの際は、足をのばしてくださいね。
巻頭イラストはあやさんのものを拝借しました。ありがとうございました!