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この世界を知ることがないまま、天国へ飛び立ってしまった妹、ずっとありがとう

18年前の今日は、僕たち家族にとっては特別な日。
今日のように、所々に青空が顔を出す曇天だったのか、それとも、灼熱の太陽が輝く青空だったのか、僕の記憶にはない。

僕が覚えていること。それは、この世界を生きることができなかった妹が火葬炉に入っていく瞬間を見れない自分がいたことだけだった。

僕は18年前の今日、人生で初めて、永遠の別れを経験した。


親から弟か妹ができると知らされた時の気持ちも、家から離れた大きな病院に母親が入院した時の気持ちも、よく覚えていない。

鮮明に覚えているのは、火葬場での出来事だ。
概念としての死よりも物理的に亡くなることが恐ろしかった。

元気に泣く姿も、息をしている瞬間も、ましてや、兄に微笑みかけてれたこともない妹。
6歳の僕が見たのは、これから目の前にいる妹が焼かれて亡くなるという事実だった。

棺桶に入った妹が焼却炉に入っていく瞬間、僕はその場にいられなかった。
火葬場から逃げるように走り出して、泣いた。
蹲って泣いた。顔を火葬場には向けられなかった。
僕の妹はどこに行ってしまうのか。分からないけど、泣くしかなかった。

悲しさ、怖さ、恐れ、怒り、どんな感情だったのか。
家族として、兄としての想いが唐突に溢れ出た。

さようなら。またね。

そんな言葉を心の中で言った記憶がある。


それから18年。
僕は末っ子のままだ。

もし、妹が生きていれば、高校3年生。
部活は何をしているだろうか?受験勉強は忙しいだろうか?
僕が兄になっていれば、何か変わっていたのか。

たまにそんなことを考える。
考えてみても、自分に妹がいるなんて全然想像はつかないけれど…笑

僕たちの家族は、妹に何度も助けられている。
嫌なことがあった時、困難に直面した時、いつも妹が守ってくれている。
見上げるといつもそこにある優しくて、大きい空から妹が僕たち家族が幸せになるように、いつも見守ってくれている。


まだ僕も24歳。
まだまだ人生を楽しく、幸せに生きたい。

妹に会えるのは何年後になるのか分からない。
妹の分までこの世界で幸せになるんだなんてことは言わない。
自分の人生だ。
だけど、妹に会えた時に、
「この世界は楽しかったよ!この世界に生まれて良かった!」
と言えるようになっていたいなとは思う。


以前、今の世の中で僕たち家族のような経験をしている人はどのくらいいるのだろうかと調べてみたことがある。
医療技術が発達していない時代や、海外の国々と比較すると、2021年の日本ではこの世界で生きることができなかった子供の数は少なくなっている。
しかし、僕の想像よりは多かった。

改めて、僕たちが今生きていることは、奇跡なんだと思う。

妹と同い年の従姉妹と遊んだ時、ベビーシッターで子供と触れ合った時、ふと妹に会いたかったな、笑っている顔が見たかったなと思う。
でも一回も見れなかったし、これから見れることもない。

今、僕が出会ってきた人たちは、この世界を生きている時点で奇跡を起こしてきた人たちなんだと思う。
だったらその人たちと一生懸命に笑って、泣いていくことが僕にとっての“生きること”なのかもしれない。


これからも空から僕たち家族を見守ってくれるかな?
沙輝は夏生まれだから、毎年元気が出る綺麗な青空の日が誕生日だね。
あのね、僕たちはこれからも5人家族だから。
18歳の誕生日おめでとう。そして、いつもありがとう。
「さようなら。またね。」

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