原作『風の谷のナウシカ』
映画の風の谷のナウシカしか見たことがないという人ももしかしたら多いかもしれません。私も昨年までその一人でしたが、原作を読んで映画とはまた違う印象を受け取りました。
原作は全7巻で、どこから書いてよいかわからず上手くまとめられない気がしますが思ったコト・感じたコトを書き綴ります。
私は今30代ですが、少し上の世代の方々はおそらく最初に漫画で読まれたのではないでしょうか。
つくづく宮崎駿さんは未来を読んでいるのかな・・・と思わざるを得ません。これが昭和の時代に発表されていたなんて、すごいですね。
今この原作を読み返すことで、気づくことも多いのではないかと思います。
原作風の谷のナウシカは映画版よりはるかにメッセージ性が強いです。
宮崎駿監督が手掛ける作品で私が一番記憶に残っているメッセージは
もののけ姫の「生きろ」です。まだ子どもだった私にとって、あのキャッチコピーは衝撃的でした。
それに比べ、風の谷のナウシカを映画しか知らない時には、もっとやわらかいふんわりした印象を持っていました。が、原作はなかなか血なまぐさいです。
戦場のシーンや人が死ぬ場面も数多く出てきます。風の谷のナウシカは‟自然”と‟戦い”の漫画だ・・・というのが私がまず最初に感じた印象です。
登場するキャラクターもそれぞれがとても際立っています。
そしてどこかみんな儚げです。なんとも哀愁が漂っている世界だな、と思いました。
ナウシカの表情も無邪気に自然と戯れるというよりも、常にどこか憂いを帯びているように見えます。動物たちとじゃれている時がとても幸せそうです。
宮崎駿監督の作品は自然や空を飛ぶところなんかが印象に残りますが、火も要所要所に多く使われているように思います。火は攻撃の象徴かのようにも思いますが、人間の生活になくてはならないものです。体を温めるにも火のぬくもりは欠かせませんし、温かいだけで人はほっとします。
火は滅びと光どちらでもあるのだな、と感じました。
それから、‟名前”も特別な意味があるように描かれています。
名前を与えられたオーマが突如覚醒し、知恵のレベルが進んだことからも‟名前を明かす”というのは命を差し出す・与えるといった、特に意味のある行為のように意味づけしてあるように思えてなりません。
私の拙い日本語ではなかなかぴったりの表現がないのですが、そのようなことに近いのかな?と勝手に推測しています。
たしか千と千尋の神隠しでも名前が鍵を握っていました。
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虚無にいわれるまでもなく私達が呪われた種族なのは判っている
大地を傷つけ 奪いとり 汚し 焼き尽くすだけの もっとも醜いいきもの
5巻143頁
というセリフがありますが、原作風の谷のナウシカでは、人間と言う存在の矛盾・愚かさ・希望のようなものをこれでもかと描いているように感じました。
そしてそんな愚かな人間の愚行をも受けいれて罰するでもなく復讐するでもなく、ただただ大地の傷口を癒そうとする王蟲の存在がひときわ美しい存在として際立っています。
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物語全体を通して伝わってくるのはナウシカの包み込むような優しさです。
これは物語が進むにつれて深みを増していったように思います。
ナウシカに取りつこうとしていた皇弟ミラルパの影をも一緒に連れて行ったり、ミト爺を優しく抱くシーンや蟲使いへも同じ人間として友達になろうとする姿からそれが伝わってきます。またオーマへの優しさは涙を誘います。
ナウシカは全ての生き物に分け隔てなく愛を注ぐ人です。
第6巻でナウシカがセルムに語る場面でそれが証明されていました。
でもあなたは生命の流れの中に身をおいておられます
私はひとつひとつの生命とかかわってしまう・・・
私はこちらの世界の人達を愛しすぎているのです
人間の汚したたそがれの世界で私は生きていきます 6巻97頁
ナウシカの表現する優しさとは少し方向性が異なるけれど、クシャナも同じような愛情深さをもっています。不器用なクシャナは原作を読むとますます好きになるキャラクターです。ナウシカとはまた異なる視点で世界を俯瞰して見ているのがはっきりと伝わってきます。
個人的には全編を通して一番泣けたのが、ユパが死ぬシーンです。
ユパが最期クシャナに言った言葉
王道こそそなたにふさわしい‥‥‥‥‥‥
このページにはわざわざ王道の注釈がついています。第7巻83頁より
※王道ー仁と徳のある王のあり方。公正でおもいやりのある平和な政治の道
人間の生死や渦巻く欲望を幼い頃から常に体感してきたクシャナだからこそ、仁徳備わった王の道がふさわしいのですね。王は全てを飲み込み受け入れ包み込む強さがある人間の呼び名だと私はこのセリフから感じました。そして気高い人にこそふさわしい。
宮崎駿作品には不器用な強い女性が度々登場します。
そういう点では風の谷のナウシカともののけ姫はリンクする部分が多いように感じますが、どうでしょう?
私はクシャナがけっこう好きです。冷たく残酷な切れ者だったクシャナがナウシカと出会うことで柔らかさと誇り高き心を増していくのが読んでいて爽快でした。
*
宮崎駿さんの作品が好きなのは、ファンタジーでありながらもふわふわしていないところがとても好きです。
はっきりと問題提起をしています。
人間にとっては災害で害悪でしかないものも、地球レベルで考えるとそうではないこともあるように思いました。
人間は人間の視点からしか見ていないことが多いかもしれません。けれど、大地や海には目で認識できる生き物から認識できない小さな生き物まで様々な命が在ります。これを書いていて、今まさに‟禍”と呼ばれているコロナにもなんとなく思うところがありますね。
もし世界が美しい状態を取り戻しても、少し経つと
また自分達が世界の主人だと思いはじめる 6巻94頁
人間とはこんなにも忘れっぽい生き物なのです。
第7巻は物語の核心部分に触れるがゆえに書き留めておきたいセリフがいくつも出てきます。
みな自分だけは誤ちをしないと信じながら 業が業を生み悲しみが悲しみを作る輪から抜け出せない 7巻122頁
精神の偉大さは苦悩の深さによって決まるんです 7巻133頁
わたしね世界の秘密を知るために永い旅をして来たの
先を急いで沢山の死者を後に残して来た 私を守ってくれた人 みちびいてくれた人 大切な友人も 敵だった人々も‥‥‥埋葬すらしなかった
だからどうかみんな・・・死者へのいたわりを忘れないで・・・
7巻137頁
生きることは変わることだ
王蟲も粘菌も草木も人間も変わっていくだろう
腐海も共に生きるだろう 7巻198頁
ナウシカは、人間の営みそのものが世界にとって汚れだと考えていたはずの序盤と比べると、とても前向きな捉え方に変わっているように思います。
永い旅をするうちにあまりに多くの出来事にぶつかり、深い悲しみから悟っていった過程なのですね。
そしてついに現れた墓の主が語るセリフがまさに今の世を映しているようでした。
数百億の人間が生き残るためにどんなことでもする世界だ
有毒の大気 凶暴な太陽光 枯渇した大地 次々と生まれる新しい病気
おびただしい死 7巻199頁
未来を知っていたのかな?というくらいちょっとぞくっとしてしまいます。
その人達はなぜ気づかなかったのだろう
清浄と汚濁こそ生命だということに
苦しみや悲劇やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない
それは人間の一部だから‥‥‥
だからこそ苦界にあっても喜びやかがやきもまたあるのに 7巻200頁
これこそがナウシカがたどり着いた生命の営みの答えなのだと私は感じました。
宮崎駿作品を理解するには私には神道の知識や古代の神話の知識なんかが全く足りないように思いますが、
私達の神は一枚の葉や一匹の蟲にすら宿っているからだ 7巻208頁
というナウシカのセリフからも、宮崎駿さんが日本古来の、万物には八百万の神が宿っている、という世界観を大事にされていることが分かります。
人間をとても愚かな存在として描写しながらも、人間という生き物への愛が詰まっているのではないかと思いました。
地球は人間が独り占めするものではないこと。
蟲や草木や動物や菌も全てこの世界の住人であることを今一度思い出させてくれる作品です。
大事な何かをこのような形で伝えてくれる宮崎駿さんは本当にすごい・・・
と、ぐちゃぐちゃながら3000文字以上を書き綴ってみました。
最後に、私がいっちばん好きなシーンとセリフを書いて終わりにします。
クイの卵から生まれたばかりのこどもトリウマがタタタと走って行くのをミト爺が追いかけるシーン!
と、
私達の生命は風や音のようなもの‥‥‥
生まれひびきあい 消えていく 7巻132頁
というナウシカの言葉が一番好きでした♡